見出し画像

5「日本語が英語になっていたら」

 法政大学の授業「創作表現論」で学生が書いた作品の中から秀作を紹介します。第5回のお題は「日本語が英語になっていたら」です。

「創作表現論」についてはこちらのページをご覧ください。

「声」 岡本夏実

「雪出し入れして死んだのは銃騎士」
 そんな不気味な、意味の分からない声が耳元で聞こえて、私の身体がまた悲鳴を上げる。がくがくと震えて碌に動かせない手足を恨んで、今のこの状況を恨んで、止まりもしない涙がまた頬を伝っていった。
 嗚呼、一体この耳は、どうして普通であれなかったのだろう。これさえ普通でありさえしたのなら、きっと一人にはならなかったのに。こんなに早く終わりを迎えることもなかったはずなのに。それなのに、どうして。
 まるで何も分からないまま、それでももう今にも殺される、ということだけは分かっていて、私はずっと怯えていた。

***

 暑さと共にじとりと湿る心地が、身も心も深く沈めていくような六月。日の光にも恵まれない曇り空の下、今日も今日とて私は雑事に駆り出されていた。今日は曇り空に湿気が丁度いいからと、寺院の裏に残された旧第二墓地の清掃を先輩と二人言いつけられていた。
 だが、着いて早々、お前などとは仕事がしたくないと堂々言い放った先輩は、この広い墓地を半分に割ってそれぞれ掃除するという計画を発表し、持ってきた道具をあらかた抱えて去っていってしまった。
 おかげで私は今、一切の道具が無くても出来る唯一の清掃作業、そう、草取りを一人延々と続ける羽目になっている。汗を拭いがてらちらりと見た腕時計の表記とそれから、私の記憶を信じるならば、もう二時間はこうしているだろうか。それでも一向に終わる気配が見えないのは、私達に課された「清掃」の規準が妙に厳しいからだ。
「草一本残さない程綺麗にしろって、絶対厄介払いの為の理由付けでしょ、元々そんな基準があったならそもそもこんなことにならない筈だし……」
 それでも私は頑張った。そう、本当に頑張っていた筈なのだ。一面草が生い茂り、時には墓石など少しも見えない所もあったこの半面を、ひとまず墓石の位置が分かる程度には片付けた。それから人一人か二人分くらいの広さについては多分、望まれた通り綺麗にできている。敷かれた砂利をどけ、爪の先で摘まむのもやっとの小さな雑草をも目を凝らしては探し、抜いて、乱れた土を整える。そんな細かな作業を二時間も続けるのは、言う程簡単なことではない。これもまた修行だからと、恐らく言いがかりでしかないであろう理由をつけて携帯音楽再生機の使用を禁じられてしまっては、図らずも彼らの言った通り、修行でもしているかのようだった。
 というのも、何しろここはうるさいのである。
 それは、例えば寺院の本殿から聞こえてくる葬儀の音が大きい、という訳ではない。山を少しばかり下ったところにある、道路を走る車の音でもない。それから勿論、二手に分かれて以降私とは口もきこうとしない先輩のせいでもない。
 それはひとえに、携帯音楽再生機という逃げ道を失ったために、いつもいつも付き纏ってくる声から逃れられなくなってしまったからだった。
 現実逃避のためにこうしてつらつらと考えごとにふけっている今だって、それはずっと聞こえている。
「鼠の彼女は男だけ、ドウ切るお話ああ歩いて見て回った」
「七瀬、そこはもう終わったか?」
「彼女、彼女のおかげで、おかげ……」
「彼女が……、ああ、死んだ笑顔、それ全て牛を限定、ああ神よ、」
「おい、答えろ、聞こえてるか、七瀬」
「八月に話す、ああ、ああ、ああ、」
「落ち着きがない、落ち着きがない、落ち着きのない……」
「ああもう、うるさ……」
「七瀬ェ!」
 怒声に目を見張る。慌てて声の方に目を向ければ、眉をしかめ、腰に手を当て、どうやらとてもお怒りの様子で先輩がこちらを睨みつけていた。思い返してみれば、いつもの声に混じって、先輩の声もしていたような気がしないでもない。ということは、これはまた例のミスなのだ。まさか先輩には話しかけられないだろうと気を配っていなかったのがまずかった。
「あっはい、先輩、なんでしょうか?!」
 もう手遅れだろうと思いながらも声を上げてはみたが、案の定それは手遅れだったようで、
「呼んでも返事をしないどころか、煩いだとは大した度胸だ。もういい。この第二墓地はお前一人で掃除しろ。ああ勿論、これを和尚様に伝えようものなら……分かっているな」
 そう言い捨てると先輩は、道具を私の前に叩きつけ、寮の方へと一人走って行ってしまった。この二時間で先輩はどれだけ作業を進めたのかともう半面を見やるも、半分を境に背の高い草が多く生えてしまっているせいで、先輩の成果はまるで見えやしなかった。それに、足元に置かれたバケツは濡れた様子もなく、雑巾の類もまだ真っ白なままだ。今まで一体何をしていたのか、少し歩いて見て回ってもまるで分からない。これはきっと、初めから私に押し付けるつもりだったのだろうと、元の私の陣地に戻ってきた頃にはもう察していた。こうなると、むしろ二時間もここにただ留まっていたということが不思議なくらいだった。
「嘘でしょ、いくらでも時間を掛けていいとは言われてるけど、ここで一人、音楽もなしでずっと作業だなんて、」
 思わず声を出してしまっても誰にも責められないだろう程には、それは悲しい現実だった。

