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番外編

 課題として提出されたわけではないのですが、1回目の講義の内容に対して、「ささやかながら、反論を」というレポートがきて、これがまた優秀だったので、番外編として掲載します。ただし、これはぼくの講義の内容がわからないとつまらないので、そのまえに、1回目の講義を載せておきます。なんだ、こんな軽い講義なのか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その通りです。ただし、対面での講義のときはもっとおもしろい、少なくとも本人はそう信じています。

創作表現論(1回目) 金原瑞人

1 小説って?
 文学という言葉があります。文学って、なんでしょう。文字の詰まった本、と答える人がいるかもしれません。しかしビジネス書は違うでしょう。参考書も違うでしょう。そこで出てくるのが、小説。小説って、なんとなく文学ですよね。いまの日本人が読んでいる文学って、ほとんどすべて、小説だと思います。芥川賞も直木賞も小説が対象です。
 しかし、小説って、なんか変な言葉ですよね。何が小さいんでしょう。
 じつは、これは中国で使われていた言葉で、『日本国語大辞典』にはいろんな意味が紹介されているのですが、最初の説明はこれです。

 民間に伝わる話や市中の話題を記述した、散文体の文章。正式の、改まった文章でないもの。中国の稗史(はいし)から出たもので、ふつうはある程度史実に基づいた話をさすが、あたかも史実のように見せかけた虚構の話をさすこともある。

 稗史というのは、『広辞苑』では次のように説明されています。

 中国の稗官(はいかん)が集めて記録した民間の物語。転じて、広く小説をいう。

 稗官というのは身分の低い役人のことです。稗は穀物の「ひえ」のことで、小さい、いやしい、という意味です。
 もう少しわかりやすく説明しましょう。小説の「小」は「小人閑居して不善を為す(つまらない人間は暇を持てあますと、よくないことをする)」とか、「小人窮すればここに濫(らん)す(つまらない人間は窮迫、逼迫すると、たがが外れて、したい放題のことをする)」の「小人」、つまり、「小人物、小者」の「小」なのです。そういう小人が読むものが小説なのです。ちなみに「小人」の反対語は「大人(たいじん)」、つまり立派な人です。昔、立派な人々はどんなものを読んだかというと、四書五経です。四書五経については、『百科事典マイペディア』に次のような説明があります。

 四書とは《大学》《中庸》《論語》《孟子》。この称は宋の程頤(伊川)が《大学》《中庸》の2編を《礼記》中から独立させ,《論語》《孟子》に配したのに始まり,朱子学の聖典とされる。五経とは《易経》《書経》《詩経》《礼記》《春秋》の五つで,儒教における最も重要な経典。五経の名は唐の太宗が《五経正義》を作らせた時に定まったという。

 小説に対して「大説」という言葉はありませんが、あるとしたら、こういう書物のことになるのだと思います。
 しかしいわゆる「小人」というのは、ある意味、一般の、ごく普通の人間のことでもあります。いってしまえば、大衆、民衆、そんな感じ。というふうに考えると、一般大衆が面白がって読む読み物を「小説」といってもいいわけです。娯楽作品ですね。
 具体的にどんなものかというと、現在でもよく読まれているものでは、『西遊記』『三国志』『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』といった作品です。
 さて、『日本国語大辞典』の次の意味は、これです。

 (novelの訳語)文学形態の一つ。作家の想像力・構想力に基づいて、人間性や社会のすがたなどを、登場人物の思想・心理・性格・言動の描写を通して表現した、散文体の文学。一般には近代小説をさすが……。

