
1人の女性がエンジニアになるまで〜m.coderの場合〜
m.coderと申します。
@wiroha さんの以下の記事に触発され、自分も女性エンジニア(一応女性です)の端くれとしてエンジニアになるまでの過程を書いてみようと思いました。
普段明かさない社名込みで、自分の人生・キャリアを綴ってみました。女性エンジニアが増えてほしい、活躍してほしいのです。 / 1人の女性がエンジニアになるまで|wiroha #note https://t.co/2rRv9TnKv5
— ゐろは (@wiroha) January 24, 2021
まず自分の現在のプロフィールを簡単に紹介しておきます。
年齢: 36歳(今年37歳になります)
職種: Androidエンジニア
Androidエンジニア歴: 約2年
私がエンジニアになった過程は再現性ゼロですし、非常に変な経歴を辿っていることはご承知おきください。
誕生〜幼稚園
私の出身は岐阜で、つい最近まで岐阜の実家で暮らしていました。子供の頃から非常に人見知りで、知らない人とは全然喋れない人間でした。
また、自己肯定感が低く、何かと引っ込み思案だったと思います。幼稚園の先生に分からないことを質問する事ができずに怒られた記憶があります。
幼稚園の頃からゲームが好きで、父親や姉がプレイしているファミコンゲームを後ろから眺めていました。
小学校〜中学校
小学生の頃から自分でもがっつりゲームをやり始めました。ちょうど小学生に上がった頃にスーパーファミコンが家に来たような記憶があります。初めて最後までクリアできたゲームはDQ5でした。
正直にいうと、小学生や中学生の頃の学校の記憶はあまりありません。小学校高学年に上がった頃から、徐々に不登校になっていったからです。明確ないじめとかではなく、些細な事がきっかけだったと思います(あまり覚えてない)。
この頃から自分の自己肯定感情は最低値に振り切っており、自分はダメ人間だと思うようになりました。
家にいる時間が長くなったので、自然とゲームをする時間が増えました。この頃から「ゲームを作る」ということに興味を持つようになったと思います。
不登校の自分を見かねてか、高専生だった姉がお古のパソコンを譲ってくれました。小学6年生ぐらいの頃だったと思います。Windows95マシンでした。
ありがたいことに当時としては珍しくネット環境もあったので、最初の頃は Vector に上がっているフリーのゲームソフトなどをDLして遊んでいました。
[プログラミングとの出会い]
中学2年生になった頃、姉の勧めで Visual Studio 6.0 のアカデミックパッケージを買いました(買ってもらいました)。確か3万円弱だったと思います。
これが一番最初のプログラミングとの出会いでした。
当時はVisual C++でC言語を触ってポインタで挫折したり、Visual Basicで簡単なアプリを作ったりしていました。
ただ、そこからがっつりプログラミングをやったかというとそうでもなく、ゲームを作りたい気持ちはありつつも、クラスとかは全然分からない "プログラミング初心者" から抜け出せないままでした。
(タイピングだけはかなり速くなりました)
また、当時は自分のホームページを作るというのが流行っていたため、メモ帳でHTMLをタグ打ちしてジオシティーズとかに上げたりしていました。<marquee>タグで文字をスクロールさせたり、JavaScriptでマウスカーソルを追従する謎の物体を出現させたりするのが流行ってる時代でした。
参考↓
高校
高校は通信制の高校に入りました(その前に1回高校中退していますが特に語れることもないので割愛)。
学校に通うのは週1回程度だったため、時間は余っていました。「創作物」全般に興味がありましたが、自分で創り出すだけのアイデアはなく、ひたすらネット/ゲーム/読書などで他人の創作物を消費していたと思います。本格的に演劇を観に行くようになったのもこの頃だったと思います。
プログラムではないですが、PC版RPGツクール製のゲームの中身を覗いたりしていました。
ニート時代
大学は行きませんでした。予備校にも通いましたがモチベーションが続かず、途中から行かなくなりました。