 ああ、この声のせいで、私はいつだって損をしてばかりだ。
 ずっとずっと聞こえているこの声のせいで、私は時折人と会話することが困難になる。目の前にいる人とでも、会話が成り立たなくなってしまう。それは、聞くべき声が他の声に消されて聞き取れなくなってしまうからだ。他の声とは言うまでもない、意味の通じない、何処から発されたかも分からないあの声のことだ。
 和尚様が言うにはこれは、まるで人語を解さないことからして、幽霊ではなく、どうやら怪異の類の声らしい。それがどうにか人の言葉を話そうとして努力したものがあの声であるというのだが、彼らにとって人間の言語を習得するというのは、容易なことではないのだろう。結果として、全く意味の分からない文と成り果ててしまっている。だがそれでも、文だと、言葉だと認識出来てはしまうのだ。だから、生きている、目の前の人の声が、それに混じって聞こえなくなってしまうこともある。
 そして、聴覚に異常がなく、発声も何ら問題なくこなせるという人間が、十分声が聞こえるだろう距離で話しかけられても何も反応を返さなかったら。それは普通、聞こえていながら返事をしなかった、と取られてしまう。怪異の声に対して零してしまった言葉も、目の前の人間に対して発したものだと思われてしまう。よくて大きな独り言扱いで、それも行き過ぎれば精神病や性格の悪さを疑われる。だから私はこれまで、他人と良好な関係を築くことが殆ど出来ないでいた。
 本当に、それもこれもこんな、誰にでもは聞こえない声が聞こえてしまうこの耳のせいなのだ。私は聞こえてさえいれば、誰に対しても問題がないような態度を取れている筈なので、これは絶対にこの耳のせいに違いない。ああ、なんて面倒なものを生まれ持ってしまったのだろう。和尚様はこの耳を才能だと言って、怪異の声について知りたがったが、和尚様ほどのお人であっても、この声が伝えたいことは何も分からないのだという。上手く扱えていない言葉で一体何を伝えたいのか、文法どころか発音も滅茶苦茶では、全く何も分かりはしない。
 例えばこれが、一国でしか通じない珍しい言語をただ一つ公用語として扱っているような辺境の国の話ならともかく、ここは日本で公用語は英語なのである。これ一つ話せれば恐らく世界のどこでも生きていけるという言語である英語一つ満足に使えないなど、全く努力が足りないものだ。もしかして会話というものの存在自体を知らないのかとさえ思ってしまう。
 そうなるとやはり、彼らは私達の常識の中でははかることの出来ない存在なのだろうか。少なくとも怪異ではない生き物は、人間のように複雑な会話をするかはともかくとしても鳴き声に何らか意味を持たせているのだと聞く。それならばあれは、彼らにとっての鳴き声なのだろうか。あれで意思疎通でも図っているのだろうか。人間の真似をするにしても断片的過ぎるから、それ以外の用途が思いつかない。
「怪異の間での会話、かあ……」
 言葉も道理も通じない、だからこそ怪異と呼ばれ幽霊と区別される彼らは、一体どんな会話をしているのだろうか。人間の言葉として聞いた時の支離滅裂さからは想像もつかないが、案外、お腹が空いた、とか、元気にしてたか、とか、そんな呑気なことを話しているのかもしれない。ああいや、お腹が空いた、は人間を食べていそうで嫌なのだけれど。
 そう思いながらもう一度聞いてみたら案外、可愛いと思えるかもしれないとそう思い立って、また、聞き耳を立てる。俄かに湧いた淡い希望は、しかし早々に崩れ去ってしまった。
「今」
 低い男のような声に始まり、
「テルンに乗って蹴れ、それが法だ」
 まるで老人のように立ち枯れた声が続く。
「コット目岩」
「蹴りそして自由帽子美味しい会う」
 それからはずっと、それぞれ異なる男の声が、次々に、まるで私を責め立てるように語り始める。動詞も名詞も滅茶苦茶で、言葉としては通じないが、雰囲気で分かる。これはきっと、私を認識している。そしてその上で、怒っているのだ。どうしてかは分からない。もしかすると、私が聞いていることに気付いたのかもしれない。でもだからと言って、私にはどうすることも出来ない。
 私には彼らの声を聞く耳はあっても、彼らの姿を見るための目はないのだ。あんなよく分からない声だけを聞いても、私には何を察することも出来ない。
 一体私に何が出来るというのか。私に何をさせようというのか。何の意思疎通も出来ないというのなら、どうしてこの耳にはあんな声が聞こえてしまうのか。噂になっているように、よく周りから責められるように、全ては幻聴なのではないか。それならば、どうして私が。
 そこまで考えて、ふとまた周りを見回して、やらなければならない仕事の多さに辟易して、私は思わず、手近な墓石を蹴り倒した。そうすることによって仕事が増えることは分かっていたが、それでも、そうせずにはいられなかった。私が今この荒れた感情を向けられるのは、物言わぬ、中のお骨も供養された霊も移動しきったという墓地の、もう誰のものともいえないだろう墓石くらいしかなかった。普段丁重に扱うよう言われているそれと同じものであることが気にならなかったとは言わないが、それでも、溢れる苛立ちには逆らえなかった。それに、一つ、二つと蹴り倒し、その成果とでもいうべきものが見えてくると、こんな私にもこれだけ十分力があるのだ、とさえ思えてきてしまって、そうなるともう、止められなかった。江戸か明治かの頃まで主に使われていたというこの墓地は、墓石に刻む文字ががらりと変わったその頃に丁度使われなくなって、専ら新しい土地に新しい家の墓を作るか、墓石を新しくするついでに新しい墓地に移動してしまうかで、その大半が空っぽになった。そうされなかった一部の墓も、多くの人が去って墓地自体を廃する時に十分供養したとかで、だからこの墓地には大々的に旧なんて呼び名が付けられて、今日にまで至っているのだ。
