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性善説を信じられないわたしたちと『エブエブ👀』①


すこし時を遡った話になるのだけど、2021年のFesta(バンタンのデビュー記念日前後の祭り)のコンテンツ内に一問一答的なのがあった。
その中でひとつ、わたしには忘れられない問答がある。
それはバンタンのリーダーであるナムジュンさんの、〝信じていないもの〟に対する答えだ。
彼は『性善説』と答えた。
信じていないものと聞かれて、真っ先にそれを思いつく20代の青年🫨‼︎…というインパクトは一旦傍に置くにしても。
わたしはこれを観た瞬間『ん⁈』ってなって、多分首がちょっと前にせり出てしまったと思う。
自分以外にはっきりと性善説を信じていないと言い切る人を、多分初めて見たから。



性善説と性悪説については、たしか中学生くらいの時に学校の授業で習ったと思う。
その当時、先生の解説する両説の違いを聞いて、完全に性悪説の方がしっくりきたという記憶がある。
少なくとも、自分が悪い考えを思いつきもしないというタイプでないのは、小学校低学年くらいの時点で既に自覚していた。
もっと言えば、善なる自分であるためには努力が必要だってことを、本能的に知っていた気がする。
なんならそんな二重構造になってる自分がなんか変だな、嫌だな、という意識だってあったと思う。


そのFesta問答に衝撃を受けた後、たまたま新聞で『Humankind』という本のことを知った。
それは世の中のあらゆる仕組みがいかに性悪説を基に組み立てられているか、その仕組みの正当性を裏付けると思われていた様々な実験が確かなものなのか、細かく検証している本だった。
Festa以降、性善説・性悪説についてもうちょっとよく考えてみたいなと思っていたわたしにはぴったりの内容だったので、読んでみた。


新聞の書評を頼りに読む本を選ぶ昭和のやり方は、五十路のわたしにはまだ健在…。


めんどくさいから(おい!)、この本の肝でもあるその検証内容の詳細については省いてしまう。
結論として、人間の根っこが元々悪であるという実験や逸話は、ほとんどが嘘っぱちってことだった。
そうは言っても、データは完全にひとつの結果のみを示すものではないと思うし、実際制御できないほどの悪を内面に抱えた人間は存在するだろう。
それに、わたし自身だって自分の中の悪いものを野放しにしない努力が必要な人間でもある。
なにしろ、『こういうことをする自分を好きでいられるか』という定規を常に片手に握って、自らを見張っていないとだめなんだから。
だからなんとなく、みんな同じようにそうやってるのかなーって思いながら生きてきた。
一方この本の視点は、そうした個人の意識サイドではなく、社会から見た個人の〝性悪説〟についての話。
いわく、社会を支配する側にとっては、性悪説を基にして社会を作る方が都合がいいのだと。
自分たちが見張られ導かれ護られないといけない存在だと信じ込んだ人々は、制度に従うことに抵抗がなくなるんだって。


…え?
そんな観点を誰も教えてはくれなかったから、なんとなく人はみんな自分と似たような感じかと思っていたけど、もしかしてみんなは悪い考えが全然頭に浮かんだりはしてない…のか…?
勝手に人類みんなの共通認識みたいな気になってたけど、信じ込まされていただけ…?
いやわかんないわかんない!
するってぇとこの本がわたしにもたらすものは、まずは人類の未来への希望ではなく、自分がヤバい人間かもっていう絶望なんだが…⁉︎


さて、混乱したままここから話が急にエブエブに飛ぶ。



映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。
春先に劇場公開されていた時に観に行こうと思っていたのだけれど、いかんせん個人的に非常に時期が悪く(例のツアーチケットの件に心身ともに翻弄され過ぎていて、すっかり失念しました🤯)、観そびれてしまった作品だった。
SF、しかもぶっ飛んだ設定と内容という前評判だけで、なんか知らないけどものすごく好きな匂いがしていたのに!
その心残りの映画が、最近になって配信で観られるようになっているのに気付き、早速観た。


本当に、かなりぶっ飛んだ設定の内容だった。
SF好きなわたしでも、始まってから3分の2くらい進むまでは呆気に取られ続けたし、そのスピード感に追いついて内容を理解することも難しかった。
けれどもふいに、それまでの目まぐるしい展開のせわしない映像から、すべてが止まったような瞬間がやってきた。



これはなんと、母(主人公)と子の姿。


このシーンで、わたしは泣いた。
出てくるのは石というか岩だけ。
15秒の短いCMにすら泣く涙腺故障五十路のわたしではあるが、自分が岩に泣かされる日がくるとは思わなかった。
物語はマルチバース(っていうの?)、並行して存在するいくつもの世界というものが基盤になっていて、この寂寞とした光景もその数多ある世界線の中のひとつだ。
でも、生き物が存在する条件の揃わなかった、何もない何も起こらない、見放されたようなこの無機世界でだけ、見えてくることがあった。
そうしてこの動きの無いシーンをターニングポイントのようにして、以降の主人公の心持ちが大きく変わっていく。


そうして、この岩のシーンから結末までの約30分の間に、わたしの頭には唐突に、2年以上前のあの〝Festaナムジュン〟が思い浮かんだのだ。




…やっとここで半分だな。
疲れたので、今日は一旦ここまで。











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