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WSDレンズを通して見えてきた景色

青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)で共に学んだ34期の仲間と作るアドベントカレンダー1日目の記事です。


WSD34期全員が1つの教室に集まり、画面越しではない”リアル苅宿先生”の講義を受けることができた最初で最後の日は2020年11月29日だった。

その日から早くも1年が経過。プログラム終了後、どんな時間を過ごしてきたのかをふりかえってみたい。

1年間のワークショップ(ざっとふりかえり)

WS参加 & 実施 合計回数:35回
参加 vs 企画・実施 =31 vs 4
対面 vs オンライン = 2 vs 33
参加したWSDのジャンル:キャリア、対話、ファシリテーション、コーチング、アート、読書、学びetc

月に3回のペースでワークショップに触れていた計算となる。
参加側が比率としては圧倒的に多く、参加したワークショップの中にはWSDの先輩方が企画したものもいくつか含まれていて非常に参考になった。

企画・実施のカウントは4件。その内訳は企画への参画が3件で実施者としては1件のみ。(この1件は既存プログラムのサポーターとして現場に立たせていただいた)

参加者として一番の気づきは「観察者」としての自分が確かにいる。ということだった。

いち参加者として純粋にワークを行っているつもりでも、無意識に「観察」をしている自分に気づくことが度々あった。これは正直、ちょっと厄介でもあった。参加者として没入感を味わいたいのに、観察者としての自分がひょっこりと顔を出してきて邪魔をしたからだ。

講義で学んだファシリテーション構成要素の1つに「場を見る」がある。そして場を見るためには「観察」はとても大切であり、表出している事実をつかむために仮説を持ちながら行う必要があるということも学んだ。

【ファシリテーションの全体像】
~人と活動のフィット感を与えるために~
伝える:デザインしたプログラムの内容や情報を参加者に伝える
場を見る:人と活動のフィット感を見る
働きかける:フィット感を高めるために働きかける

改めて考えてみると、観察者としての自分はWSDの学びを経て自然にWSDメガネを装着することができていた証なのだということに気づいた。

一旦WSDレンズを通して物事を見ている自分を受け入れると、その「観察者」としての気づきの数々はこれから自分が実践者となったときに参考にできることばかり。これは私の宝でありこれからも大切にしていきたいと思った。

日常を見渡してみると・・・

一度装着したWSDメガネはそう簡単には外れない。日常生活でもそうだった。

WSDレンズを通してみると、今まで見えていなかったものが面白いようにくっきりと見えてきた。それは日々のコミュニケーションの問題をわかりやすく解説してくれたり、解決のヒントを得るのに重宝した。

とくに職場では大いに役立った。
ある日ふと、”打ち合わせもワークショップ”と捉えることができるのでは?と、思いついたのだ。

そこで打ち合わせに臨む際に「これはワークショップだ」と自分の中で密かに見立てることにした。すると議論に集中しながらもそこにいる人達や場を以前よりも注意深く観察することができたのだ。

さらに、こっそり頭の中で F2LOモデルを描いてみることにした。すると、今、我々は活動の対象に向かっているのだろうか?参加者と活動の対象との位置関係はどう変化してきているのか?今どんな働きかけをするのが適切か?という事に思いを巡らせることができたのだった。(それがたとえ実際の自分の立ち位置が参加者であったとしても)

F2LOモデル
ワークショップをそれ以上分解できない最小モデル
F : ファシリテーター(支援者)
L : 学習者(参加者)
O : 活動の対象

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もちろん、働きかけが上手くできた時もあれば、そうでない時もあった。しかし、視点や立場を変えて客観的にその場と場の動きを見ることはとても役に立つと実感することができた。

こうしてWSDでの学びは”ワークショップという非日常の場”ではない日常の生活の中でも大いに活用できるという手ごたえを感じることもできた。

分かちあう学び

この1年で参加した中で特に印象深かったものは、ある連続的な学びの場における参加者同士のディスカッションだった。

そこでは毎回いくつかの「唯一解のない問い」が提示され、その問いに対してはじめに少人数のメンバーで意見を出し合い、そのあと全体の場で共有し合うということが繰り返された。

問いによっては、自分なりの考えがあることもあれば、難しくて全く思いつかない、そもそもその問いに対してどうアプローチしてよいのかすらわからないということもあった。しかし意見交換するうちに自分が考えていなかった切り口の意見、視点、新しい価値観に触れたり、他の方の素朴な疑問を聴くことで自分の中に気付きや新しい考えが生まれる経験をたくさんすることができた。

そして、これらのワークを行いながら、これは今まさに分かちあう学びを実践している瞬間なのだと気付いた。

3つの学習観
①行動主義学習観:できる
(学習者は1人、得られるものは正解、獲得型の学習)
②認知主義学習観:わかる
(学習者は1人、得られるものは正解、獲得型の学習)
③社会構成主義学習観:分かちあう
(学習者は自分と他者、得られるものは納得解、参加型の学習)

※①②③は対立していてどれかが優れているということではない

また、それと同時に③の学びだけではなく、①と②も必要ということにとても腹落ちした。なぜならば連続的な学習の場では①と②と捉えられる要素も含まれており、参加者の中に”共通する土台”のようなものができていたのだ。だからこそ③の学びがとても効果的に機能したのだと感じた。

バラエティーに富んだ活動領域に所属する参加者と相互に作用しながら学び合える時間はとても楽しく有意義なものだった。一緒に学びを分かちあえた皆さんに心から感謝の気持ちを伝えたい。そしてこれからも学びあっていければと願っている。

これから

この1年をふりかえってみると、自然とWSDレンズを通して身の回りの出来事や経験を観察しながら理論や概念の学び直しをすることができた1年間だった。

そして改めてWSDでの学びはワークショップだけでなく日々の生活やコミュニケーション、学びの場に活かしていけていることを実感することができた。

とはいえ、まだまだ実践者としての経験が圧倒的に足りていないのも事実である。次の1年はもっと実践の場に軸足を置いて活動していけたらと思っている。

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