 きっとそんな場所だから、あんな声が聞こえるようになるのだ。和尚様のお力か、寺院のお堂の中では声は聞こえないか、聞こえても大抵穏やかなものであったのに、こうして墓地を巡ってみれば、いつだって声は私を追ってくる。私のこの耳も悪いに違いないが、きっとこの場所も悪いのだ。だとしたら、私が憂さ晴らしをして何が悪いのだろう。ここには、もう今は使われている墓も無いのに。かつて墓地だっただけの土地なのに。
 だが、昂る一方だった怒りは、がしゃん、という鈍い音に阻まれてしまった。はっとして目を向けたその先で、立派な墓石が、正確にはそうだったものが、砕けて破片を散らしていた。まずい、とそう思ったがもう今更どうしようもない。もし誤魔化して元々壊れていたなんて口にしても、あの先輩はきっと、私がやったに違いないと言うだろう。先輩はとうに去ったので証拠もないが、例え事実でなくたってきっとそう言うのだ。何故なら、私を嫌っているから。
 私と同じように預けられた子供は何人もいるのに、何なら先輩も何らかの事情で預けられてきた子供だったはずなのに、どうしてか先輩は私を筆頭に、他の子のことも皆嫌っている。それだから実のところ、他の子供にも好かれていなくて、きっと私を放って去っていった先も寺院の奥にある書庫なのだ。新しい本が収められる表の書庫とは違い、古い、言葉が変わる前の本ばかりが押し込められている旧書庫に、どうしてああも入り浸るのか分からないが、挿絵でも眺めているのだろうか。もしかしたらどこかで学んでいたとかで文も読めるのかもしれないが、世間では専ら、新しい情報は英語で書かれている、古い言葉は歴史を学ぶ人のものだと言われてしまっている。学者でもないのにわざわざそんなものを学ぶくらいなら、普通の本の一冊でも読んだ方がいいのではないか。かつてそう口にしたときに、彼は残念なものを見るようなまなざしをこちらに向けて、声の事といい救われない奴だな、と言ってきたのだ。その余りの言い草に怒った私は、それまで上手く誤魔化してきたらしい彼の逃亡癖を密告した。それ以来、彼を探す時にはまず書庫に人が向かわされるようになっているし、そうでなくても彼がいないか定期的に人が立ち入ることにもなっている。
 だから、きっと彼はまた見つかっていて叱られて、そうしたら、私のせいだと言い始めるのだ。私が遊んでいたから仕事にならなくて、と。
 普段はそれで事が露見すれば責められるのは私に仕事を押しつけた方だけだ。だが今回は、実際に遊んでいたと言われても仕方のないことをしてしまっている。
 どうしよう、と思案してしばらく、何も思いつかないでいると、また、あの声が酷く近くで聞こえた。
「お前はいくつかの目を見る」
「お前、来い」
「何男それチゾク両方振る欲しい」
「マット死にすぎたそれバイバイテヤル起こした」
 声は、どれもこれも怒りに満ちていて、私は急に恐ろしくなって、がたがたと震えだした身体をぎゅっと抱きしめた。そして、足が力を失うのに任せてずるりとその場にしゃがみこんだ。
 普段なら、どうしてマットなる人物が死にすぎたことを気にするのか、どうして急に幼児語が混ざるのか、時折綺麗な文になっているようでも発音が微妙すぎるのは何故なのか、などと考えられたのかもしれないが、今はもう、そんなことを考えてはいられなかった。
 どうしよう。ずっと考えていたその言葉が、もう他に何も見えなくなったままずっと回り続ける。どうしよう、どうしよう、と口に出したその言葉は、誰にも聞かれないまま風に吹かれて消えて、それでも。意味も分からない最後の言葉だけは不思議と、心の奥底に沈み込んでいった。
「おい、お前」
そ こに突然、分かる声を掛けられてまた、顔を上げる。そこにいたのは、とっくに去っていったはずの先輩で、私はあまりのことに驚きの余り声を上げた。
「せ、先輩?! どうしてここに」
 そして顔を上げた私を見て、先輩は、分かりやすく顔をしかめた。そして、平然と言い放つ。
「一緒にやってたことにしなくちゃいけないんだから、一緒に戻らないとまずいだろ。……ああでも、これは仕事を抜け出してことを素直に言った方がいいかもしれないな」
「は? ああまあ、先輩がいたら止められたはずだとは言われそうですよね。ははは、ざまあみろ、ですね」
「……ああ、まあ、そうだな」
 思わず溢れた悪態に、それでもどうしてか彼は痛々し気な視線をこちらに向けるばかりで、いつものように、先輩が抜け出した昼過ぎのように噛みついては来ない。それを不審に思いながらも、何も言われないのならそれに越したことはないと、私は先輩と二人、作業を明日に残して今日は一度帰ることにした。
 旧第二墓地から本殿のほうに、奥の方に戻りながら、先輩は何度か墓地の方を振り返り、私を全身上から下まで見やって、その度に深くため息をついた。
先輩は更に、時折小声で何かを呟いているようだったが、あるいはそもそも声にしていないのか、私にはその声を聞き取れなかった。だから専ら聞こえるのは、ざくりざくりと地面をサンダルが踏みしめる音が四つと、がらごろと道具がバケツの中でひしめく音、それからいつものあの声くらいになっていた。
 それは、二人して何か言い合いながら、嫌い合いながら帰るいつもよりも、ずっと静かで、気まずい帰り道の一幕となった。

