未来への不安を理由しない

一昨日の悩みを引きづって、昨日の昼頃まではら結論が出ず、グダグダと考え続けていた。だが、『答えを出せないんじゃない。単純に、出すのが怖いだけだ』ということに気づいた気がする。車購入の時もきっと同じだった。私の気持ち1つで、彼にも影響が及ぶことを分かっている。つい、考えてしまうのだ。私の出した答えによって、何かしらが必ず変化することを。それが良くない方向へとネガティブ思考に導かれることで、更に決断能力を妨害する。なんとなくいつも、同じようなことを記事にしているのかもしれないなと思う。事象の詳細が、その時々で変化するのは言うまでもないが、視点を変えて広く見たみた時には、だいたいが自分の決断を躊躇っている気がする。『自分の気持ちが分からないんじゃない。分かってるが故に、その先の未来を勝手に想像し、更にネガティブな思考に変換する。結果、自己解決に怯えているだけ。』これが自分の弱さなのかな?と今更気づいた感じがする。では、そんな心配するくらいなら、心配しないで済むような生き方を望んでいるのか?と自問した。でも、もちろん私の答えは「NO!」である。私は、『やりたいと思ったことを求め、叶えるために努力し続ける生き方』を望んでいる。ならば、未来への不安を理由に悩み続けるのは、100%私らしくない。ネガティブ思考の未来が現実になる保証なんてない。もし本当に起きてしまったら?更にそれ以上に予期せぬ事態だって、起こる可能性は潜んでいる。そんな、未確定&想像でしかない未来。今の時代を生きるているのだから、誰だって皆同じ。自分の未来に、答えなんてきっと無い。『今を生きる自分の生き様が、未来を生きるための原動力』となればそれでいいのかもしれない。

未来に対して必要以上に想像することは、私個人的には、幸せな生き方を自ら遠ざけている感じがした。自分勝手の過剰な想像によって、現在の生き方が大きく左右されるからだ。ポジティブな想像には、想像を下回った場合に「こんなはずじゃなかった」と自責の念を抱きやすい気がする。逆にネガティブな想像の時は、今回の私のように、本来の気持ちのままに生きにくくなる可能性が出てくる。そんな感覚を左右される原因は、間違いなく自分の考え方1つ。想像の結果、ネガティブな事態を回避出来たり、ポジティブな思考を叶えるモチベーションになったりする場合も、もちろんあると思う。ただ、少なくとも今の私は、未来への想像を膨らませ過ぎず、現実を受け入れて1歩1歩前に進み続けること。そんな考え方を優先して生きたいと自ら思ったのである。

悩みのきっかけとなった「ディズニーランドに行くか行かないか問題」の根本を、自分なりに紐解いた結果、私らしい結論に辿り着いたのかなと思ったりする。『私は、間違いなく今この時を生きている』という感覚を自ら育てることを大事にしようと思った。その先の未来、予期せぬ問題に遭遇したならば、未来の自分が、きっと乗り越えためのあらゆる手段を尽くすのではないだろうか。未来の自分を育てるのは、今の自分の生き方であるということ。遭遇したその時が、きっと未来の自分にとって、乗り越え方を身につけて成長できるタイミング。今からそんな心配を考え過ぎる必要はない。今回の悩みからは、未来の自分を信じられるような生き方を、もっと意識してみようと思ったきっかけとなった。そして私は今、頭の中はスッキリしている。明日以降、こんな日がいつまで続くのかと楽しみになっている。

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