【大学受験】心配性の親に反対されました
「勉強していい大学に入りなさい。」
親が子供に対して言いがちな台詞ですよね。
私の親はひと味違いました。
「大学受験せずに、指定校推薦で大学に入りなさい。」
指定校推薦の方が楽でいいんじゃない?と思う方もいるのかもしれません。
でも当時の私は全くそうは思いませんでした。
指定校推薦ってなに?
指定校推薦というのは、高校が持っている推薦枠で大学へ行くという方法です。
学内の成績上位からその推薦枠を使用できます。
受験せず、ほぼ確実に大学へ入ることが可能という素晴らしいシステムです。
この推薦枠は高校ごとに「どの大学のどの学部に何名推薦できるのか」が決まっています。
もし自分の志望する推薦枠がなければ、他の方法で入学するしかありません。
家庭内優等生だった私
私は特にグレることもなく、親から言われたことを素直に従ってきた子供でした。
高校生になってからは
ピアスを付けたいとか、髪を染めたいとか、アルバイトをしたいとか、
そういうことを言って反対されたこともありました。
それでも不貞腐れはしたものの、親のOKが出る前に無理やり実行したことはありません。
母はとても優しく子供想いで真面目な人です。
私は高校に自転車で通っていたのですが、雨の日は母が学校まで車で送ってくれたこともしばしばありました。
母は私の将来についてもよく考えてくれていました。
「かをりちゃんはファッションが好きだから、被服学科に行くといいよ。」
「〇〇大学は指定校推薦の枠があるから受験せずに行けるからラッキーだね。」
ファッションを学べるなんて楽しそう!と、他の道を考えることもせず、私はその道に進むことを決めました。
志望校を決めるまで
高校3年生になり進路を決める時期がきました。
担任から志望する大学名とその偏差値を記入して提出するように言われます。
母から勧められた大学を調べてみると、今通っている高校の偏差値より、かなり低い数値だっためとても驚きました。
そこで同じく被服学科がある大学が他にもないか調べてみると、よりレベルの高い大学を見つけました。
その少し後、学内で受けた模試の結果が帰ってきました。
まだ受験勉強に手をつけていない段階でしたが、レベルが高い方の大学の合格判定は「B」。
受験の説明会では、「E」判定の大学は今から勉強すれば合格できます!と先生が言っていました。
ならば「B」判定の大学も受かるのではないか?そんな気持ちが頭の中をぐるぐると巡りました。
自分の意思を伝えたとき
確実に大学へ行ける推薦枠を使わずに一般受験することは勇気が必要でした。
それでもやらない後悔より、やって失敗した方が納得のいく結果になるはずだと思い、受験することを決意しました。
やる気に満ち溢れた状態で、勇気ある決断をした自分にワクワクしながらも、早速そのことを母に相談しました。
すると想定外の返事が返ってきたのです。
「何のために車で送り迎えしてたと思ってるの?指定校推薦で大学に行かせるためよ。」
「大学受験しないで指定校推薦で大学に行きなさい。」
衝撃で言葉がでなかったことを今でも覚えています。
車で送り迎えしてもらっていたのは、母の優しさだと思っていたので悲しくなりました。
そんなことなら送り迎えしてもらわなきゃよかった、と。
続けて母はこう言いました。
「受験料を払うお金がない。」
自分で払うことができないので何も言い返すことはできませんでした。
助けてくれる人はいる
受験できないことに納得がいかず、諦めたくないと、悶々とした日々を過ごしていました。
母と担任教師の二者面談がありました。
面談から帰った母はなぜだか急に“受験頑張ろうモード”になっていました。
話を聞くと、先生から「かをりなら大丈夫」と言われたことで受験を応援しようと決心してくれたそうです。
母は私が受験に落ちてしまうことがとにかく心配だったようです。
自分が受験に失敗していたことをトラウマに感じているようでした。
私は先生に母に受験を反対されていることを相談していました。
先生が母へうまく話をしてくださったことで、今の私があるので、心の底から感謝しています。
自分の決断は貫きたい
何はともあれ受験できることになったので、そこからはがむしゃらに頑張りました。
自分で受験したいと言った手前、合格しなければならないという強い気持ちがありました。
いざ勉強を始めると、できないことが浮き彫りになり、一発勝負の入試に対する不安が大きくなりました。
それでもやらなければいけないことを確実にこなすことで、合格できると自分を信じて、目の前の勉強に取り組みました。
入試の結果は「合格」
自分で決めたことをやり切って、目標を達成できたことは人生で1番嬉しかったです。
この出来事は自分への自信にも繋がり、今でも自分を勇気づけてくれています。
自分1人ではできなかった
この結果を最も喜んでくれたのは母でした。
受験勉強を支えてくれたのも母です。
あの時、母を嫌いになりそうでした。
でもそれは、自分を信じぬくことができない弱さから、母に甘えていただけだったのだなと今では思います。
いつも私のことを想ってくれている母には感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな母のおかげで私は「自分で決める」ことができるようになりました。
「自分で決める」ことは、決断に責任を持つことです。
責任を持つことで人生を前に進めることができると学びました。
これからも「自分で決める」こと、周囲への感謝の気持ちを持つことを大切に、後悔のない選択をしていきたいです。
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