10月のプールに飛び込む葛藤と衝動

中学生・高校生ぐらいの頃に持っていた、根拠のない全能感と焦燥感はいったい何だったのだろう。
(いわゆる中二病だよねと言ってしまうと味気ないのでそれは言わないことにする。)

あの頃はあの頃で、辛く苦しいこともたくさんあったように思う。
しかし、今となって振り返るとそんな日々も美しいものだったような気がする。
記憶の断片は真実より美しく補正されてしまうことを差し引いても。

そんな内に秘めた葛藤と危うく美しい衝動を抱える、いわゆる「青春時代」の一コマを感じられる大好きな曲がある。

欅坂46の「10月のプールに飛び込んだ」である。

欅坂46“幻の9thシングル表題曲”として改名間際にフル音源が解禁。
1st~8th各シングルとの対比といった観点も含め、大変に賛否両論のあった楽曲・詞という印象がある。

本稿では、欅坂46の歴史における9thシングルの状況は一度置いておく。

ごく個人的な偏愛に満ちた捉え方となるが、この曲に見るストーリーの解釈について、歌詞やパフォーマンスから受ける印象を引用しながら書き残してみたい。
(パフォーマンスについては、欅坂46 THE LAST LIVEにおけるこの曲の印象から記載している。イオンカードを作っておけばまた別の10プが見られたのかと思うと大変に悔しい。)


穏やかなピアノの音色からイントロが始まる。
感情の高ぶりなど微塵も感じさせない雰囲気だ。

チャイム 聴こえないふりをしていた
WOW WOW
校舎の裏側 非常階段で一人

この曲における“僕”の日常が垣間見える。
クラスに溶け込めていないのだろうか、学生生活がうまくいっていないのだろう。

休み時間にわざわざ校舎の裏側まで行き、人気のない非常階段に逃げ込むところに”僕”の臆病さを感じる。
そして、授業の開始を告げるチャイムが鳴る。

「ふりをしていた」の後から入るストリングスの音色に、クラスに戻らなければいけない“僕”の緊張感を読んでしまう。

あんなつまらない授業なんか出たくない
空は真っ青だ こんなよく晴れた日をどうする?

授業をつまらないと言い切り、クラスに溶け込めない自分を正当化したい“僕”。
一方、空を見れば快晴。“僕”は小心者で臆病ゆえ、そこに居続けられなくなってくるのだろう。

 大きなポジション移動もなく、弧を描くように滑らかな動き(曲中通して現れるこの動きは、穏やかなプールの水面のようにも思われる)が特徴的で、これからどうするか迷い葛藤する様子が感じられる。

校庭 眺めながら いいこと思いついた
ここで不平不満言ってサボっててもしょうがない

フェンスを乗り越えよう

臆病な“僕”は、ついに自らを正当化する術を見出す。
ためらいを感じさせる滑らかな動きに加えて、徐々に他の動きが見えてくることにも緊張感を見る。
そして、「フェンスを乗り越えよう」の後にあるブレイクに、臆病な“僕”が持つ緊張感の高まりを感じる。

10月のプールに飛び込んだ僕を笑うがいい
制服のまま泳いで何を叱られるのか
そして冷たい水の中で わざと飛沫を上げて
誰にも邪魔をされない本当の自由 確かめたかった

臆病さを正当化する手段として、“僕”は秋空の中プールへ飛び込んだ。
そして、自ら「笑うがいい」「何を叱られる」と言い、正当化を深めていく。

“僕以外”に出来ない(と思っている)ことをし、自分の意志で成し遂げたということを見せつけ、小さな自尊心を満たしたいのだろう。
「10月のプールに飛び込んだ」のはそれが一番の目的だったのだ。

邪魔を振り切る強い意志を感じるような、森田ひかるさんの開放感。
また、下手側から飛び出す藤吉夏鈴さんから、”僕”の中にある臆病さを感じる。
森田ひかるさんに導かれ組み合う様子から、臆病さを振り切ったように見える。

そして、振り切った先に現れる菅井友香さんの自信に満ちあふれた表情、”僕”の中に芽生えた優越感の表れのように感じられる。

何もしないのは 傷つきたくないってことだろう?
もっと ジタバタしてかっこ悪くたっていいじゃないか?

