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梨泰院クラスと人生観

パクソジュンの無駄遣いだ。
なんともあのいがぐり頭が気に食わず観るのを躊躇っていた私は、友人にとにかく観ろと会う度に激推しされてようやく見始めた。

結論:ただのドラマでは片付かなかった
私なりに色々思う部分があったことを書きたいように書いてみようと思う。

人間は紙のようだと私は思っている

真っ白な綺麗な紙。人生で嫌な事を言われたり、悔しいことが1回もない人なんて誰ひとりいないだろう。
真っ白な紙が、そうやって人生を過ごしていく中で折れ曲がりくしゃくしゃになり破れたり、色褪せて黄ばんだり…
このままじゃだめだとシワが伸ばしたり。

そういうくしゃくしゃになる瞬間、
誰だってシワが完全に伸びないしわがあると思うしかしパクセロイはそうじゃない。
毎回着実に紙にシワをついているはずなのに新品の紙のように確実にしわは伸びる。色褪せない。いつも真っ白な紙だ。


梨泰院クラスの魅力はただただパクソジュン演じるパクセロイが真っ直ぐすぎるところだろう。
多少の生きづらさを抱えつつ、信念を曲げないセロイに劇中登場人物は感化され、生き方を変えていく。そして視聴者にも問題提起を投げかける。


劇中何度も苛つく。謝ればいいじゃんセロイ。
人間意にそぐわなくたって謝罪が重要なときがあるよ。でもそう思う度にセロイは自分の正しい道を選んできた。ただの復讐ではない。

彼は彼の生き様を自分のために貫いているんだと改めて実感した。
父が退職に追い込まれる瞬間を見たら、いくら父が前段に私を誇らしく思うなんて言ってくれても私だったら慌てふためく。
「やっぱりさっきの言葉訂正で!今から謝罪間に合います?」くらいの勢いでどんなに見苦しくても赦しを乞うてしまう。

しかしセロイはそこで自分を曲げない。
お父さんが大切でも、自分の生き方を尊重している。ある意味で自己中。


でもそうやって生きられる人が世の中にどれほどいるだろう。
何に関しても真っ直ぐに曲がらない。この世の中に生きている限り、人間は悲しいかな曲がってしまう。それが他人由来であれ、自己起因であれ。
それがどんなに地位や名誉があり金持ちでも変わらない。それが社会で生きることであり、人生であると思っていた。でもそれは生き方で変わるんだ。
ドラマであれ、作者がここまでセロイを曲がらずに描ける事に私は感動した。


スアの途中の葛藤は痛いほどわかった。
そちら側の人間だからだろう。
眩しかった。相手が異次元の眩しさを放っていた。同じように決して恵まれてはいない、一筋縄ではいかない環境で育ち、ましてやそれ以上に色々な事があり。なのになぜセロイは変わらないんだろう。変わらない以上に強くなっているんだろう。心情が手に取るようにわかった。
だからなんだかんだスアは15年もセロイの愛を信じたかったのだろう、とぼんやり思った。


私はそこまでドラマにハマらない。

結局は私に関係のない世界だから。
どちらかと言うとサスペンスが好きだ。愛とか恋とか、人のなんとも言えない感情やらを主体に作られた話にあまり興味がない。サスペンスは事件やそこに至る動機が必ずある。それが「なんとなく」という理由であれ、「なんとなく」に至った過程が絶対にある。

しかし梨泰院クラス、こんなにも真剣にあれやこれや考え遂に文字にまで起こしてしまったドラマは初めてだった。

いがぐり頭を馬鹿にしてごめんパクソジュン。
見た目で判断してはいけない!とタンバムで働くみんなに、いなされた気分になる。
友人にも丁重な謝意を述べ、私はこの話に出会えた事に感謝した。


幸せになりたい。幸せでいたい。
幸せの形は違えど誰しもそう思うはずだ。
特にわたしの好きなkpopアイドルたちはとくに
「みなさん幸せでいてください。」をよく言う。
それをセロイは幸せはあとでいいと言う。
その強さやひたむきさが、現代の大半の人間と乖離しているところが好きだ。

主人公は誰でもなれる。
でも主人公の中の主人公は間違いなくセロイだ。

今日も私は朝からStart overを聴いている
start over 「もう一度やり直す」
そう何度だって間違えたらやり直せばいい
自分の価値を自分で下げて安売りするな
私も胸を張って生きていこう。紙がどんなにしわくちゃになっても努力して何度でもシワを伸ばしていこう

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