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わたしの音楽ユンギさん

2年ほど前、過去のユンギさんのあるコラボ曲のことを知った。
それは2019年リリースのユンギさんが初めて外部のアーティストさんとコラボした作品で、韓国のベテラン歌手イ・ソラさんの歌だった。
作詞・作曲は、幼い時代のユンギさんやナムジュンさんに大きな影響を与えたエピックハイのフロントマンであるTABLOさん。
その曲中でユンギさんはこう歌った(以下papago先生&自己流意訳)。


熾烈だった一日を慰める
暗闇さえも眠るこの夜
何百回も僕を吐き出すよ
君が辛いから


僕は君の人生の片隅のひとかけらで
君の感情の友
時には家族
たまに少しの間休んでく時
人と一緒にいるのに寂しさに埋もれる時
思い出に酔って誰かをまた吐き出す時
その時初めて僕は君の音楽になるんだね


そう僕は 
誰かにとっては春
誰かにとっては冬
誰かにとっては終わり
誰かにとっては始まり
僕は誰かにとっては幸せ
誰かにとっては魂
誰かには子守唄で
時には騒音


共にするよ 君の誕生と終わり
どこにいても一緒にいることを覚えていて
いつも君の人生を慰めるから
どうか僕に 時には寄りかかって休んで





わたしは今も、このリリックを初めて読んだ時のことが忘れられない。






この曲の歌詞のストーリーは、孤独な夜に別れた人を思ってやり切れない気持ちでラジオをつけると、流れてきた音楽が心を慰めてくれた…みたいな感じ。
ユンギさんはその中のラップパートで、音楽を擬人化した立場から孤独な夜を過ごす人に向かって語りかけている。
そして、私にとってのユンギさんの音楽は、まさにこの詞の通りの存在だった。



人生の隅っこのひとかけらで、感情の友で、時には家族。
特にこの〝感情の友〟という言葉は、わたしにとってあまりにもセンセーショナルだった。
人としての友じゃなくて、感情の友。
それまでもわたしはユンギさんの音楽の中に流れている何かのことを知っている気がして、すごく近しく感じてはいたけれど、同時にそれとユンギさんという生きた人とはまた別ものなんだろうな…ということも、おぼろげに感じていた。
自分なりに掴めているようでうまく説明できはしないこの感覚は一体なんなんだろうと思っていたのが、当の音楽側から〝感情の友〟という言葉が出てきたのだ。
そりゃあハッとするでしょうよ!



どんなに家族や友達や恋人を愛していても、その関係性では埋められない空洞というものがあると思う。
人であるが故に、お互いに分け合えない部分というものが絶対に生じるというのがわたしの実感だ。
わたしは幼い頃から、自分の中にある誰にも理解されないであろうものの存在を意識していたし、そのためにそれ以外の部分で人と繋がることを積極的に求めてきたとも思う。
だけど結局、自分が理解されないものを抱えていると思うことは、さみしかった。
その深いところにあるさみしさにぴたりと寄り添ってくれるのは、わたしにとっては結局のところ、ずっと音楽だったのだと思う。
生きてる環境とか個人の年齢性別などすべてのバックグラウンドが無縁の、言葉には決して変換できない内面の世界。




ユンギさんもまた、孤独を知っている人なんだろうと思う。
他者の存在では絶対に埋めることのできない種類の、深い深い孤独を知っているはずだ。
〝感情の友〟という言葉が出てくる時点で、そうとしか思えない。
だから同じ孤独を抱いてる人の気持ちがわかるし、それを埋められる確かな手段のひとつが音楽で、自分がそんな孤独な他者に対して出来るたったひとつのことは音楽で寄り添うことだけだっていうのも、きっと充分に知っている。
多分ユンギさん自身もまた、そうやって誰かの作る音楽に寄り添われて、何度も何度も救われて生きてきた人だからなのかもしれない。




わたしにとってユンギさんは、音楽そのもの。
音楽に魂を込めることのできる、稀有な、とても大切な存在。
それがすべて。
わたしはユンギさんに出会えて幸せで、感謝しかない。


決して失えるものじゃないんだ。


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