 ここでいきなり小説の格が上がります。ちょっと偉そうになるわけです。イギリスでnovelというと、『ロビンソン・クルーソー』『嵐が丘』『ジェイン・エア』『二都物語』『チャタレー夫人の恋人』などが頭に浮かびます。ずいぶん、リアルでシリアスな作品です。
 ここでちょっと「小説」を離れて、novelの話をしましょう。
 novelというのは英語でも古くからあった言葉なのですが、「小説」という意味はなかったのです。どういう意味だったかというと、「新しい、斬新な、新参者の」というふうな意味でした。それが18世紀のイギリスで、「小説」を指すようになります。なぜか、というと、それは、新しかったからです。斬新だったからです。だからいうまでもなく、新参者でした。
 novelというのは、novellusというラテン語が語源で、これは、「若い、新鮮な、新しい」という意味でした。フランスのボジョレー・ヌーヴォー(Beaujolais nouveau)は、ボジョレーの新酒という意味で、このnouveauも語源は同じです。ブラジルの音楽ボサノバは、Bossa Nova。ポルトガル語です。意味は「新しい傾向、新しい波」。『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』の「アルス・ノヴァ」はars nova、ラテン語で「新しい技法」です。
 「え、小説って、昔からあったんじゃないの?」と思う人も多いでしょう。たしかに、昔からありそうですよね。しかし、なかったのです。ここでは、わかりやすく話をヨーロッパにしぼりましょう。たとえば古代ギリシアに小説はありませんでした。何があったかというと、詩と演劇です。ギリシアの女性詩人サッポー(サッフォー)は、女性同士の愛を描いた詩が有名です。彼女はレスボス島の出身で、英語でLesbianを引くと、「レスボス島の、同性愛の、レズビアンの」という意味が出てきます。またホメロスが書いたといわれている叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』も有名です。演劇では、「紀元前5世紀のアテネには、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人と喜劇のアリストファネスがでて、ギリシア演劇を完成した。」(『ニッポニカ』)。
 つまり、詩と演劇は何千年も昔から楽しまれていたのです。古代ギリシアに小説は? ありません。そして中世、やはり小説は影も形もありません。近代に入ってようやく誕生するのがnovelなのです。現在、300歳くらいです。詩や演劇は3000歳くらい。比較すると、100歳の老人と10歳の子ども。novelはまだまだ新参者なのです。
 ところが、現在、「文学」というと、ほとんどの人が小説を連想します。それは、近代以降、小説がいきなり大人気になって、現在にいたっているからです。小説がせいぜい300年前に生まれた新しいジャンルであったとすれば、そのうちまた新しい文学ジャンルが誕生するかもしれません。それはどんなものなのでしょう。ちょっと考えてみてください。
 じゃあ、novelってそれまでの文学とどこがそんなに違うのか。これについては、秋学期からゆっくり話すことにしましょう。ということは、春学期はそこまでいかない、ということです。春学期と秋学期の両方にまたがるのが、シェイクスピア、という予定です。シェイクスピアも小説なんか書いていません。書いたのは戯曲と詩です。

 さて、明治時代、坪内逍遥が、これからの文学は小説だ、作家を志す諸君、ヨーロッパで読まれているような小説を書こうと主張します。彼の小説に対する期待が凝縮されているのが『小説神髄』です。彼がいおうとしたのは、江戸時代の戯作文学(ただ面白く滑稽だったり、勧善懲悪の宣伝のような作品)はやめて、リアルな作品を書こうということでした。この「リアル」については秋学期、ゆっくり考えることにしましょう。
 そして、詩のような文章(韻文)ではなく、散文で書こうといっています。

 節奏ある言語を将つて高尚なる題目に適するものとなすは世の常に云ふ所なるが、思ふに散文体の言語は、之を人世に喩ふるに、猶其平時の操業に於けるが如くにして、人心の優悠閑適なるを表するに適するものとす。然して詩の散文に於けるは、猶踊舞の行歩に於ける如し。然れども散文の始めて文字組織の一方法となり、之を機巧に運用せる以来、無数の著書世に播布し、而して其題目大に詩に適して、其斡旋形容の妙殆ど最勝の節奏文章に均しきものあるに至れり。又略但し近世散文の著書と雖も、其体は最も高尚の詩想に根せるものにして、只其の詩と異なる所は厳密なる節奏を棄て、和諧せる言語に一任し、以て自由に流出変化せしむるもの是のみ。云々。」(里見文庫より)【太字、金原】
http://bunko0.sato296.com/syoko/kindai/syoyo/sinzui/ss01.htm
 そして、坪内逍遥は、これから小説を書くにあたっては、文語ではなく口語を使ったほうがいいと主張します。ただ、逍遙自身、それを試みて失敗し、二葉亭四迷に望みを託すことになります。
 次回はそのあたりから話を始めることにしましょう。

