私を幸せにする大切な存在とは

私がブログを初めて9ヶ月程が経過した今、私の起伏が激しいことは、読者の皆さんもきっと既に察していると思う。私は、起伏が激しいということはつまり、ネガティブな時ももちろんあるが、逆を言うとその分、ネガティブを余裕で超える程のポジティブで幸せを感じる時もあるということだ。最近の私は、ポジティブで幸せな時間を維持するために、自分のご機嫌取りが少しは得意になった気がしている。その根拠が今回のタイトルに因んでいるので、私の持論として発信したい。

ここ最近、数ヶ月くらいの話。直接的な続柄は、あえて伏せて投稿するが、個人的にとても近い関係性の存在の人の話。以前は、暇さえあれば電話する様な仲でもあった。性格的にはきっと正反対だし、お互いの価値観もなかなか共感できる時の方が少ないくらいだった。それでも身内な事に代わりは無いし、今の私が在るのも、間違いなくその人の存在のお陰である。そして、これから先も一生この関係性は揺らがないと思っている。だが何故だろうか。私の思考回路や自己理解が明確になったことで、毎回の会話のズレが大きくなる一方なのだ。相手からの発信に応じたはずなのに、私が持論を話し始めると必ず不機嫌になる。遂には、ボソッと小言を言われてブチッと電話を切られる始末である。私は、この行動に対しては特になんとも思っていない。この人は、こういうタイプの人だと分かっているし、きっと自分が満たされなかったことにイライラしているんだろうな。と、俯瞰的に納得しているからである。ただ、この時の私は、以前程楽しいと思う訳ではない。そのため、今では自分から連絡することはめっきり減った。相手もきっと、私との距離感を、なんとなく考え直しているのではないかと思ったりする。
そんなタイミングで、前回の投稿の友達との距離感が、再び近くなった。私が引越して家が遠くなった事と、その半年後に彼女の引越しがあった為に忙しく、一時的に会う頻度は減っていた。彼女の引越しが落ち着いたことをきっかけに、以前のような暇電を毎日のように楽しんでいる。彼女と私も、もちろんお互いに違う人間なので、先の話の人と同じように、性格も価値観も全く違う。なのに2人は何か違う。それは、きっと根本的な話で、『私が楽しいと思うかどうか』の違いだと思った。どちらも、私とは異なる価値観や性格の持ち主である。故に、私が楽しい!!と思う友達との共有時間を増やしただけで、ネガティブ思考な時間が減少傾向な現状なのである。これだけが理由であると断言する訳でもないが、要は、気持ちの問題だ。『類は友を呼ぶ』という言葉がある様に、私は、友達の様な価値観や性格に魅力を感じており、そんな生き方をしたい!という気持ちがある。だから、そんな友達との共感時間は、互いに別の感覚を持ち合わせていても関係なく、いつでも楽しく心地よい。彼女以外の交友関係においても、『共有する時間を楽しい!!と互いに思い合えること』が、私を幸せにする大切な存在なのかなと思った。ただ、楽しいばかりでなくても自分の中で何かしら、相手を大切に思う気持ちさえあれば、共有する時間を意味あるものにできる気はする。無理やり作るものでもないけど、共有する時間があるならば、互いに自分らしく楽しく過ごしたいものだと願う。
私の中では、何が良いとか悪いとか、そんなのは全くない。肯定も否定も自分の主観でしかない。だからこそ、互いの価値観で楽しく過ごせる存在とその時間が、今の私にとっての最大の元気の源だと言える。気遣いや遠慮などのよそよそしい関係性よりも、思ったことをストレートに言い合える関係性を築くこと。そんな相手に出会ったことや、そんな自分になりつつあること。どんどん自分の変化に気付いていくし、生きやすく幸せな時間が間違いなく増えている。とりあえず、自分が自分らしく生きられる大切な存在に、改めて大切だと気づいたきっかけだったので、ブログに投稿した。つまり、私は今日も元気です😊

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