寧日

仕事に追われる日々。休日は録りためた録画番組やラジオを聴く。
涙を気がつけば流していなかった。ただ本気で笑うのも最近は少ない。Mr.Childrenの「くるみ」を思い出した。

あれはたしか浪人生のとき、歌詞に耳を傾けるようになっていた。現状、未来、過去の自分と歌詞を照らし合わせてよく勇気をもらっていた。あるときは歌詞に共感して泣いたこともあった。

友達なんていない。志望校合格、ただそれだけを目指して予備校に入ったのだから、友達を作る必要はないと思っていた。しかし、それは間違いだとすぐに気付いた。毎日同じ時間に同じ科目、休日も塾に行って自習。週単位での無限ループにおかしくなりそうだった。帰り道「ねぇ くるみ…」と自然と口ずさんでいた。その声は少し上擦っていた。

そんな日もあったなぁと思い出しながら、曲を聴いた。
やっぱり、歌詞が心を揺さぶる。
やりたいことかぁ、それが向いているかやできることかもわからず不安だ。
不安だから今の仕事を辞める勇気も持っていない。というより判断がつかないの方が正しいのかもしれない。

「諦める」と「逃げる」と「辞める」の違いって何だろう。
自転車に初めて1人で普通に乗れるまでってたしか、
親とかから乗り方を教わって、親に後ろで補助してもらい、
ようやく1人だけで漕いでは転んで、漕いでは転んでを繰り返して
やっと1人で普通に乗れるようになったんだっけ。
この頃って、漕いでも転ぶし、全然1人で乗れないから「向いてない」って思って「諦めよう」とは思わなかったのかな。転んで痛いし、(当時は)道のりが長いから「ツライ、しんどい」って思って「逃げよう」とは思わなかったのかな。結果1人で乗れるようになったけど、もし仮にできなかったとして、どこまで自分で試したら「辞める」って心の整理になるのだろうか。

転職をする人の気持ちの変化を知りたい。
「諦める」と「逃げる」と「辞める」からどうやって「辞める」を選べるようになったのか。
「やりたいことが見つかったから"辞める"を選択できたんでしょ?」と頭に浮かんだ。「いや、やりたいことを見つける=次の仕事より今の仕事は合っていない、とどうやって判断できたんだ?」ともう1人の自分が唱えた。さらにそいつは畳みかけてくる。「それに自転車と同じように、今はしんどくてももうちょい頑張ればコツが見えてくるよ、とよく聞くだろう。"手に職"という名の"武器"が手に入るよ、とか。」と。納得できるが、
「やりたいこととできることは違う、という話なんだろうな。」と思った。

高校生のとき、昆虫とか好きだけど生物のテストの成績はあまり芳しくなかった友達(A氏としとく。)がいた。
その成績を見た別の友達が「昆虫とか生物系が好きなのに、テストはあんまよくないんだね」とA氏に言うと(今思うとなかなかキツイ質問だな)、
「好きなこととできることは別なんだよ!!」と言っていた。
あのときはピンとは来ていなかったが、今はよくその言葉を思い出す。共感でしかない。

できることには越したことはない。ただ、「やりたいこと」「好きなこと」はできてもできなくてもいいんだろうなって思った。

はぁ。となると「辞める」という選択肢を選べないのは、やりたいことを本当に見つけていないか、見つけても「できない」などと不安に思い、「見つけていない」と無意識に自分を騙しているのかのどちらかなんだろうな。

総じて心が落ち着かない原因の1つは「やりたいこと」も「不安」も「友達作り」も動こうとしていないからなんだろうな。歯車が噛み合うように努力していないんだ。「友達を作る必要はない」そんな思考を隠れ蓑として「友達ができない」事実をひた隠しにしていた。「やりたいことなんてない」そんな思考も隠れ蓑にしているんだ。

なるほど。書いていくうちに考えが整理されていく。
心穏やかな1日が訪れる、そんな日に向けて、
これからもふと思ったことを書いていきます。

Mr.Children「くるみ」
https://open.spotify.com/track/5vwPzjS4BKdeAOXFqN8bqa?si=bXqSr9NwS16hPvOiKcZ5jg

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