世界を広げる一挙手一投足


この記事は定期ゲ・鶏 Advent Calendar 2019の三日目の記事です。

はじめに

 表三日目を読んでくださった方々、ありがとうございました。読んでない方はこの機会にどうぞ(宣伝)
 縁あって、表三日目に引き続き、鶏二日目の枠をいただきました、しろつめくさです。よしなに。最近ではLO#A61(アルメリリ)、荊本稼働463(楠野環)あたりでやらせていただいてます。
 今回の記事は(半)リアルタイムでのやりとりができるゲーム(主にイバラ基準)における地の文についての、長文になりがちな人からのお話。なおこれも長文です。

地の文、どこまで書く?

 地の文 - コトバンク
 まず「地の文とはなんぞや?」ということから定義しようと思って調べましたが、省略します。リンク読めばだいたいわかるよね、というかこっちで改めて説明するまでもないよね? となるくらい平易な言葉で定義されているので……おおよそふわっと使っている用法で間違いない、と。

 さてこの地の文、どのくらいの文量を割くか、というところが人によってかなり差異があると思いますが、いかがでしょうか。ゴリゴリに省略キメたワンセンテンス未満の最低限の描写で送り出す人から、セリフの3倍5倍は軽く達するという重量級マンまで。私は後者なので、400字ギリギリまで描写することも時たまあります。
 こればかりはおのおのの好みや触れてきた環境諸々で変わってくるところではあると思いますが、もし「長い地の文が苦手!」って人がいたらこう……力になれたらいいな……くらいのアレで書いています。

 なお、別に「短いから悪い/長いから良い」ということは一切なく、自身の満足できる水準で相手に伝わっていればいい、というのが個人的な結論であり、長い地の文を流行らせよう/短い地の文を糾弾しようという意図は一切ないことを予め断っておきます。

世界の「解像度」

 個人的に呼んでいる概念で、解像度という語自体の用法としては誤用なんですが、どことなくイメージしやすいのでこのまま使わせていただきます。
 通常の解像度同様、高い/低いの軸で程度を表現し、「高いほどはっきり想像できる」「低いほどぼんやりしたイメージになる」といった感じの概念です。なお具体的数値は存在せず、適当に相対的な高低で使っています。

そのひとことで世界ははっきりする

 さて、その世界の解像度を高めたいとき、どうすればいいか。いの一番に思いつくことと言えば、「描写を増やす」ことですね。それだけで情報量はぐっと増え、イメージが伝わりやすくなります。
 たとえば、「笑った」とだけ書くよりも、「堪えきれなかったようで、抑えながらも笑い声が漏れ出ている」「ガハハ――大きく口を開け、豪快に笑った」「皮肉っぽい笑みを浮かべて、静かに笑った」etc...
 勿論ここまで長くかかずとも、「にっこりと」「恥ずかしそうに」「豪放に」「自嘲気味に」といった風に、一言付け加えるだけで解像度は格段に高まります。このあたりは皆さんだいたい意識無意識を問わずやってらっしゃるだろうな~というのはありますが。

あたかも眼鏡をかけたかのように

 解像度上昇のための話第二弾、比喩です。上の話にだいたい含まれる感じですが。
 「比喩」、一般的な単語なので最早説明を要しないと思います。明言して喩えたり明言せず喩えたりしろ。

 たとえば、「赤い」という表現を単体で投げると、「赤い」という表現自体が取りうる幅が広いため、受け取れる印象に幅があったりします。そこで、「鮮血のように」「夕焼けのように」「薔薇のように」「茹でたエビのように」「炎のように」と比喩(直喩)を用いることで、色味を限定して伝えたり、あるいは喩えた対象の持つイメージすらも取り込んで印象づけたりといったことができます。ただ逆に、喩えた対象の持つイメージに引っ張られて印象づけてしまったり、喩えた対象とイメージが離れすぎていて逆に印象がぼやけてしまったりといったリスクもあります。お手軽ながらかなり強烈な効果を発揮することもあるので、喩える対象の選定は慎重に。

 例を挙げやすい直喩を使いましたが、勿論暗喩だろうと慣用句だろうと効果もメリットデメリットも一緒で、要するに、「自分と相手との間での、共通して存在しているイメージを使って解像度を上げる」やり方ですね。

