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デザインは、生きることのような気がする

デザインの仕事をしている友達と話をしていたときのこと、「あなたの思うデザインって何? 4年間を通してデザインって何だった?」と聞かれて初めてそういえば今まで学んだことなどを言語化していなかったなと思ったので、現段階で今の私が考えているデザインについてを書き留めておきます。きっとこれは流動的に変わるものかもしれないし、根底にあるものは変わらないままアップデートされるものかもしれないけれど、とにかく今は今だと思います。

最初にそれを聞かれた時に、領域を問わず表面的な見た目や形だけではなくて、もっと根本にある考えまであってこそのデザインだと思う、と答えたら、辞書やん、って言われました。確かに。美大で得たことってそうではないな…もっと違う、もっと身体の側面で受け取ったようなことも、心臓の奥深くで大切に触れているようなこともある気がするのです。そういうことをここで一旦言語化しておこうと思います。2024年2月現在。

まず、デザインはとても身近なものである、というところから始めます。今手に触れているもの、目に見えている誰かが(人も機械も)作ったもの、それら全てデザインされたものだからです。生活それ自体にデザインが根付いているとも言えるし、デザインに溢れ囲まれた生活をしている、とも言えます。私がデザインを知ったのはもちろん身の回りにあるものからでした。
「デザイン」という言葉が多くの人の中でも身近になって、もはや飽和しているとも言えそうなくらい、当たり前になっているのかもしれないなとも思います。だからこそ、考える必要がある、本当のデザインはなにか、本質はなにか、どうしてデザインが必要なのか、本当に必要なのか、そしてそれを真正面や裏側から考えるきっかけをくれるのがあくまで美大という場所であった、ような気もしています。

これは少し、私の卒業制作のテーマを引用しますが、デザインによって人々は幸せになってきたし、デザインは人を救い、人を幸せにするためにあるのだと思います。人を幸せにすることができる職業って素敵だな、なんて。こんな大きなことを言っていますが、過去の歴史を振り返ればそうですし、今実際に自分が感じていることもそれを裏付けています。だから私はデザインということを知って、学びたいと思って、そしていつかそれが、社会に還元できるようになりたい、と思って今ここにいます。

幸せの形は人それぞれあるように、そのそれぞれの形の最適解を出すことがデザイナーの仕事ではないかと思っています。大きな幸せではなくて、ほんの些細なことでもいいと思います。ちょっとした不快を減らすとか、障壁を取り除くとか、誰にとっても扱いやすいものを作るとか、それにしかない機能を付すとか。小さかろうと大きかろうと、原点にあるのは本当に小さなことで、一日とは言わずとも、このあとのタスクに集中しようかなと思えるくらいの、たった数cmのやる気をくれるようなもの、そこからデザインが始まるんじゃないかと思います。
だからデザイナーは型にはまったような仕事の仕方をしないし、むしろできなくて、自分がデザイナーとして生きているすべての時間を使って常にデザインのことを、デザインを通した人々の生活を考えているのかなと思います。それはもちろん、この生活の全てにデザインが存在しているから、とも言えます。

全てに共通して言えるのは、自分とデザインの向こう側には相手、ないしは社会があるということだと思っています。自分の内側を向いているのではなくて常に外側、そのさらにさらに先の、使ってくれる人のことを考えてものを作ること、そのためにデザインがある。だからあくまで手段のような気もしています。もちろん手段のためにいろいろな方法を考えて、何が最適なのか、何をよしとするのか、それらを考え、作ることができるのがデザイナーという職能なのではないかと、思っています。誰かを助けたり、誰かを助けるための機能を付したりすること、そしてそれが誰かを幸せにすることに繋がる、ような気持ちです。

こういうときによく上がるのがアートとデザインの違い、のような話であると思うのでそれにも触れておきます。まず二つは密接でありながらも対にある概念だと思います。アートは個人の伝えたいことは見る人に委ねてよく、しかもそこに相違があっても構わない、見る人の自由だし描く人の自由でもある。そこに達成しなければいけないような大きな目的はないと思っています。デザインは個人の伝えたいことを委ねてはいけない、個人の伝えたいこと≠コンセプトであることが多く、コンセプトが明確に伝わったりそれによって使う人や社会へ新しい視点や変わることを提示したりしなければいけない、そこに個人的な感情はあまり入らないというイメージです。あってもいいけれど、それを使う人に委ねない、コンセプト→アウトプットの順番で初めて成立すると思っています。

はたまた卒業制作のテーマに近くなりますが、アートとデザインの間は何かなと考えました。アートとデザインのそれぞれの意味を正確に捉える必要はあると思いますが、その間に境界線を引くのが適切かどうか、というのは現代においてはそうとは言えない気がします。もちろん、工芸と工業の間もそうです。

卒業制作のテーマについては以下よりご高覧ください。

デザイン=課題解決、とはよく言われますが、私はそうは言い切れないと思っています。課題を解決するための答えがデザイン、ではなくて、その手段の一つにデザインが上がってくる、ということなのではないかなと。ある問題があって、それに対しての適切な答えの導き方のなかにデザインがあるのかもしれないしないのかもしれない。ただ、有効な手段の一つの中にデザインがあるのかもしれない、と思います。

瞬発的に広まるものを生み出すこともできれば、長い間とどまる普遍(不変)性を生み出すこともできるのがデザインだと思います。こんなに素敵なことがあるんでしょうか、ここまで素敵なことができるのは、後ろに本当に大変なことがたくさんあっても、デザインにしかないことのような気がしています。

どんなに精密な機械が作っても、どんな美しい自然物でも、全く同じものなど2つとして存在しないこの世界で、その上で私には何ができるのか、何をしなければいけないのか、この先もずっと考え続けなければいけないと思っています。卒業制作の大きなテーマがその中心にあるので、ずっとずっと大切にしていきます。この先もずっと向き合っていけるテーマを見つけられたことは本当によかったです。

たまたまだけれど別の分野の教授それぞれが「続けること」が大事なのだと仰っていて、そうだ、これから先も真摯に向き合い、考えて手を動かしてまた考えるを繰り返し、それを続け続けることが大切なのだなと思って。環境が変わって、今までよりもそれがきっと難しくなる、でもそこをどれだけできるかだと思いますし、私はそれをやりたいです。まずは卒制を超えたいです。超えるためにはまずあの続けた期間を超えなければいけないんだと思うから、これからもずっと、向き合い続けます。「続ければ花開くから」と言っていただけたこと、忘れないし、今の私の一番の力になっています。

作り続ける、なんでもいい、かもしれないし、なんでもよくはないのかもしれない。それでも、私は作り続けることで生きていこうと思いました。デザイナーにはなれるかもしれないしなれないのかもしれないけれど、作ることで初めて生きているとさえ思えた大学での4年間だったと今は思います。


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