ぼくと映画。

(この記事は私主催のごった煮(仮)アドベントカレンダーの記事です。)

まず本編に入る前に。
本日12月24日、この盛岡デミタス…

誕生日でございます。

Twitterのほうにお祝いのメッセージを送っていただけると飛んで喜びます。
祝って


…さて本編。

 映画が大好きだ。特に映画館でポップコーンとアイスティー両手に観賞しているときはもう至福のひと時といっても過言じゃないと思う。ポップコーンは塩が一番好きなんだけど、気づくとクチビルがしわっしわになってることがザラなのでハシゴするときはキャラメルを選ぶようにしてる。でもうっかり「ポップコーンの塩ひとつ!」って言っちゃう。そしてクチビルかしわしわになり、下クチビルを口の内側に引っ込めながら観る羽目になる。我ながらアホだねぇ…

 今でこそ毎週のように映画館に足を運ぶようになっているが、別になにも子どもの頃から映画好きだった訳ではない。長い映画より短い30分アニメの方が好きだったし、練りに練られたストーリー展開の作品よりもドリフに首ったけの子どもだった。じゃあなんで今のようになってしまったのか。これには私の両親が大きく関わっている。

 まずは父親。彼は漫画やアニメといった近年の娯楽に対し少し抵抗のある人物だった。漫画を読んでいると「そんなバカ漫画を…」といい、ゲームをねだろうにもあまり首を縦に振らなかった。
(ちなみに最近はポケモンGOにハマるわ深夜アニメもチェックしてるわで昔の私がみたら頭を抱える現象がおきている。何があった親父。)
そんな父親が唯一…というと表現が硬くなってしまうが、簡単に許すしなんならよく一緒に連れて行ってくれたのが映画だった。他にも映画のビデオを借りてきては「みんなで観よう」と誘ってくれたり「映画に行きたい!」といったらチケット代よりちょっと多めにお小遣いをくれたりと何故か映画に関しては寛容だった。
 次に母親。彼女は父親ほど娯楽に厳格ではなく、ゲームカセットをねだる際の最終手段として甘えにいったりする存在だった。
(なおその魂胆はバッチリ見抜かれており、その上で頭を下げに行っている。母は強し。)
では何が影響を与えたのか…その答えはこんなエピソードにある。

 私が小学生の頃、こんなことがあった。
 授業中突然呼び出される私と数人の友人たち。なんでも親が迎えにきてるんだとか。「家族のだれかに何かあったのか?」「そもそもなんでみんな呼ばれるんだ?」と疑問を抱えながら向かう一同。あまりの不安に友人の一人がその親に聞く。「どこに行くの?」そして車に乗り込んだ後母親が一言。

「ドラえもんの映画を観に行くのよ。」

車内で狂喜乱舞する子供たち。それもそのはずただ映画を観に行くのではなく「仲のいい友達と」「学校の授業を抜けたうえで」「楽しいドラえもんの」映画を観に行くのだからもう嬉しいのなんの。あの一本は僕の人生を彩る映画の一本といっても過言ではないと思う。…まぁそんなに内容覚えてないんだけど。
(記事を書いているときに思い出したので)この行動の詳しい理由はあとで帰省したときに聞くとして、この経験が「映画は楽しいもの」という印象を強く与えてくれたのは間違いない。

 この両親があったからか今の僕がある。というと何やら話が大きくなってしまうが、この二人だったからこそ今の「映画好きの私」が存在している。



 …というところで話が終われば美談で終わった。のだが現実はそう甘くない。実はもう2ステップ存在しているに至るまでの段階がある。

 ひとつは高校時代。高校近くに映画館があった。そもそもこの高校を選んだ理由が「そこそこの偏差値で家から近いから」という邪極まりない理由なのだが、この「映画館が近くにある」というのは嬉しい誤算だった。が、これだけではない。映画館…高校生…と並べば答えは明白であろう。そう…

学割である。

 この点は大学時代にも共通するのだが、通常料金が¥1800のところを¥1000ないし¥1500で観賞できてしまうのは非常に安い。さらにこれが一年限りでないというのもデカい。高校生とはいえ1000円は決して安い金額ではない…が、「他の誰よりも早く新作を通常より安く観賞できる」という利点が背中を強く後押しした。部活帰りや休みの日によく行くようになった。
実質、「映画好き」が燃え盛り始めたのはここからである。

 次に大学時代。ここも映画熱が急加速する理由があった。
サークル?違う…恋人?違う…授業?どれも違う…
というか、そんな華々しい理由ではない。

 入学して早々、スクールエスケイパーと化していた。元より精神面が強くない私にとって大学はストレスの巣窟といっても過言ではなかった。知り合い0、初めての一人暮らし、地元外の土地、見るからに「ああ…こんな奴らとは一生仲良くできないし関わりたくもねぇな…」と思ってしまう人種たちといった様々な要因が私の精神を蝕み、約1年程度大学から逃げていた。
逃げるにしても新天地、一人暮らし先に引きこもり続けては精神の腐りが悪化することは目に見えていたので外出を決意。一日で歩ける限界を目指したり駅の終点まで乗ったりしている生活を送るうち、ひとつの光を見つける。

映画館である。この日を境に映画館に入り浸る生活を送った。幸か不幸か知り合いが一切いなかったので人目を気にすることなく映画館へ足を運び、朝から晩まで映画三昧の生活を送っていた。決して褒められた行為ではないが、もしあの時映画館があることを知らなかったら恐らく皆さんはこの文章を読んでいることはなかったんじゃなかろうか。

私は映画に命を救われたのだ。

この後映画浸りの生活(と、親からの涙の電話)により、二年目からは復帰し「ドロップアウトからの奇跡」と喜んでいいのかわからない称号を教授からいただくのだが、その件はまた別の機会に書くとしよう。

 …といった感じで今に至る。読み返してみると実に滑稽な人生だ。
コイツはもしかすると映画化したら一山儲け…ないな、うん。


クリスマスイブなんてめでたい日に長々と読ませてしまって申し訳なかった。お詫びにポップコーンを奢らせてもらいたい。なんでもいいぞ!




まぁ『映画館で私に逢ったら』の話だけどね。