定規は雄弁である

 これもまた上の方の話と関連してくるのですが、「数値」という標準化した物差しを使うことで固定したイメージを投げつけることができます。
 というのも、「大きめ」「小さめ」くらいだとこれまた人によって感じ方が違うわけで……子供の頃、親に「一口分けて」って言われて分けたら想像以上に取られてドン引きしたことありませんか? 俺はある
 厳密な数値でなくとも、「約〇〇」「こぶし大」のような「だいたい」がわかる表現、あるいは「大きめ」「小さめ」のふんわりした表現でも「普通のものと比べて/比較的」のような注釈を挟んだりすると、ある程度ながら同様の効果が見込めます。比喩の表現に倣えば、「自分と相手との間での、共通して存在している尺度を使って解像度を上げる」やり方、とでも言いましょうか。

見える心、見えない心

「彼はそう思った」「彼女は悲しんだ」……心情や思考を地の文で語るの、これも個人的にはやる派やらない派分かれると思っているのですが……あなたはどっち?
 これもやはりケースバイケースなことが多い(お相手がいるかソロでやってるか、心理戦のような状況か、等)とは思いますが、とりあえず自分の話をします。私はこれを避けたがる方で、それというのも、「キャラ同士が話してる場において、心情/思考を直接描写するのはカンニングみたいで気が引ける」なんて心理が働きまして……代わりに、動作や様子を好んで多用しています。
 たとえば、

嬉しいなら「顔をほころばせた」「小躍りをした」

悔しいなら「唇を噛んだ」「歯ぎしりをした」

悲しいなら「目を伏せて」「沈んだ声で」

恐ろしいなら「その(唇/手/肩など)は震えていた」「虚勢を張るように」

悩んでいるなら「首を傾げて」「言い淀んで」

 のように、相手に見える形で表現しています。心は見えないけれど、表出する動作や様子は見えるわけで、

相手を刺すために自分を刺す

 飯の解像度が上がると腹が減る(断言)
 などという冗談は置いておいて、「読んでお腹が減る/食べたくなる」、「読む飯テロ」に挑戦してみませんか?
 というのも、コレなんだかんだでいいトレーニングになるんですよ。自分の腹が減るという致命的な欠点があるけど。
 やり方は簡単!「飯を想像して」!「おいしそうに」!「描写する」!説明!これだけ! とりあえず、順を追って説明していきましょう。

1.飯を想像する
 とりあえず読者を殴る武器になる飯を想像します。ラーメン? 丼もの? お酒のつまみ? お菓子? なんだっていい! ともかく、何を想像するか決められたら、ディティールを詰めていきます。ここでは上げた解像度がダイレクトに自分に襲いかかってきます。ほとんど自傷行為ですね。覚悟しろ。どんな要素を詰めてるか、個人的に気にしたことがあるものを置いておきます。

 見た目。大きさは?質感は?表面の様子は?焦げてる?湯気は?色合いは?盛られてる皿の様子は?

 。音を立てている?アクションを起こした時にどんな音がなる?噛んだ音は?供した時(あるいはテーブルに置いた時)の音は?

 香り。そもそも香ってくる?どんな香り?香り方はどんな感じ(ふわり/鮮烈に/爽やかにetc...)?口に含めば香りは鼻に抜ける?

 。大雑把に言うとどんな味(甘/辛/苦/塩/酢/脂)?あっさり/こってり?後味は?

 感触。食感は?箸やフォークで触った時の印象は?混ぜた時の抵抗は?箸で掴める?

 ……とまあ、言語化できただけでこのくらいあります。普段はかなり感覚でやってるので全て挙げられたかといえばノーですが……

2.おいしそうに描写する
 想像できたら、あとはひたすらおいしそうに描写します。簡単二段階。
 ……と簡単に言ったところで、字面に比してかなり難しいのが世の理。ということで、少しだけ。
 料理をおいしく感じる要素、とは一体なんでしょう? 人により色々と分かれるところはあると思いますが、いの一番に上がるのは、まず味でしょう。
 でも味は口に含むまでわからず、それにはお相手さんが「食べる」ところまでいかなくてはなりません。なので、味意外の――もっと詳しく言及すれば、「料理が目の前に供されて、そこにある」までの状態でいかにおいしそうに見せるか、に注力をします。

 ここで活きてくるのが、1.の項目で想像した要素。その中から(触れたり食べたりしないとわからない)味と感触を除いた、見た目//香りの3つを軸に、自分が美味しそうに感じる要素を意識しつつ、(できれば時系列に沿って)描写していきます。

