自分に焦点を向け続ける

今日は火曜日。土日休みが終わり、平日が再び始まって、まだ2日目。昨日の月曜日は、休み明け特有の無気力な感じは若干あったものの、始業後1時間も経てば、なんとなく仕事のスイッチONな状態に慣れてきた。先週の土日休みは、最低限の家事をこなし、元々あった予定を全うした。父親の誕生日祝いの気持ちでお酒を持って実家へ出向き、夜ご飯を食べながら他の兄弟交えて晩酌した。家を出て以来、初めての晩酌と実家でお泊まりを満喫した。

この時の私の気持ちに焦点を当てて発信したい。正直、【普段の日常】とは明らかに違うのに、何かを【期待】する気持ちは全くなかった。久々に家族で晩酌することも、実家にお泊まりすることも。また、お祝いのお酒を受け取る父の反応とか、実家の家族の反応とか。最近の私は、本当に『相手の反応に一喜一憂することが少なくなった』証拠だと実感した。極論を言えば、【私が私の意思】でお祝いの気持ちを贈り、実家での晩酌やお泊まりも望んだ。それに対しての反応は、父も他の兄妹も【本人次第】だってことを、我ながら無意識に考えているみたい。きっと、私がこんな感覚だから、『特別な感情にはならなかったのだろう』なんて思う。

昔の私は、何かと予定を立てては、それを楽しみに生きていた。自分の楽しみを次から次へと予定として立てることが、元気の源みたいな感じだった。だから、仕事が休みって言うだけでテンションは爆上がり。それが、家族であろうが友達であろうが趣味であろうが。楽しみな予定に対する【期待感】は『人並み以上だったんじゃないか』と、今となっては振り返る。同行する相手の【期待感】に温度差を感じた時は、『まるで理解出来なかった』ことも実際あった。
しかし、今なら、そんな相手の感覚が、少しは理解出来る気がしてる。なぜなら、今の私は【自分の意思】が、当時よりはきっと明確になった。【自分の楽しみ】に対して、『それを叶えること』を【自分なりの納得】が出来ている。また、どんな結果であろうと【自分の意思】に伴う【自分の責任】って認識が芽生えている。だから、どれだけ楽しみな予定でも『それを全うする自分に満足する』気持ちが強くなった。すると、それ以上の【期待感】は、衰退していった。
最近では特に、私の休日は【自分の意思】を全うする予定ばかりだ。一緒に過ごす相手の存在は、確かに大きい。それは間違いない。だけど、あくまでも【私は私】【相手は相手】だって思っている。『相手が居ないと私は満足出来ない』とか『相手の反応によって自分が満たされる』なんて感覚になることは、確実に減った。それが、今回の私の心境だと思って納得している。

今の私は、土日であれ、平日であれ、毎日【自分の意思】を全うして、【自分なりに納得】して過ごしている。故に、それ以上の【期待感】を感じることはきっと少ない自覚がある。毎日満足している。だから、わざわざ楽しみな予定に【期待感】を抱かなくとも、幸せだ。それと同時に思うことは、これまで散々抱いてきた【他人を羨む気持ち】も、間違いなく衰退している。結局のところ、『今の自分に満足することと』か、その為に『自分を進化させる努力を積み重ねること』とか。そうやって『自分に焦点を向け続けること』で、【特別な期待はしないけど幸せな日常】は掴めると私は信じている。

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