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「わくらば」に込めた想い (1)

       時間は戻せんでも、やり直しはきく…

      
人生には多くの転機(トランジション)がある。
 その中でもいわゆる還暦の前後の五十代から六十代というと、深層心理学者の著書「ユングの無意識の心理」の人生の午後三時や古代インドの人生を4つに区切る四(し)住期(じゅうき)の林住期(50歳~75歳頃)という言葉を想いうかべる人も少なくないと思う。

 この時期は身体的な衰えを感じ健康のみならず、人生百年時代という高齢化社会においてその後の暮らしに経済的なことや介護といった家庭内、社会との関係等新たな変化が生じて来る。
 
 企業人ならことのほか現役を退き定年を迎えると、やりがいを失い無力感に襲われる人も多い。現役引退後こそ充実した人生を送るための意識改革が必要で、生きがいを求めて生きることが大切である。

  そのためにもこれまでの生き方や自分自身を見つめてみる必要があるが、五十、六十代で心を鎮めて自分の人生を達観してみるにはよほどの覚悟がいる。
 私は還暦を迎え、初めて人生の終焉に近づきつつあることを実感しても、これまでを顧みて悔恨や憂慮の苦痛に至るも確信はみえず、今後の人生をどう生き、何を以て帳尻をあわせるかについては漠然としたまま達観には及ばなかった。

  父母の仏壇に掌を合わせているときは正直で素直な自分がある。

 そこで静かに想う・・・これまでの転機、それも自身の願望と逆の悪い方向に進みだしたときはどうだった・・・、痛みを伴いながら深層をえぐると、ひとつの気づきを得た。

 それは、常にその主因は運が悪かった、アイツに裏切られたなどと自身の内的な変化に正面から向き合わず社会や他人を理由にしていた。それでは暗澹たるままで、達観するどころかいつまで経っても再生には至らない。

 主因は自身の内的変化、執着や固執といった拘りや欲であったと素直に認めたとき、些細なことに迷わされることもなく真理を見きわめることができた。

 そうすることで、穏やかな気持ちになりその奥の真相が見えてきた。

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