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未婚シングルの忘却

ブラザーのみなさんおはようございます。マリエです。
私は31歳のときに妊娠して”未婚シングル”を選んだ当初、その過程をYouTubeにUPしていた。

今でも一部動画を残していて、年に数件ほど、おなじ立場の未婚シングル(予備軍or進行形)の方からメッセージをいただく。未婚シングルの方から、マリエの動画で救われたという言葉をいただくのは、とっても嬉しい。マリエ冥利に尽きる。来世もマリエに生まれたい。(だまれ

妊娠発覚から産後1年ほどは、私のなかに「自分は未婚シングルである」というアイデンティティが少なからずあった。しかし、3~4年経った今、そのアイデンティティはもはや消え去っていた

オレとお前と大五郎でしかない

「未婚」とか「ひとり親」といった自認が、産後1~2年は自分のなかに色濃くあった。しかし、先日DMで未婚シングルさんからうれしいメッセージをいただいたとき、「そうか、あたくし未婚シングルだったんですね」と突如として思い出す自分に気づいた。すっかり忘れていたぽよ。

じゃあ今自分たちをどう認識しているかというと、オレとお前と大五郎とマリエくらいの認識だ。(は?

つまり、単なるマリエであり、単なるお子、だ。個人VS個人みたいなイメージ。オレはオレだし、お前はお前だし、大五郎は大五郎。
今は自分を何かしらの属性で括ることがないため、もはやひとり親という認識も薄いし親であることすら忘れかけている(やめて

お前もオレも大五郎だ

私たちって比較的すぐに「属性」に寄りかかりたがると思う。「学生」とか「社会人」とか「おとな」とか「こども」も含め、女も男も既婚も独身も何かしらの属性で自分や他者を理解したがろうとする。

でも、私たちって誰もが本来すっ裸の生身の人間なのよ。(服は着てね
本来の人VS人であることを忘れて、属性や肩書や立場で世界や自分を理解しようとする人を見かけると、「目を覚ませ」と言いたくなることは特になく、そういう人からはそっと離れている。さようなら。

令和のコミュニケーションを弁える

私のこの感覚は、とくにこれからの時代とても大事になると思っている。世間を騒がすあらゆるニュースや人間関係のトラブルを見聞きすると、「人対人」の対等なコミュニケーションが取れていれば防げたことが大いにあると感じる。

先日、某商談会に参加したところ、あるブースの担当の男性が私のことを無視して後からきたスーツの男性の相手をし始めた。まるで私のことが見えていないかのような対応で、「うわぁ、懐かしい」と思った。

昔私がマーケチームにいたころ、20代の女の言うことをおじさんたちは誰一人聞いてくれないことを知り、まったく同じことを別の先輩の口から言ってもらうことですんなり意見を通せるようになったあの時のことを思い出した。まだここにも生き残っていたか・・時代はもう令和やぞ

ひとりの人間として生きる覚悟をもつ

これから私がCommuComでやりたいことは、「どうやって自分というありのままの存在を生きるか」みたいなことであって、自分という人間を受け容れることができるようになってようやっと、多様な他者を受け容れる器が広がりはじめる、そんな風に私は考えています。(これ説明ムズイので、CommuComで段階的にお伝えしていきます)

「私は人見知りだから」「私はコミュ障だから」とか括らずに「オレもお前も大五郎なんだ」という気概をもって生きていきたいと思っております(すみません怖がらないでください

なんとなく、自分のなかに「未婚シングルが消えたな・・」とふと思ったので夜分の更新でした。おやすみなさいませ。


※焼酎の大五郎さんは語呂の良さだけで使用しております。アサヒビールさん勝手に使用して申し訳ございません。

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