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銀行員時代の印鑑の思い出

今月の内閣改造でIT担当大臣となった竹本直一氏の「デジタルとはんこ文化を両立する」発言が大きな話題となっている。それもそのはず、竹本氏は「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」の会長も務めており、この利権保護とも受け取れる発言に多くの批判が集まっているのだ。案の定、SNS界隈では見るに堪えないコメントが散見された。そんな文句ばかりの集団からは距離を置いて、今回は私の銀行員時代の印鑑に纏わる思い出を振り返る。

○書類に印鑑をもらい忘れ、呼び戻し
支店研修時のあるあるミスNo1と言えるだろう。手続き書類に印鑑をもらい忘れた時には、電話でお客様を呼び戻し、再来店をお願いしなければならない。優しい人であれば快諾してくれることもあるが、大抵は電話越しに「あんたらのミスやろ、なんでやねん」とキレられる。そこをなんとか…と鬼謝罪しながらお願いし、それでもダメな時は上司に相談だ。上司が納得し”やむ無し印”を書類の備考欄に押すことで事態は収束する。

○印鑑を忘れるも近くの100均で購入し手続き
銀行は印鑑が手元になければ、ほとんどの場合、窓口のお姉さんに笑顔で突っ返されてしまう。しかし、身分証さえあれば、たとえ登録印を忘れたとしても近くの100均で買い揃えることで手続きすることができる。上記然り、本人確認は身分証でできるのに一体何の為の印鑑だよ、と思うだろうが、これは銀行が取引を記録する為のものなのだ。今回の騒動の中で印鑑をなくせと叫ぶ人がいるが、彼らは銀行の取引記録そしてその保存の実情を知った上で言っているのだろうか。銀行側は現行システムの非効率さをわかった上で、それらを代える莫大なコストを前になかなか足を踏み出せずにいる。

○印鑑への愛着やこだわり
何十年も銀行に来る度に使い続けた印鑑、子どもの貯金用口座を開設する際に購入した印鑑、会社の実印用でデザインにも凝った印鑑など、お客様の中には印鑑への愛着やこだわりを持つ人も少なくない。モノへの想いという意味では何も珍しいことではなく、手続き上は煩わしい印鑑であっても、文脈次第でその人だけの物語が生まれるのだ。このように見ると、盲目的に印鑑をデジタル化するのはどうだろう。たとえデジタル化されても、他と同様に違った形でリバイバルされる気もする。

○印鑑を押すということは責任を持つということ
行内に限っても印鑑は面倒臭い。上司からは、押印=責任である、と度々言われた。自分がある書類に印鑑を押したということは、その内容全てに責任を持つということである、と。業務多忙な先輩らは新人が作業した社内稟議の内容を十分確認することなく印鑑を押しがちだ。当然そこにはミスも多く、上司が見た時にはボロカスに指摘される。しかし、私の場合、その時に怒られるのは決まって先輩だった。部署によっては「後輩の手柄は俺の手柄、俺のミスは後輩のミス」の考えを持つジャイアンのような人もいるだろうが、私の上司(グループ)がそうであったように、印鑑が銀行の組織統制に活きている面もあるのかもしれない。

以上、ブロックチェーンの台頭によって電子署名などの議論はさかんになっているが、その社会実装までの道のりはまだまだ長そうだ。

#コラム #印鑑 #銀行

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