 さて、帰った頃には、和尚様ももう奥に戻っていて、私と先輩は、まだ掃除には時間が掛かりそうだという報告をした。そして、和尚様が、じゃあ今日はもう終わりでいいよ、とそう言いかけたその時に、その声を遮るようにして、彼は和尚様に告げたのだ。
「すみません。突然のことで申し訳ないんですが、どうやら実家で何やら起きたようでして。心配ですので、今すぐにでも故郷に一度戻りたいんですが」
 私も驚いたが、和尚様はもっと驚いたようで、どうして、一体何が、と、いつもの和尚様らしくない様子で彼に問いかけた。それに対して彼は、どうしても帰らなければならない、時は一刻を争う、と口にした。許しを得ようとしている口調でありながらそうではなく、彼にとって帰ることは決まったことなのだと悟った和尚様は、長らく離れていたのだ、ゆっくり休んでくるといい、とだけ彼に告げて、その帰省を許可した。彼はそれを聞くや、感謝します、と一言口にして、急ぎ足で部屋を去ろうとした。
 あまりにも性急なその行動に、私は思わず彼のことを心配してしまった。一体何があったのだろう、と思わず口に出しそうになって、和尚様に心当たりを聞こうと心に決めたその時、彼はぐるりとまたこちらを向いて、大股で和尚様の近くにまた行くと、少々の間、何事か和尚様の耳に囁いていた。彼がそうしたことにも私は驚いたが、それよりも、和尚様の方が余程おかしかった。彼の囁き話が終わるのを待たずして、和尚様は彼に対して怒鳴り声をあげたのだ。
「お前に何が分かる! いいか、儂は絶対にここを離れない。任された身として、ここを離れるわけにはいかないんだ」
「ああ……まあ、それならそれでいいさ。俺にはもうどうしようもないし、だからここに長居をするつもりもない。戻ってくる気だってない。……さよならだな、和尚サマ」
「ああ、そうだな!」
 そしてその勢いのまま、和尚様は奥に引っ込み、先輩はずかずかと部屋を出ていった。程なくして、先輩は大きな鞄をいくつも抱えて、怒り心頭と言った様子のまま、夕食も待たずこの寺院を去った。
 そしてそれが、私が先輩を見た最後の姿となってしまった。
 長らくこの寺院に預けられていたために、子供たちの中ではもはや最古参と呼べるほどになっていた先輩が突然去ったことは、和尚様とのやり取りを見ていた訳でもない他の子供や寺院の人間にとってもやはり衝撃的なことであったようだが、その衝撃は実のところ、私にとってはそう長くは続かなかった。
 それは私が先輩を嫌っていたからだとか、そこまで先輩の世話になっていなかったからだとか、そういった理由からではなく、より切実な理由からだった。
「お前来い」
「お前来い」
「しかしチー早い人々で」
「お前はサムを見る」
 怪異の声が、私の耳から離れなくなってしまったのである。
 かつては寺院の建物の中では声は聞こえないことが多かったが、今や声は何処にいても聞こえるようになった。そしてその声音は、穏やかなものでもなくなっていた。さらに悪いことには、かつては近くで話されている声を聞く、といった感覚であったものが、今や私の耳元でばかり聞こえるようになってしまっていた。
 まるで吐息の生暖かさまで伝わってきそうな距離で、延々と、訳の分からない言葉を、憎しみを込めて囁かれ続ける。そんな状態で、まともに手伝いが出来る筈も無く、学校に行くことも出来る筈も無く、私は一人、与えられた自室で布団にくるまりながら、それが去るのをずっと待っていたのだ。

