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若年層は短時間で効率の良さを求める「タイムパフォーマンス(タイパ)」を重視する傾向にあるという。実際に高校生に話を聞いてみたが、それは事実のようだ。

業務効率を改善するのであれば実に結構な話だが、娯楽においてもタイパ重視で、映画やドラマも倍速で視聴するらしい。私は映画音楽や感情を込めたセリフなどが台無しになってしまうのでは?と考えてしまうが、それはオッサンの思考であり、若者の価値観とは合わないとのことだ。

ちなみに本も読まないらしく、YouTubeの本要約系動画で済ますとのこと。娯楽くらいはゆっくり時間をかけてはどうかと思ってしまうのだが… その割にタイムパフォーマンスを圧倒的に向上させる生成AIはほとんど使わないようだ。やはり価値観というものは時代と共に大きく変容する。

この「タイムパフォーマンス(タイパ)」の傾向は、娯楽も仕事も多様化したこと、また、情報過多の時代における若者の生存戦略とも言えるだろう。彼らは、限られた時間の中で最大限の情報を吸収しようとしている。

しかし、その一方で、生成AIのようなツールを使わないというのは興味深い。これは、彼らが自分自身の経験や知識を重視し、AIに頼らず自分たちの力で情報を処理しようとする姿勢を示しているのかもしれない。便利だからと何でも取り入れようとするオッサンと、便利が当たり前の時代に育った若者との価値観の違いかもしれない。

また、このタイパ重視の傾向は、新たな芸術形式や表現方法の創出につながる可能性もある。例えば、倍速で映画を視聴することで、映像と音楽の新たな調和を見つけ出す、あるいは、本の要約動画を通じて、物語の核心を短時間で理解することで意外な視点が生まれるかもしれない。

しかし、その一方で、この傾向は、深い思索や熟考を必要とする芸術体験や学習体験を犠牲にしているようにも感じる(これもオッサン的思考らしいが…)。映画や音楽、文学などの芸術作品は、その細部にまで作者の意図や感情が込められており、それをじっくりと味わうことで初めて真の価値が引き出される…と、オジサン考える。

また、学習や仕事においても、一見効率的でないかもしれない時間をかけた深い思考が、真の知識や洞察を生むこともあるのだ。誰もがそんな経験を持つだろう。持つよね??

タイパ重視の傾向は、新たな視点や可能性を開く一方で、深い体験や学びを失うリスクも孕んでいる。このバランスをどのようにとるかは、今後の教育や文化政策の重要な課題になるのではないかな… とも考えるが、結局人類はずっと若者にいちゃもんをつけながら生きてきたのだ。たぶんそうだろう。それでもしっかり発展を続け、失うものよりも得るものが大きい歴史を紡いできたのだ。

私は自分の考えを若者に説くようなことはしないと決めた。そんな者は老害なのである。

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