神社の不思議(ビー玉)
その頃私は、医療施設で事務をしていました。男性の看護師さんが休憩中に、
昔ながらの瓶入りラムネを飲んでいます。
こちらを見て「ビー玉欲しい?」
と言いました。
その後はよく覚えていません。
数日後の休みの日のこと。
散歩中に地元の小さな神社にお参りして、いつも座って休むベンチでふと前方を見ると、キラッと光るものがありました。
私は、すぐに「100円玉みーっけ!」と立ち上がり、そばに行ってしゃがみました。
残念ながら100円ではなく、お日様の光が当たった、半分土に埋まったビー玉でした。
あ、ビー玉かぁ。
指で土をほじくって手のひらで転がし、
泥を落としてポケットに入れました。
その後、その神社の下の方にあるバス停から駅までバスに乗り、本屋さんに寄ってから帰ろうと思いました。
・・・・・・ 🚌 ・・・・・・
本屋さんで、まずは新刊コーナーに。
何気なく手にした本はコレです↓。
そして、最初に開けたページにあった言葉は、「明珠掌在」
ん?と続きを読むと…。
「明珠、掌にあり」という仏教でよく使う言葉があります。
明珠とは光を宿す透明な玉のことで、「仏の心」「悟り」を象徴しています。
悟りは自分の手にある。
すでに仏を心に宿しているのだから、
遠くに求めて迷うなということです。
なにーっ!
透明な玉‼️
と、思わずポッケを探りました。
さっきのビー玉のことだな。
人生が変わる
空 海
魂をゆさぶる言葉
名取芳彦 監修
宮下 真 著
2019年 永岡書店刊より
ということで、そのビー玉は畏れ多くも
仏心で、神社に埋まってたけど、ワタシも持ってます。ということです。
これは、いつもは本棚に飾ってあります。
インドネシアかな?
真鍮の小さな蝋燭立てを勝手に「本棚の神様」として飾っているので、蝋燭を立てるところにそのビー玉を置いています。
私は外に行く時は、仏心を留守番させているからいけないのかもしれません。
などと思うこともありますが、
ビー玉を拾った後に開いた本に、透明な玉が出てきて非常に驚いた時の話です。
後日談があります。
今年初めに、完全に忘れていた時に、
「明珠2号」が、またしても神社のベンチの今度は爪先のすぐそばに埋まっていました。またほじくってきましたが、どっか行っちゃったよ。
前回のは、ラムネのビー玉ならば、神社のお祭りの時誰か落としたのでしょう。
これはホントにビー玉だな。
と私にとっては不思議なことでした🙄。
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