 だが、一週間が過ぎても、一月経っても、それからもっと時間が流れても、状況はまるで変わらなかった。お守りのように握りしめた携帯音楽再生機を手放せないまま、時折音楽を止めて、状況を確認して。それでどうにかやってきたのに、とうとうある日、手に持っていたそれが突然、二つに割れてしまったのだ。正確には切られてしまったようなのだが、私の目には突然割れたようにしか映らなかった。それでも、切り口が滑らかで直線的だったことと、何かが風を切る音がどうしてか聞こえたのだから、それは切られてしまったに違いなかったのだ。恐らくは、怪異の手によって。その後も新しいものを買う度に切られてしまったから、とうとう買うことを禁止されてしまった程だ。ああこの怪異は余程、私のことが憎いらしい。そんなことをいつ私がしてしまったのか、心当たりはなくもないものの、それで憎まれる理由が分からない。
 だってこれまで、声が聞こえることはあっても、ここまで明確に私を害そうとするものはいなかったし、実害が出ることもなかったのだ。それなのに今はこうして惨めに一人震えるしかないのだ。最初はこの現象に興味を持っていた和尚様も、実害が及ぶと知ると途端に恐れだして、寺院から放り出しはしないものの、近くに寄ってはくれなくなった。和尚様がそうなら他の子供達など言うまでもなかった。そうなって数日も経たないうちに、皆私には近寄らなくなった。
 だからもう、今となっては本当に、私は一人になってしまったのだ。
 無音ではない一人きり。私が最も嫌っていたはずのその時間が、彼らの気が晴れるまで、もしかすると私が殺されるその瞬間まで続くのだと思うと、ただただ怖くてたまらない。いっそ先に命を絶ってしまいたいと思っても、どうしてかそうできる道具が何もない。気でも狂って誰かを襲うのではないかとでも思われているのか、早々に誰かに持ち出されてしまったらしい。今はもうきっと、部屋の窓も開かないように閉じられているのだろう。先日、窓からは一切の明かりが入ってこなくなった。きっと外から板を打ち付けられたのだ。

