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何気ない人の集まりには必ず集まる理由、一体感の生まれる理由が存在する

仮想通貨・ブロックチェーンの業界に関わっていると、コミュニティの在り方やその中のコンセンサスの取り方についてあれこれと考えさせられることがある。今回は私が先週末に感じた他愛のない考えごとを披露したい。

ライブはグループの映像とともにどこか聞き覚えのある声で始まった。情熱大陸のナレーター窪田等さんの声である。あの聞き心地の良い声と乃木坂46の映像とがマッチし、前に広がる大きなスクリーンを見入っていると、次第に特定のメンバーがフィーチャーされ始めた。「…生田絵梨花。この日はどんな予想外の輝きを見せてくれるだろう。」窪田さんの最後の一言を合図に曲が流れだし、生ちゃんの歌い出しで本編がスタートした。前回のコラムを読んでくれた人であれば、その後私が全力でライブを楽しんだことがわかるかと思う。

本題に入ろう。やはり音楽に限らずライブは素晴らしい。会場内全員が、お互いを知らないにも関わらず、コンサートをみんなで良くしようというコンセンサスのもと、一心にステージに集中する。ステージ側から見る景色、感じるパワーは私たちの想像を遥かに超えるものだろう。このような会場全体の在り方を見た時に、それを細分化したグループ推し、メンバー推しというのは何なのか?そもそもアイドルとアーティストのライブでは何が違うのか?といったことを考え始めた。

私が思うに、アイドルの場合、多くの人が作られたアイドル像を追い求めてライブに足を運ぶ。つまり、会場内の私たちは音楽を媒介してアイドルという虚像を信仰している。みんなで聖歌を歌って祈る宗教のように、会場内全員でサイリウムを持って合いの手をすれば、その一体感は信者であれば誰であっても気持ちが良いのだ。一方で、アーティストの場合は、多くの人がアーティストの作った音楽を求めてライブに訪れる。つまり、会場内の彼らは音楽の主体的な消費者である。音楽を味わうことを目的にその場にいる為、ライブに過度な動作は必要ない。ただ身体を揺らして音楽を聞き浸っているのだ。

時代流行的には、音楽に限らず、どれだけアイドル的コミュニティを作れるかが重要なのかもしれないが、決してどちらの在り方が良い悪いという話ではない。両方の性質を備えたコミュニティすなわち演者を信仰しながらサービスを全力で消費するコミュニティも当然世の中には数多く存在するだろう。乃木坂46のライブの後にはナイトクラブで非日常的一体感を体感し、その翌日にはJリーグの開幕戦で会場そしてクラブサポーターの在り方を考えたがこれまた面白い。このように、何気ない人の集まりには、何か集まる理由、一体感の生まれる理由が必ず存在している。職業病かもしれないが、そんなことを考えた先週末が最高に楽しかった。何よりライブで見る生ちゃんは写真集以上に可愛かった。

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