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銀行員時代 法人営業部編⑤

いつからか琴葉は頻繁に家に来るようになった。週のどこか一日は僕が家に帰るとピンク色の髪をしたギャルがリビングの椅子に座っていた。どうやら哲誠とは学生時代の元恋人関係にあり、東京で再会して以来会う回数が増えたらしい。最初はこれまで接したことのない人種に一歩引いていたが、彼女とは話を重ねるうちに自然と意気投合した。彼女は誰とでもすぐに仲良くなれる稀有な社交性を備えていて、出会ったばかりなのに不思議と彼女のことを昔から知っているような感覚すら覚えた。

彼女が家に来ると決まって食卓にはお酒が並んだ。僕が次の日仕事であることはお構い無しに、哲誠と三人で朝まで家中のお酒を飲み明かした。お酒が足りなくなると三人で近くのコンビニに買い出しに行くのだが、帰り道に哲誠と琴葉の後ろ姿を見て「ガラ悪めなヤンキーカップルだ。」と内心に思ったことを覚えている。家では何かゲームで負けた人が飲むという学生のような飲み方をしていた。決まって負けるのは頭の弱い僕か琴葉。哲誠は、持ち前の賢さでゲームにはほとんど負けないのだが、琴葉が負けた時になぜか飲まされ潰れることが多かった。

休みの日には健友も含めた四人で新潟旅行に行くこともあった。日中は海辺で釣りをしたり滝を見に行ったり、夜は温泉に入った後お決まりのお酒を飲んで騒いで。流行りのAirbnbを使って民泊した時には、僕が泥酔して家主に入るなと言われた部屋でなぜか寝ていたり、朝起きて家主の寝ている部屋を無意識に開けてしまったり。そんな僕の奇行もあり、帰り道には車から花火を見ることもできて、終始笑いが絶えない楽しい旅だった。この旅行に限らず、琴葉がいる時はいつも楽しかった。彼女がいる間は、銀行のことも仮想通貨トレードのことも全て忘れることができたのだ。

ある朝目が覚めると、何やらリビングが騒がしかった。スーツ姿に着替え出勤の準備を済ませて顔を出すと、健友が焦った表情で誰かと電話していた。篤彦だ。篤彦はこの時東京には住んでいなかったが、遠隔でトレードのオペレーションに参加していて、時折健友や哲誠と電話することがあった。この時の電話では健友はなぜかやばいを連呼していた。どうしたの、と理由を聞くと、ビットコインが暴落して信用取引の追証が必要になったとのことであった。確か中国で全面的に仮想通貨規制が敷かれた時の話である。理由を聞いたすぐ後には「お金を貸してくれ。」と言われ、考える間も無く駅のATMに連行された。そこである程度まとまったお金を健友に手渡し、僕は何もなかったかのように銀行に出勤した。その時はよくお金を預けたなと思うが、今振り返れば新手の強盗である。

結局、そのお金のおかげもあって最悪の事態は免れたが、これを機に僕の中で現状に対する不安が急に強まった。百万を超えるお金を預けておきながら、その資金の向先である仮想通貨周りの知識が全く追いつかないのである。この時はちょうどSegwitのハードフォークを巡りビットコインが分岐するかしないかで議論が盛り上がっていた時期で、業界的にも次々と新しいことが起きていた。正直難しい、けど面白い。僕が仮想通貨・ブロックチェーンに対して持った初めての感想である。このまま銀行員としての日々を送りながらこの業界に深く入り込むには、圧倒的に時間も労力も足りないと思った。銀行員としての仕事もこの時は上司の指示を機械的にこなすばかりで、自分のキャリアにとって何のプラスにもなっていなかった。このままではどっちつかずの中途半端な人間になってしまう。"退職"という言葉が頭の中を過った。

一方で、別の不安もあった。健友と哲誠、二人のキレ者に果たして付いていけるのだろうかという不安である。僕は決して頭の回転が早い方ではない。彼らのスピード感に取り残される心配をせずにはいられなかった。健友は新人研修の全体スピーチでこう述べている。「僕はみんなが生きる速度の何倍もの速さで生きている。」と。自分から自信を持って言うように、彼は本当に生きる速度が速いのだ。哲誠も健友に何ら引けを取らない。銀行退職後、わずか半年でプログラミングを習得し、仮想通貨・ブロックチェーンの技術的な理解についても誰より深かった。そんな彼らに加わって、僕は何ができるだろう。考えれば考えるほど自分を卑下してしまい、銀行に残る方が何も考えることなく楽なのでは、と退職にブレーキをかける感情も働いた。

現状を変えたい、でもその勇気が出ない。おそらく大企業に勤める多くの人が一度は抱いたことがある感情だろう。大抵の人はここで大きな一歩を踏み出せず企業人としての道を突き進む。彼らは社会的信用や金銭的安定を手放したくないという保守的な感情をどうしても無視することができないのだ。僕の場合、あらゆる不安の壁を取り除いた最後に待ち構えていたのは、やはり親であった。親の期待に応えることがある種喜びでもあった僕にとっては、親の安心を不安に一変することがどうしても耐えられなかった。きっと親は僕のやりたいことを尊重してくれる。それを頭ではわかっていても、退職という言葉を口にして伝えることは躊躇われた。

そんな一歩を踏み出せない"大抵の人"の背中を後押ししてくれたのは琴葉だった。気づけば彼女とはお互いに良き相談相手になっており、僕は銀行退職に向けた話を、彼女は、後に哲誠と結婚することになるのだが、彼との話をした。この時たまたま当事者界隈で話せる相手がお互いであったというだけだが、彼女の存在は僕を勇気付けた。健友と哲誠とのことを話せば「会社としてやっていく以上、あの二人の間には絶対に剣真が必要だよ。」と僕の存在意義を肯定してくれた。親とのことを話せば「きっと親は応援してくれる、また安心させられるよう頑張れば良い。」と僕の気持ちを前向きにしてくれた。彼女の言葉で何かが変わる訳ではない。ただ、誰かに僕は大丈夫であると言って欲しかった。

僕はついに退職を決意した。銀行に残って自分の将来が容易に想像できる狭い世界で生きるよりも、新しく先の見えない世界で生きる方が楽しいと思ったからだ。何より健友と哲誠がいれば大丈夫だ、と思った。二人と一緒にいて自分に何ができるのかはわからない。でも、まずは必死に付いて行こう。そう考えを新たにした。親とのことについても、今の自分の想いを正直に伝えることにした。どうして退職するのか、自分が今やりたいこと、そして親への感謝。自分の心の内を全て話せば、親は全身で受け止めてくれると思った。たとえ、それが親の本意でなかったとしても。

次回、銀行員時代もいよいよクライマックス。職場上司とのやり取り、親とのやり取りを経て、晴れて健友と哲誠に合流するまでを描く。

#銀行 #法人営業部 #エッセイ

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