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映画「ジョーカー」を見て今年のハロウィンが不安になった

映画「ジョーカー」を見てからというもの、何だか気が重い。これまでは夜に寝ても夢を見ることはほとんどなかったのに、最近は連日のように目覚めの心情が暗くなるような夢を見る。自分の人間関係を振り返り、ちょっとしたことでも「あの時の言葉は大丈夫だったかな」と気にする自分がいる。きっとこの一時の落ち込みは映画のせいではない。何かの疲れによるものだ。でも、あの映画を見たからかな、と思わせる程に衝撃的な作品であった。

その人の存在そして思想が”社会的規範”たらしめるカリスマの誕生。それによって爆発するテロリズムやデモにも見られるようなアノミーへの反抗。どうして主人公はああなってしまったのだろうか。生まれながらの不幸と一言では言い表せない闇が次々と彼を襲いかかり、人としての優しさを忘れず微かに灯っていた明かりがその深い闇に飲み込まれていく。その様を“笑い”の変化によって巧みに表現した主演のホアキン・フェニックスは見事であった。

とは言え、こんな物語が成り立つのは、バットマンシリーズの舞台である、ゴッサムという腐敗しきった社会の世界観が映像の中にあるからだ。いや、果たしてそうだろうか。私たちが今生きる世界にも、どうすることもできない経済格差やコミュニティ格差は確かに見られる。やり場のない不満を抱えながら社会に押し殺されている人は、特に先進国には一定数潜在するはずだ。だとするならば、現実に”ジョーカー”が突如現れても不思議ではない。

来週10月31日は秋の恒例行事であるハロウィンの日を迎える。今年は映画の流行りもあってジョーカーに扮する人は間違いなく多いだろう。他にはどんな仮装がスポットを浴びるだろうか。そんな楽しみもありつつ、昨年のように、面白さをはき違えて誰かが問題を起こさないことを祈る。私は身体に金箔を塗りたくってビットコインマンの恰好でもしようか。今の相場を見る限り、そんなことをしても世間からは少しの関心も得られないだろうな。

と思ったら、今朝いきなりの急騰でBTC=100万円回復。ビットコインマン、ありだな。


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