 それ程までに、私は一人ひっそりと死んでいることを望まれていた。死ぬことではなく、死んでいることを。誰も気が付かないうちに、手の届かない所で全てが終わっていることを。そしてきっと私も、それを望んでしまったのだ。それだからだろうか。
 気が付けば、そこにいる何かの存在を感じ取れるようになっていた。
 そう、私の背後に、私の隣に、私の前に、私の上に下にぐるり外周に、彼らはずっと立っていたのだ。そしてずっと、私に語り掛けていた。私がこれまでずっと聞いてきた声は、怪異同士の間でのみ通じる言語などではなかった。私はここに至って、それが何か完全に理解した。そして、今私の身に何が起こっているのかも。
 それはかつて私が知らなくてもいいと言った古い言語だった。それを扱う彼らは、かつて英語がこの日本に広まる前の時代を生きた人間だった。先輩が去ったあの日、私は怒りに任せて彼らの大事なものを破壊して、侮辱して、だから彼らの怒りを買った。そしてそのまま、今日を迎えてしまったのだ。
 どうしてそれが理解できたのか説明することなど出来ないが、もしかすると、余りにも死が近かったから、私もまた何か別のものになりかかっていたのかもしれなかった。

 そして今更になって、先輩の言動の理由を理解した。
 何も分かっていなかったのは、何も分かろうとしなかったのは、救いようがなかったのは、そう、私の方だったのだ。全てを耳のせいにして、声のせいにして逃げていて、その癖それについて知ろうとしなかった。答えはずっと、この寺院の中にもあったのに。本当に知ろうとしていたら、もっと早くに分かったかもしれないのに。先輩はきっと全部分かっていて、もしかしたら私にそれを伝えようとしたこともあったのかもしれない。でも私はその手を振り払って、自分の事しか見ていなかった。
 もし私がちゃんと全てに向き合っていたら、あの日怒りに任せてあんなことをすることはなかったし、この耳の事も、私が今までずっと何を聞いていたのかも分かっていたし、何よりあの日、先輩は私を、皆を見捨てて一人逃げ出したりしなかっただろう。先輩もきっと、ここでの生活を嫌ってはいなかったから。だからきっと、和尚様と最後に話をしていたのだろう。結局、和尚様にも分かっては貰えなかったようではあったけれど。
 でも今更それが分かったところで、もう全てが遅かった。私は何も知ろうとせずに、誰のことも分かろうとせずに、してはいけないことをしてしまった。だから怒りを買って、今こうして殺されようとしている。だからこうして今にいたるまで、ずっと一人だったのだ。
 全てが分かってしまえば、もう、どうして、なんて言えなくなった。そんな言葉が求められていなかったことを、そんな言葉は伝わっていなかったことを、私はもう知っていた。

