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When Effort Is Enjoyed: Waterman(2005)

ロッククライミングのように,一つ間違えば命を危険にさらすような活動がなぜ「楽しい」のか,あるいは,特定の人にとっては勉強することさえなぜ「楽しい」ことなのか。というのは,このところずっと持っている疑問だ。放送大学で勉強している人の中に,「もっと楽しいことすればいいのに」と言われたことがある人がいる。勉強はふつう,楽しいこととは思われていない。そして私も,ロッククライミングを楽しいとは思わない。手を滑らせて落下する気満々になってしまう。なぜだ? 「努力が楽しいとき」とでも訳したらいい論文を,Watermanが書いているので,それについて書いておく。

2つの幸福概念

この論文を読むうえで重要なのは,2つの幸福概念についてまず理解することである。ひとつはEudaimonia,もうひとつはHedonismである。哲学では,快楽を高次のものと低次のものに区別する考え方が主流であり,アリストテレスは,「美徳を表現する活動」としての「幸福主義」が,私たちの中で最高の,卓越したものだといっているらしい。これが高次の快楽,つまりEudaimoniaであり,低次な快楽がHedonismであるとされる。

その上で,何かの活動をしているときに感じる幸福は,高次の快楽(幸福)と低次の快楽(快楽)との組み合わせから理論的には4種類考えられ,幸福も快楽ももたらされる,快楽のみもたらされる,幸福も快楽ももたらされない,幸福のみがもたらされる,である。ただし第4のカテゴリは論理的に無効であるとされている。4象限に整理するとわかりやすい。あと,高次の快楽(幸福)は,内発的動機づけやフローとも理論的には相関するとされている。

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努力と相関する幸福

では,幸福と快楽はどのように区別できるのか。Watermanは論文冒頭でつぎのように書いている。

Theories of happiness within both philosophy and psychology have traditionally distinguished higher from lower pleasures and provide a basis for using effort as a variable for making a distinction between the two types of activities with respect to their behavioral motivation. (哲学や心理学における幸福の理論は,伝統的に低い快楽から高いものを区別し,それらの行動動機に関して活動の2タイプを,努力という変数で区別するための基盤を提供している。):太字は引用者

2つの幸福概念は,努力という変数で区別することができるというのである。例を使って考えよう。幸福をもたらす楽しい活動は,たとえば,ロッククライミング,作曲,舞台演技,プログラミングなど。どれも努力が必要な活動。快楽をもたらす楽しい活動は,高級レストランでの食事,テレビ鑑賞,ウィンドウショッピングなど。これはどちらかというと,身体的欲求の充足に関連し,努力とは関連しない。テレビ鑑賞する番組にもよるだろうけれど。(放送大学の授業番組だったらどうだ? とか。)

Watermanの論文にはこのあと,2つの研究について報告されている。かなり変数の多い調査であること,回答された活動が努力の多い少ないで分類されているとはいえ,やや疑問があることから,その詳細については省略。

ただいずれにしても,EudaimoniaとHedonismという2つの幸福概念についてはもうちょっと理解を深めないといけない気がする。前者は内発的動機づけやフロー概念との相関も検討されていて,それはやはりWatermanが別の論文に書いているし,幸福概念についても別の論文で詳細に述べられている。いや,ちょっと骨の折れる論文なんだが,どうせ出かける機会はへったままなので,もうちょっとやってみようと思う。