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モヤモヤを書いて整理する

娘が小学校低学年のとき、学校から帰ってきて私に言った。

「今日ね、授業中ノートに絵を書いてたら、先生に絵なんか書いてんじゃないよって言われた。絵を指でグリグリされた」

涙をいっぱいためて伝えてきた。

詳しく聞くと、授業中ノートをとってて、娘はノートの端っこに小さいキャラクターを書き、そのキャラが喋ってるように吹き出しをつけて「ここ大事だよ!」「テストに出そう!」とか書いていたと。いいね。

つまり、娘なりに楽しいやり方でノートをとっていたわけだ。

「絵なんか書いてんじゃないよ」

授業中なんだから絵なんか書くな。ちゃんとノートを取って。私の話をちゃんと聞いて。なのか、たまたま生理前で機嫌が悪かったのか、どうしてそんな風に言ったのかわからないが、頭にきた。今は授業中だから絵は書かないでね、ってことなのかもしれないけど。にしても、それだけではないような気もする。

絵を指でグリグリされたあと、どんな気持ちだったんだろう、そのあとどうしたんだろうと想像してしまった。

指の圧で絵がこすれて黒くなったかもしれない。
何も言い返せなくて下を向いてしまったのかもしれない。
それ言われたあと1日どんな気分だったんだろう。

などなど想像してしまった。

帰ってきてすぐに伝えてきたから、帰り道の途中は、そのことで頭がぐるぐるしてたのかなぁ。


そもそもノートは自分が見るものだし、自分で作るものだ。

自分があとから見返したときに、わかるように書けばいい。作ればいい。絵があったっていい。誰にも文句を言われる筋合いはない。そこに絵を書くことで記憶に残ることだってある。

学校を苦痛に感じているのは知っていた。その中で娘なりに授業中を楽しくやろうとしていたのかもしれない。


先生に言われた一言で、ノートを楽しくとるのをやめてほしくないと思った。褒められるため、怒られないためにノートを作るようになってしまったらおかしなことになる。萎縮して何を得られるんだろうか。オリジナルキャラクターばんばん登場させたらいいじゃん。黒板をただコピーするやり方が合わなかったんだろう。


「ノートはあなたのものだから、あなたが楽しく作ればいい。自分がやりやすいように、わかりやすいように作っていけばいいよ。その中で絵が必要なら今まで通り書いたらいいと思うよ。もしまた同じことを言われたら教えてね」

そう言ったら「うん」って少し安堵のような表情をして、いつも通り自分のことをし始めた。


その先生からしたら、絵なんか「なんか」っていう存在なのかな、わかんないけど。娘は絵がすきみたい。

誰かに自分のすきなものを感じ悪く言われて傷ついて、ちょっとやめてしまってはさみしい。だって、それ好きなんでしょ?取り入れてみたんでしょ?「いいんだよ!」志村けんもいいこと言ってた。

その後、娘からその先生の授業中ノートについて特に何も言ってこなかった。

別の先生には「絵じょうずだね!」って褒められたらしい。これって、子供からしたら戸惑うような件だけど。「なんやねん思った!」と言っていた。


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もう何年も前のことなのに、この件を思い出してはいちいちムカムカするのなんでだろうなーと書きながら考えてたんだけど、個の領域に自分の都合で他者がズカズカ入ってきて、ぐしゃぐしゃってしてきたかんじがやだったんだろうな。

いやだなーって感じたことは、いいかんじ!と同じように大切な感覚だから、ないがしろにしないでいよう。何がいやだったのかがわかれば、何を大切にしたいのかもわかる。


言葉にすると意識できてるものだけじゃなく、無意識のなかにある形を成さない情報や可能性も浮上してくる

だいぶ前に茂木健一郎さんが言っていた。


とりあえず書いてみて、なにか発見があるのかも。



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