 それはきっと諦めだった。そしてきっと、初めての後悔だった。

 だから私は最後に、これまでの勉強不足を悔やみながら、一つ彼らに言葉を選んだ。学者でないのに分かり始めた言葉は、完全ではありえなかった。その言葉をどう言うのか分かっても、私がその通りに発音することは出来ない。その言語として、その言葉として口にすることは出来そうにない。だから、よく彼らの声を聞いた時そうしていたのと逆に、私の使う言語の中から発音の似た単語を当てはめて、それで無理矢理発音することにした。
 本当なら、向こうにもこちらの言葉がそのまま通じるかもしれないのだから、普段通り、英語で話しても良かったのかもしれない。それにもし仮にその通り、お互いの言葉がそのまま伝わるというのなら、私がしようとしたことはまた、彼らにとっては意味の分からない言葉を話す、という結果に終わっていただろう。
 それでも、私は彼らの言語で言うべきだと思ったのだ。彼らに向けた言葉なのだから、彼らのよく知る言葉を使うべきだと。今更許されるとは思わないが、それでも最後くらいは誠意を見せるべきなのではないかと。
 そんな私の思いが伝わったのか、私を殺すその存在が、静かに、でも一瞬で、私を殺せるように何か構えたのが分かる。これが最後だと、これが唯一許された時間だと、言われなくても伝わってきた。
 より明確になった、逃れられない死を前に、身体は一層震えだし、歯までカタカタと鳴りだしていた。緊張のあまり視界は回りだし、一体自分がどこにいるのか、そんなことさえも分からなくなる。何か言葉を発するなんて、到底出来そうには思えなかった。それでも、最後なのだからと、大きく息を吸って、どうにか体と心とを落ち着かせて。
 どうか伝わって欲しいと願いながら、英語にしても、彼らの言語にしても拙い言葉でこう彼らに告げたのだ。

「皆行って、そして言わないで」
Go men not say────『ごめんなさい』、と。
                                end