【課題】
 1回目の課題ですが、まず立川志の輔の落語『はんどたおる』をCDなどできいてください。
・課題1 たぶん、面白かったと思います。どこが、なぜ、面白いのでしょう。それについて400字以上書いてください。万が一、面白くないと思った人は、観客があれだけ笑っているのになぜ自分には面白いと思えないかについて、400字以上書いてください。
・課題2 『はんどたおる』をネタにして作品を書いて下さい。同じアイデアや構成を使った短編小説やショートショートでもいいし、これについてのエッセイでもいいし、詩や短歌や俳句でもかまいません。1200字以上で。ただし詩、短歌、俳句は短めでもかまいません。
 〆切は後日、連絡します。

「大説と小説について」 陳俊成

 本試論は金原瑞人先生の講義「創作表現論」一回目に触発されて生まれたものである。
講義は小説の由来を東洋西洋両方の文学史から解説し、実に納得のゆくものであったが、一ヶ所だけ気になるところがあった。

四書とは《大学》《中庸》《論語》《孟子》。この称は宋の程頤(伊川)が《大学》《中庸》の2編を《礼記》中から独立させ,《論語》《孟子》に配したのに始まり,朱子学の聖典とされる。五経とは《易経》《書経》《詩経》《礼記》《春秋》の五つで,儒教における最も重要な経典。五経の名は唐の太宗が《五経正義》を作らせた時に定まったという。(『百科事典マイペディア』)
 小説に対して「大説」という言葉はありませんが、あるとしたら、こういう書物のことになるのだと思います。

 確かに日本語には「大説」という言葉はないが、中国語には(常用ではないが)あるのだ。
 複数の中国語辞書を収録したインターネット辞書『漢典』によれば、大説は「非虚構の、道理を説いた経典。または優れた学説」とある。そして神保町の三省堂書店本店二階の「中国語古典文学コーナー」に行けば、そこに並ぶのは確かに四書五経である。つまり、金原先生のご推測通りである。
 そして、これは諸説あると思われるが、通説としては、「小説」という言葉が初めて確認されたのは『庄子・外物』の「飾小説以干県令,其於大達亦遠矣」の文言においてである。ここでの「小説」は現代的な意味での小説ではなく、「細々とした話」と訳される。
 それから、桓譚(紀元前43年~28年)も『新論』で「若其小説家,合丛残小語,近取譬論,以作短書,治身理家有可観之辞(小説は、依然として作者自身を戒めるためのものとして、あるいは家訓としては有効であるが、それでも国を治める理には程遠い)」と書いている。
 また、班固(西暦32年~92年)は『芸文誌』で小説について「街談巷語,道聴塗説者之所造(巷を行く者が小耳に挟む話から生まれる)」と語る。要するに、小説は真理には程遠いが、やはり実生活から生まれるもので、いたずらに無視してはいけないと説いたのであった。
 しかし、それから小説の価値は中々認められない。中国は戦火の途絶えない大地であるがゆえに、政治理論や実用的な技術の方が、ずっと重要であった。欧陽脩(西暦1007年~1072年)は唐代の正史書『新唐書』で「有唐三百年,用文治天下」と文化、芸術の重要性を主張するが、この時も小説は除外されており、詩歌よりも一等扱いがぞんざいであった。
 ところが清末、中国の言文一致の先駆けでもある維新派の梁啓超が変法運動(注1)に失敗し、日本・横浜に亡命すると、自ら立ち上げた文芸誌『新小説』で「国民の意識を改革するなら、まず民間に流布する小説を改革しなければならない」と声高に訴え始めた。つまり立憲君主制の制定という上からの改革に失敗した彼は、下からの改革に期待したのだ。そのためには、それまでの勧善懲悪・怪談・才子佳人の恋愛等を主に扱った封建的な小説を捨て、先進的な政治観・社会観を取り入れた小説を流行らせる必要がある、と梁は考えたのであった。
 この小論自体は出色の出来とはいえないが、当時の知識人が集まる上海では大きな反響を呼んだ。さらに小説の商業化と相まって、多くの小説家・翻訳家が脚光を浴び、小説の社会的地位がいきなり上がるきっかけとなった。


注1 変法運動:戊戌の変法、百日維新とも言う。清王朝の官僚である康有為、梁啓超、譚嗣同が日本の明治維新を見本とし、時の為政者の光緒帝に働きかけて起こした政治改革運動。のちに西太后ら保守派のクーデターに遭い、挫折する。


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