供養メモ「三人の子どもたち」

 時々夢で人生を見せてくれる方がいます。
 わたしに見せるだけでなくたくさんの分かってくれる人に聞いて欲しくて、知って欲しくてなかなか離れてくれないタイプの方がいると寝つきが悪いのでちょっとだけ困ります。

 今回はそんな、なかなか離れてくれない三人の子どもたちの話を書き留めておきます。

 知らない家で二人の子どもと遊んでいるところから始まりました。とても広い一軒家で、部屋がいくつもありました。
 夢に実際の知人や家族が出てくることはほとんどないのですが、そこでは親族がほぼ全員一緒に住んでいました。
 二人の子どもは親戚の子のように振る舞っていて、大家族の賑やかさを楽しんでいるようでした。遊び、食べ、当たり前に受け入れていたのですが、ふと中学生くらいの女の子が「やっぱり違う」と言って別棟に行ってしまうのです。もう一人の小学校低学年くらいの男の子は親族と賑やかに遊んでいました。
 わたしは女の子を追うのですが、部屋が多くて迷います。二階で気配と音がするので向かうと、女の子ともう一人、先程の男の子とあまり歳の違わないくらいの男の子がぐったりと横になっている部屋にたどり着きます。
 男の子は風邪か何かの病気か、苦しそうでした。涙と鼻水、よだれでぐちゃぐちゃの顔を拭いてあげないと、と手を伸ばそうとすると女の子が止めるのです。

「そんなことしてもらったことない」

 女の子は話すというより見せる、脳内に伝える、といった感じで教えてくれました。

 ママはほとんど家にいない。わたしたち(三人の兄弟すべて)に興味がない。あなたの家族はとても優しいけど、そういうものは知らなかったから、違う。わたしたちはこういう暮らしだったから。
 ご飯が毎回用意されるでもない、具合が悪そうでも気にもかけてもらえない、お行儀を教えてもらったこともない。
 更に、女の子は脱毛症でした。将来日本人らしい上品な美人になるだろうな、と想像できる整った顔立ちなのに、まばらに抜けて少ない黒い髪を帽子で隠していました。

 どんな最期だったかは分かりません。
 少なくとも今でも姉弟が一緒にいるということは、同じ時に亡くなったのだろうと思います。もしくはお互いしか頼れずに、今なお集まって三人でいるんだろうな、と。
 想像するだに遣る瀬無い子どもたちでした。同情を求めているわけではないことは分かっていたので、そのまま、受け入れました。

 夢の話は敬遠されるかと思うのですが、起きてからも女の子は近くに居ました。
 そもそもわたしは霊媒体質なので、様々な方がふらりと寄ってきます。今回引き寄せた三人の子どもたちは、肉体を無くしたのちの摂理を知らずに彷徨っていたのかなと思います。

 書きながら理解したのは女の子が差し伸べられる手を取ることを知らなかった、ということです。二人の弟たちは、お姉ちゃんについて回っていただけで、女の子が行道を知らず、または気づかず通り過ぎて、今に至ったようです。
 あっちに行けばいいよ、と簡単な道案内をするだけで去っていく方のほうが圧倒的に多い中、何度言い聞かせても女の子はまだ居ます。

 行くべきところに行って、しばらく休むのもいいし、すぐに生まれ変わって今度は楽しめる人生を送るのもいい。女の子がその気になるまで、気長に付き合っている今日このごろです。

 蛇足としてわたしの霊媒体質はとても強いらしく、憑かれている人への応急処置、対応として少し集中すれば自分に移すことができます。
 よほどの理由がない限り、生霊でない限りこっちに来てくれます。
 わたし自身が取り憑かれても大丈夫な確固たる理由があるからやりますが、危険なので真似しちゃダメですよ。

 今はお盆でもあるので、お供えや読経、瞑想、お祈り、などなど、いろんな手段を使っていますが、供養の仕方はその時々でちょっと変わります。
 でもお米、塩、お酒にはとても頼っています。それとお線香。
 
 さて、子どもたち、そしてこれからもわたしのところへやってくる方方が行くべきところへ行けるように、少しだけ祈りをお手伝いしてもらえると助かります。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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