幸い物覚えはよいほうで、低いランクの大学なら行ける程度の学力ではあったのですが、「自分が何をやっても無駄だ」というような諦めの感情があり、行動しませんでした。
この頃のことは少し後悔しており、今になって大学に入り直したいという欲が出てきています。
テスター時代
しばらくのニート期間後、さすがに社会に出ねばと一念発起して、テスターのアルバイトを始めました。
自分が入ったのは名古屋にあるゲームやパチンコのテストを専門的に請け負う会社で、開発元から依頼を受けて発売前のゲームなどをプレイし、見つけた不具合を報告するという仕事でした。
ゲームが好きでしたし、少しでも自分がゲーム開発に携わっているという感覚を味わいたかったのです。
この時にプログラムではありませんが、少し開発寄りの案件にも関わり、フラグ管理や変数などの知識が役立ったりもしました。
この会社は仕事内容的にもゲーム好きな人たちが多く集まっており、自分には居心地がよかったので、結局9年間働いていました。
[個人開発に手を出してみた(挫折)]
この時期、世間的にはiPhoneが日本で発売され、Apple Developer Program (当時は iOS Developer Program という名前だった気がします)に登録すれば、素人がアプリをリリースできるという、ある種夢のような状況が始まりました。
私は(また)姉に薦められ、Developer Program に登録して、Objective-Cでとても簡単なiPhoneアプリを作りました。iPhone4が出るか出ないかぐらいの頃だったと思います。
当時は今のようにフリーの素材サイトなどもほとんど無かったため、UIはデフォルトのボタン等を並べただけの状態、画面数は2画面だけというすごく簡素なアプリでした。
結局そのアプリはストアにリリースする事はなく、自分と姉が少し使っただけでお蔵入りしてしまいました。
SES時代
テスト会社ではそこそこ評価もしてもらい、リーダー的な立場になったりもしましたが、いかんせんアルバイトなので給料が低かったです。一番多い時で手取り14万ぐらいでした。
その頃父親も定年を越え、そろそろ仕事を辞めるかもという話が出てきており、バイトの給料では親を養う事も出来ないので正社員としての就職を考えるようになりました。
その時、自分ができる事は何かと考えた時に、工場勤務か昔少しかじったプログラミングぐらいしかないと思ったのがエンジニアへの転身を考えるきっかけでした。
何社か受けた中で、拾ってもらったのが未経験OKのSES企業でした。開発志望でしたが、元々テスターだった事もあり、まずはテストからという事で客先派遣で働き始めました。
派遣先にも開発志望である事は伝わっており、テストをやりつつExcelのVBAを使った社内向けツールの作成などをやらせてもらったりしていました。
しかし、かなり大企業への派遣で、それぞれの業務が明確に分かれているところだったので、なかなか開発の方には移れず、そのまま3年近くテスターを続ける事になりました。肩書きだけはエンジニアにはなれましたが、開発実績はほぼ積めないままでした。
[資格の話]
今までの実績が何も無いので、とにかく目に見える形でアピールできるものをと、必死で勉強して1年目の春秋で基本情報と応用情報を取りました。応用情報を取ったあとはある程度自分に自信がつきましたし、転職時に書類で落ちることが無くなったので、取って良かったと思っています。
休職
3年目に差し掛かった頃に謎の体調不良になり、休職する事になりました。原因は今でも正直よく分かっていませんが、その頃目まいに悩まされていてそれが悪化傾向だったのと、多忙な時期に愛猫や近い親戚の死などが一度に重なったのが原因かなと思っています。
一度は時短で復帰したものの、良くならずそのままSESを退職して治療に専念しました。
自社サービス企業時代
体調が回復した後、転職先を探し始めました。
この時は応用情報を持っていることを評価してくれる企業が多く、面接を2-3社受けただけで転職先が決まりました。