僕なりの抵抗で じっと息を止めてた
いつまでいられるだろう 水の中は平等だ

ゆっくり立ち上がる

10月のプールに飛び込むという「一大事」を成しえた”僕”は、優越感と共に”僕以外”の視線ばかり意識している。
自らを正当化する危うい思考が続く。そして息を止め、水中で優越感に浸り続ける時間を引き延ばそうとする。

「水の中は平等だ」という詞が印象的だ。
事を成しえて水の中にいる”僕”が、”僕”から見ればなにも成しえていない”僕以外”と「平等」でいられると感じている描写だと解釈している。
そして、平等さを噛み締めながら、その時間を感じて水中を「ゆっくり」と立ち上がる。

優越感を表すように1サビ終盤で現れた菅井友香さんと同様、2サビにかけて自らの優越感が増していくように、森田ひかるさんと同じ振りをする人数が増えてゆく。

10月のプールを泳ぐのはそうさ愚かなことだ
教室の窓 みんながこっち見て騒いでる
そしてずぶ濡れで震えてる僕は中指を立て
大声で言ってやったんだ できるものならやってみろよ

一大事を成しえたと感じている”僕”は無敵だ。
「そうさ愚かなことだ」と調子に乗る”僕”はその心情の危うさにも気づいていない。

”僕以外”の人たちは「騒いでる」のだと思っている。
無敵な”僕”は、呆れあざけられることに思いが至らないのだろう。
そしてその危うさのまま、中指を立てやってみろと大見得を切る。

 1サビから増した優越感が爆発するように、2サビでは全員が解放感に満ちあふれた姿を見せる。

びしょびしょの足跡が廊下に残っている
教師は何も言わなかった 僕に興味がないんだろう

教師は「何も言わなかった」と言うが、仮になにか言われたとしても「何も言わなかった」と感じただろう。

季節外れにプールに飛び込むどうしようもない生徒だ、という無敵さ。あえて教師に見せつけたように感じる。

上手側では平穏な表情を見せる中、下手側で優越感や衝動が残るような動きが残る。臆病さと無敵さがせめぎあう様子に見える。

プールには何度だって また飛び込んでやる
季節なんか関係ないのが僕の生き方だ

ただ秋空の中プールに飛び込んだということだけで、自らの生き方を見ようとしている。
みんなに騒がれようと、教師が興味を失おうと、臆病な”僕”がたどり着いた”僕”にしかできないことだと感じているのだろう。

「生き方」にたどり着いた”僕”が満たされるように、下手側も一度平穏さに支配され、ステージ全体が落ち着きを見せる。

その後ラスサビに向け、感情が増すように下手側の動きが増えていく。

10月のプールに飛び込んだ僕を笑うがいい
制服のまま泳いで何を叱られるのか
そして冷たい水の中で わざと飛沫を上げて
誰にも邪魔をされない本当の自由 確かめたかった

衝動のままプールに飛び込み優越感を得て「生き方」すら悟った”僕”は、穏やかな気持ちで自らがなしえた事を振り返る。

そして、自らの臆病さや現状そのものを変えることもなく、一時の「自由」を得た感覚を持ち、ストーリーの幕を閉じる。

田村保乃さんの穏やかな表情と動きから、”僕”が優越感にすっかり身を委ねている姿を見る。
1サビで意志を表した森田ひかるさんと、生き方にたどり着けた喜びを表すかのようにグータッチをする。
そして、横一列になり自信にあふれたような腕組みとともに曲を終える。



以上、偏愛に満ちた「10月のプールに飛び込んだ」の解釈である。

こう見るとほとんどが詞に対する解釈になっている。
他の欅坂46楽曲の歌詞に比べて淡い歌詞にも感じるが、それも青春の危うさを感じさせるようで大好きだ。

振付や曲に込められた内容について、公式にメンバー等から発言されていたかは全く考慮せず、ただ持論を並べている。

ここの部分は見解が示されている、これは違うのではないか、というようなことがあれば、ぜひご教示いただけると幸いです。

歌詞を引用しているとはいえ3,000字を超えてしまった、いつも好きな気持ちと文字数が比例しすぎてしまう。
note記事の文字数合計が卒業論文の文字数を超える日も近い気がしてきた。

読んでくださった方はおられるのでしょうか。
今度ゆべしを差し上げます。