「言葉の外へ」 堀尾奏

 「森有礼の提言通り日本の母国語が英語になっていたとしたら、きっと私にとっての世界はもっと広いものになっていて、私は世界のデプスを直に感じることのできる意味に満ちた存在になっていたはずだ。」などと空想している男がいた。
 言葉によって世界のデプスを感じることが出来るなどと本気で信じ込んでいる哀れな男、言葉によって慰められる哀れな男。
 私が一滴の涙を流したとして、私が一滴の血を流したとして、言葉が一体何を表現してくれるというのだろうか? 一滴の涙には既製品の言葉では表現することのできない世界の深い悲しみがある。一滴の血には既製品の言葉では表現することのできない破滅的な意味がある。言葉とは人間が発明した不完全な表現手法にすぎない。人は言葉を発明してしまったがために不自由になってしまった。言葉なんてものがなければ私はもっと美しい世界のデプスを感じることが出来たはずなのに。言葉なんて覚えなかったら、あの、世界を震わせるほどに美しい夕日に感動し、旅情を誘うあの海と会話をすることが出来たはずなのに。私が知っているのはほんのわずかな乾いた言葉だけだ。
 この国の母国語が英語になっていたとしても、ほんの少しだけ私が認識できる世界が広がっていただろうというだけで、私にとっての体験世界は今とさして変わることもなかっただろう。言葉はただの空っぽの入れ物にすぎない。言葉とは言葉によって表現できない世界を人間が間接的に感じ取るための頼りない感覚器官のようなものなのだ。私は貧しく、孤独で、惨めな人間だ。たとえ私が英語を母国語のように話し、美しい言葉の衣装で着飾ってみたところで何の意味もない。私が無個性なクズであることには変わりないからである。英語を覚えたところで、あの海の向こう側に行けるわけではないのだから、母国語が英語だろうと日本語だろうとさしたる違いなど何もない。言葉による個性などほんの数億から数十億通りの順列組み合わせにすぎないのだ。言葉の外へ、豊かな世界へ行ってみたい。私は今まで覚えてきたあらゆる言葉を忘却の彼方に葬り去り、もう一度あの豊かな、優しい世界に行きたいのだ。もう、いまさら何をしても手遅れだけれども。

 空を飛んであの海の向こうに行きたいと願う少年がいた。少年は言葉で翼を作り、空を飛ぼうと考えた。少年はビルの屋上に佇み、虚心に自分が知る限りのありとあらゆる言葉を呟きながら、独自の翼を作り上げた。少年は軽く助走をつけて、ビルの屋上から飛び降りた。翼はその瞬間に脆くも砕け散り、少年はビルから真っ逆さまに墜落し、ペシャンコになってしまった。言葉はあまりに頼りなく、あまりに脆かった。所詮は言葉など空っぽの器にすぎないのだった。一生懸命に言葉を覚えたところで、空を飛べるようになるわけではないということを少年は死と引き換えに思い知ったのだ。
 言葉の外に海がある! 沸騰する瀑布がある! 海とは言葉によって表現することのできない個人のあるいは世界の悲しみである。沸騰する瀑布とは言葉によって表現することのできない世界の怒り、あるいは個人の血液に流れる破滅的な時間の流れである。言葉の外に広がる美しく優しい世界。そこは醜い容姿のものも美しい容姿の者も無関係に包摂する。そこでは全てが美しい。あらゆるものが言葉の意味から解放され、人間も鳥のように空を飛んでいる。言葉の重力から解放された匿名都市がある。言葉という足かせから人々が解放された名もなき都市がある。言葉など発明されるべきではなかったのだ。日本語、英語、韓国語、中国語、ドイツ語、その他、僅かばかりの言葉によって広大な世界は矮小化され、私たちの翼は永遠に失われてしまった。もう空を飛ぶことはできない。言葉なんかであの海の向こうに行くことなどできはしない。

「Koi fishing in Japan ばあちゃんのために鯉を釣る」 魚取ゆき

画像5

画像2

画像3

画像4

画像5

< 4『神曲 地獄編』 | 6『アーサー王の死』『アーサー王物語』