入社したのは名古屋で不動産系の自社サービスを開発している会社で、20人ぐらい(エンジニアの数は1桁台)の小さな企業でした。iOSアプリでのわずかな開発経験を評価していただき、モバイルアプリエンジニアとして入社しました。(ちなみに女性エンジニアは私1人でした)
ただ、すぐ後にiOS開発のできるエンジニアが採用される予定だったため、私はAndroidエンジニアにスライドする事になりました。元々大した経験値ではなかったため、スライドはすぐに受け入れました。
Kotlinは触った事もない状態だったため、必死で勉強しました。この頃からQiitaを積極的に覗くようになり、DroidKaigiの過去のセッションなども、分からないながらもひたすらに見まくりました。この後にやっとオブジェクト指向の概念を理解しました。
幸いだったのは、入った会社の技術がかなりモダンで、技術力のある人たちが集まっていた事です。過去のソースコードを読み漁ったりして、「モダンな開発とは何か」「アーキテクチャとは何か」ということを学べました。
このおかげで、1年が経過した頃には相当技術力がアップしたと思います。
[個人開発に手を出してみた その2]
2年目に差しかかる頃、同僚のiOSエンジニアから声をかけてもらい、個人開発のアプリを作り始めました。
私はAndroidアプリの設計と実装を担当し、出来上がったアプリが↓になります。
1つのアプリを始めから終わりまで作り上げ、リリースまでこぎつける事で、かなり自分への自信に繋がりましたし、人からも評価していただけるようになりました。
[技術力が自信に]
今までは過去の事もあって、自分に自信がない状態がずっと続いていました。
でも、技術力がついて、ある程度自分の思ったように実装ができるようになると、「自分は他のところに行ってもやっていけるんじゃないか?」と自信がつき、新しい事を学ぶのも楽しくなってきたので、行動力も徐々についていきました。
この頃から技術記事の投稿やTwitterを始め、「いいね」が付いたりするたびに嬉しく思ったりして、自己肯定感は少しずつ人並みに回復していきました。
受託開発の会社(現職)へ
自社サービスの開発は1から全てを経験できてやりがいはあったのですが、いかんせんAndroidエンジニアが自分1人しかいないこと、今後も増える見込みは少なそうなことが、転職を考えるきっかけになりました。
2年目に入った頃からなんとなく Findy や LAPRAS などのスカウト系のサイトに登録し始め、声をかけていただいた企業様とカジュアル面談をしたりしていました。
何社かは選考まで進んだりもしましたが、採用までには至らない状態が半年ぐらい続きました。そもそも有名すぎる会社さんばかりだったので、経験が少ない自分では当然の結果だったかなと思います。
その中で声をかけていただいた受託開発の企業さんの雰囲気が気に入り、選考を受けたところ採用に至ったため、今年(2021年)の1月からお世話になる事になりました。
長年岐阜の実家で暮らしていましたが、転職を機に引越しもしました。
今はオンボーディング期間中で、「おお、これがコードレビュー…!」などと感動しながら日々を過ごしています。
結婚…していない
経歴が経歴なのと、色々心身にダメージを負ったりした時期もあり、結婚はしていません。結婚願望も弱い方だと思います。
自分は一度にいろいろな事にリソースを裂けない方なので、まだしばらくはまったりとお仕事メインでやっていこうかと思っています。
おわりに
女性エンジニアの数は本当に少なくて、今の会社でもエンジニアという括りでは私含め片手で足りるほどしかいません。
それは技術的なハードルというよりも、「女性エンジニアが少ない」という事実そのものや、「エンジニア≒男性の職業」みたいな雰囲気がハードルを高くしているのかなと思ったりしています。
@wiroha さんをはじめとする一連の記事を読んで、女性エンジニアを志してくれる方が少しでも増えてくれたら嬉しいです。
全然理系じゃない、高卒の30過ぎた人間でもエンジニアとしての経歴をスタートさせられるという事実が、少しでも励みになれば幸いです。
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