 たとえば、「飲食店で軽食を頼んだ時」のシチュエーションの一例。

前後の文脈を受けての導入
 ――そうして、あなたが広げた新聞を中程まで読み進めた頃。
 こつり、こつりと後ろから近づいてくる足音。それはあなたを追い抜いて、はすむかいで止まる。
「お待たせいたしました。ご注文の――」
目の前に登場する料理
 コトン、と鈍い音を立てて皿が置かれる。同時に目の前に広がる、トーストの香ばしい香り。
「トーストサンドでございます」
料理はどんな様子を放っているか?
 こんがりと、きつね色に焼けた食パンの焼き目が眩しい。真っ白い皿とのコントラストは、実際に見るとなお鮮やかだ。
 具材も、写真とは寸分違わぬほど――いや、むしろ多いまである――に詰められており、食べごたえを期待させる。ツナフレークと刻み玉ねぎ、そしてクラッシュしたゆで卵をマヨネーズで和えたものに、スライスしたきゅうり。ところどころ顔を覗かせる、粗挽き黒胡椒もまたにくい。

 さっくりと書くとこんな感じ。めっちゃおなかすいた。
 勿論、手渡すタイプ(包み紙に入ったコロッケ等)については、「持った時にどんな感じがするか(重さ/手触り/温度etc...)」まで、「受け取れば~だろう」みたいな感じで描写しちゃっていいと思います(相手側も受け取った時のフックになるため)

「創造性」と「想像性」

 オリジナルの料理とか、造形とか、とかく「新しい/創造的な」ものを描写する機会、あるんじゃないかと思います。通じたらすごく楽しいんだけど、伝えるのにすごく骨が折れる……そんな時はこれ!「諦める」!!!!
 ちゃんと筆を割くと、『「ちゃんと通じること」と「伝えるのに骨を折ること」とは車輪の両輪のようなものであり(勿論例外はある)、楽に伝わるという考えは諦めて捨てること』、という感じになります。
 というのも、オリジナルのものはあなたの頭の中にしかないわけで、お相手からすれば想像の手がかりすらない未知の領域。それを瑕疵なく伝えようとすれば、どうしたって文章を割く必要が出てくる、と。上手い具合に比喩や物差しを活用すればその分すっきりとした文章で伝わるでしょうけど、その労力(語彙の選定や文章の推敲)はやはり相応にかかることを覚悟しておいたほうがいいです。言葉の引き出しがすごく、比喩のセンスがある人ならさくっとやってのけるかもしれませんが……

 なんにせよ、「創造性」と「想像性」はまず両立しない、ということを念頭においていただければと思います。

細部に神を宿せども大本を枯らすことなかれ

 細部の細やかな表現に気を取られて、大本の流れが疎かに、あるいはどん詰まりしてませんか?
 これは自戒なのですが、こだわるのは大事なことだけれども、あんまり時間をかけすぎて大本を犠牲にしては無意味なので、ほどほどで満足する癖をつけておくとよいです。私はできてないので滅茶苦茶レスに時間かかったりします。
 細部への細やかな気遣い、及びそこに考えが至る向上心は確かに美徳であり、そこを咎めるつもりは一切ないのですが、それが転じて大本を蔑ろに、疎かに、あるいは壊死させてしまうような本末転倒な行いとなれば話は別です。

 今まで色々と細かい部分を書いてきましたが、それはあくまでプラスアルファ。あくまで表現をよりよく、あるいはより伝わりやすくするためのおまけにしかすぎません。もしこれまでの記述に心を囚われて筆が一切進まなくなったりした場合は、一切の容赦なく忘れてください。これは他人の力になりたい、あるいは力になれそうだという自己満足のテキストであり、決してあなたの筆を、息の根を止めるためのテキストではありませんので。

おわりに

 12/2枠なのにこの時間に投稿したの、一見遅刻なのですが、遅刻ではありません。だって登録して書き始めたの12/11だよ!?時間遡行するしかなくない!?
 ……まあそれはそれで時間がかかり過ぎというツッコミもむべなるかな、というところではありますが……
 これでもいくつかオミットした部分があるので、いずれその辺も文章化してどこぞに残しておきたいですね。

 なにはともあれ、地の文についての個人的なアレコレでした。感覚的にやってたことを共有したい……と思って言語化したので、なぜか自分が一番得るものがあった感じになりました。もしニーズがあれば参考にしていただければ幸いです。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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