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性善説を信じられないわたしたちと『エブエブ👀』②


続き。


思慮深いナムジュンさんが性善説を信じないと言ったのは、『俺は人の善性なんて信じてないもんね!』っていうはすに構えた心からではないことくらい、3年もバンタン漬けの生活送ってりゃ当然分かる。
でもじゃあなんで、デビュー記念日の賑々しい祝祭の中で、そんな重たいことを言ったんだい?
それが2021年6月からのわたしの頭の片隅に、解けない難題のようにずっと残っていた。
そうしてわたしはこの度、全然関係ないSF映画を観ていて、ふいに自分の疑問に対する答えを見つけた気がしたのだ。



(つまりは、繋がった!と思った考えを整理するために、こんなものを書いている。
自分の中ではっきり繋がったはずなのに、なんかいっつもすぐにぼやけて掌をすり抜けて行ってしまい、そうするとまたそのことを考え続けてしまうから。
結局のところわたしは大抵、次に進むためにこうして書き記したがっているのかもしれない)


人はなんとなく世の中は怖いもので、混乱していると思い込んでいる。
そしてエブエブの主人公の夫は、こんなふうに言っていた。
『怖いから、混乱しているから、争うんだ』と。
この映画の中で主人公が自分の世界を変えるに至ったきっかけは、この夫から〝手に持った武器をまず自分が先に手離す〟という学びを得たことだった。
腕力を限りに、武器を使って相手を制圧しようとするのでなく、手離して空になった手でただ相手を抱きしめること。
…でもそれって、想像するだにものすごく怖いことじゃない?


なんで怖いかって、相手は恐らくまだ武器を持ってるふうに見えるから。
抱きしめようと手を伸ばした自分に対し、今がチャンスとばかりにその武器をふるってきそうだから。
だけどそもそも、武器なんて実際には持っていないのかもしれない。
なのに、持ってないはずがないと思ってしまうのはなぜ?
本当に、わたしはなんでそう思い込んでいるんだろう?


それは『Human Kind』にあったように、この世のすべてが、相手の手が空じゃなく武器を握っているであろうこと、つまり性悪説を前提に作られているせいかもしれない。
そう考えたら、わたしはこの怖さにすごく納得がいった。
内面の悪の存在を幼くして意識したわたしには、『たとえ自分はそうでも、世界は必ずしもそうではないんだ』と思い直す、はっきりとしたチャンスがなかった。
つまり性悪説は、意外とわたしの現実世界に絶妙に馴染む考え方だったのだ。
だって、そうはいっても人は大抵が優かったり面白かったりして、世界はそれなりに楽しかったんだもの。
だから、基本はみんな内側に悪を抱いてはいるんだろうけど、別にそんなこの世の中が暴れたくなるくらい嫌だ‼︎ってわけでもないなーと納得して、疑いもなく受け入れていたのだろう。



Festaの問答を観た時、わたしはナムジュンさんが人間に絶望しているというふうには考えたくなかった。
そうしてそこから2年あまりが経ち、エブエブを観て、彼はむしろ〝あなたとわたし〟がより良く生きるための基本ルールを、性善説を否定するという形で提言しているのかもしれないという考えに思い当たったのだ。



わたしはあなたを傷つけないよう、わたし自身を律する努力をたゆまずにする。
あなたも、わたしや他の誰かを傷つけてしまわないよう、そうして。
人が生まれながらにして善ではないのならばなおさら、努力して、お互いを信じ合おう。



わたしは、ナムジュンさんがそんなふうに考えていると思いたくなった。
それはもう、祈りに近い強さで。


バンタンは、努力することを愛の証しだと信じているような人たちの集団だと思う。
その一員でありリーダーでもある、性善説を信じていない青年ナムジュンさんは、人が根本的には悪いものであると感じながらも、自分の手が武器を握っていないことを先に示そうと努力している、勇気ある先駆者なんじゃなかろうか?
そんなふうに思えてきた。


彼らはよくわたしたちアミに対して、〝愛している〟という言葉を使う。
わたしはその〝何かを愛する〟という気持ちについて、ここしばらくずっと考えていた。
アミと名付けられた、個々は得体の知れない存在。
その誰もが、(わたしの先入観からすると)内部に悪を抱えていると思しき人間。
それをまるっとまるごと愛しているだなんて、そんな無鉄砲で怖いことを考えもなく口にするなんて、よっぽどの脳天気か、心を持たないリップサービスマシーンでなきゃできるわけない。
そうして、彼らは断じてそのどちらでもない。
彼らほど物事を深く考えながら自分自身と世の中とに向き合ってきた若者は、そうはいないはずだから。
そんなことを考えながら、わたしの知る限りの彼らの言動の文脈を考えてみると、どうもナムジュンさんは先んじて自分の空(から)の手を世界に向かって差し伸べてみせているように思えてきたのだ。
その道筋を言葉にしたのが、あの性善説を信じない発言だったとしたら?
だとしたら、ナムジュンさんは強い!
強いし、なんて美しい人なんだ!




思えば、わたしは心の奥底で常に備えていたのだな。
自分が受けるかもしれない傷を最小限に抑えるために、人に過度な期待をしないように努めてきた。
何か酷い目に遭ったとしても、『さもありなん。だって人は悪いものだから』って思って流してしまえるように。
だけどその備えは、本当に必要だったんだろうか?
ジョンレノンがイマジンで語りかけていたのは、夢想家の描く理想による耳に優しい言葉じゃなくて、とても難しいけどそこをイメージしてクリアしないと良い未来は無いよっていう、厳しい現実だったのかもしれない。
人の善性を信じるということの恐さに怯えずに、世界を抱きしめること。
その勇気を持つこと。



それでもわたしは、今でも性善説を手放しには受け入れられない。
だけど、誰かを傷つけないように努力しながら生きることは出来る。
意図しない形で傷つけてしまうことはあるかもしれないけれど、自ら意図して傷つけるようなことは決してするまいと、かたく決意することならば出来る。
もしかしたら、相手も同じ努力をしてくれると信じることだって、出来るようになるかもしれない。
既に半世紀以上を生きてきて、これまでとまったく同じ自分で残った時間を生きるのも芸がない。
今まで考えなかったふうに、世の中を見てみたい。
そんなふうに感じている。



それにしても…。
今まで言葉にも出来なかったようなこんな未分化な想いを、あのめちゃくちゃな設定のSFで見せてくれるなんて、このエブエブって映画はすごい。
いくつになっても、わたしたちは学べる。
そのことを五十路のわたしにも、無理なく理解させてくれたのだから。




※…余談ですが。
映画に出てくる『わたしはわたしになれた。宇宙は親切で忍耐強い人を与えてくれたから』ってセリフ、すごく心当たりがあった。
夫の顔が浮かんだ。
わたしがわたしのまま生きていられるのは、まちがいなく親切で忍耐強い夫のおかげだと思う。
本人に言ったら『え?どういうこと?』ってキョトンとしそうだけど、キョトンとするとこまで込みで、その存在に感謝してる。
彼は恐らくこのnoteを見ることは一生ないだろうけど、それだけここに付け足して記しておきたい。

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