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すぐれた先輩

先日お世話になっているお寺のご住職に挨拶に行きました。
奥様がお花が好きで、生け花もされるので鉢植えをもっていくと軒先に飾っていただき、参拝のお客様が見ていかれ、「きれいですね」と言っていただけるそう。

以前は叔父と付き添いで行ったのですが、今回は一人で挨拶に行くのは初めて、高尚な方なので、ど緊張しました💦

ご挨拶すると、仕事の話をしてくださいました。

一つはすぐれた先輩について、もう一つは努力について

すぐれた先輩

「君の会社に尊敬する先輩はいるか?」
はい、います

「それは、そうやろ、いなかったら君の会社はなくなってんで?」
たしかに、尊敬する先輩ががんばってくれているから今の会社がある

「でも、新入社員はそれ分からんで?」
なぜですか?

「だって、見る目があらへんから、どの先輩がいい先輩かわからんやろ、
だから1年間じっと見るんや、どの先輩ががんばっていて、どの先輩があかんたれか」

「新入社員はすぐれた先輩の真似をしたらいいんや」
「学ぶの語源は真似ぶから来とるから」

なるほどと思いました。最近会社でうまくいかないことがあり、心に余裕がなくイライラしていましたが、この言葉を聞いて改めて考えさせられました。たしかに、さぼってばかりいる先輩しかいなかったら、会社がなりたつわけがないし。

努 力

「明日試合にだしたる言われて、君は素振り5000本するんか?」
はい、だしてもらえるならできるか分からないけど、挑戦すると思います。
「でも、その先輩には試合にだす権限もなければ、5000本振っても試合に出してもらえる保証もない、それでも素振り5000回するんか?」
答えることができなかった…
「これが努力や、努力には即効性はないんや
「なにもないのにやるんかが努力や」
「これができる人とできひん人が、人としての差ができるんや」
「手を抜くことは簡単でいつでもできる、自分の精一杯を出し切ることができ続けるかは自分次第や」

たしかに、努力には即効性はない、たしかにそうだ。努力したからといって努力が報われるわけでもない、努力が実る保証もない。それでも努力できるかどうかが人としての人格の差になるのか。

努力は自分磨きでもある、自分を磨き続ける。手を抜いたら相手には分かってしまう。そういえば木村拓哉さんも「手を抜くほうが疲れる」といったかっこいいセリフをいっていた。

いつもがんばる。精一杯を見てもらう。大変だがやってみよう!


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