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あの頃の傲慢な自分へ

カバー写真は UnsplashShe gladly seesが撮影した写真。

かつて、見合いを取り仕切ってくれた方に言われたことがある。

あなたは、相手の方をどう思ったかわからないが、あなたにはこの人が釣り合いそうだと思って私たちはお世話をしている。他人から見ると、あなたとあの方は釣り合うんだと見えるんだよ。

こんな言い方だった、もっと直裁な言い方だったかも覚えてないくらい過去のことなのだが、当時の(おそらくとても傲慢だった)私は、この言葉にひどく落ち込んだ。そんなわけないだろう、と思ったりした。

私が見合いしたその女性について、あれこれ書くのは憚られるし、第一もうはっきりと印象を覚えているわけでもない。が。こんな感じの人なのか、あまり好きになれないな、この人とは結婚したくないな。そういう感情をもったことは確かだ。そうでなければ、その後何度も見合いを設定してくれて、結局恩に報いることができなかった、などという結末にはならなかったはずだ。

そう。私はその見合いの相手に、70点(もっと低い点数だったかもしれない)をつけていたのだった。それはつまり、自分を70点(もっと低い点数だったのだろう、きっと)と見ていたということでもある。その頃よりも、いくぶん傲慢さがマイルドになっているといいのだが。

ではその後、わたしの見合いの最終結末はどうなったかを、ここで書けるといいのだが、残念ながら、小説のようにうまく結末を迎えることはなかった。いまさら何を言っても始まらないのだが、どこかで、自分の小さな決断ひとつで、次の新しい場所へ行くこともできたのだろうと、思う。

いざ書き出してみれば他愛のない戯言に過ぎなかった。

とはいえ、久しぶりに読んだ小説は刺激的だった。小説を読む楽しみに、もう一度出会えるかもしれないと思えた作品だった。