コロナショックによって、会って癒せない世界が始まったから、電波に乗せて「声」で癒しを届け始めた話

私はTwitterなどで積極的に「声」を公開してきました。

現在は、シチュエーションボイス界隈で、
定期的に、短めの音声作品を公開しています。

私自身が「声」が強みであると自覚しているために、
実はこの形の発信活動を10年超、時々途切れながらでも続けています。

本日は、私が今取り組んでいる、
シチュボ(シチュエーションボイス)活動、
および、
「今私ができること」として行っている
「声」で届ける「優しさ」を配る発信活動としてTwitterで展開している

『#ゆるかふぇぼいす』のことをまとめてみようかと思います。


はじまりは、声に救われた私の体験から…

年単位で挫折を繰り返している。
私個人というより、私を取り巻く、いきづらさとの、戦い。

高校生ぐらいからずっと、ネットの世界の中で「声」を公開して生きてきた。
実生活の私はどうしようもない奴であったけど、ネット上では「声」を始めとして、「歌」などに一定数価値を見出してもらえていたようで、『居場所』のようなものを見つけていた私は、とてもいきいきとネット上では動いていた。

願わくは、ネット上の楽しさを現実世界にも…

社会人になり、対人援助の仕事に就いてからも、「声」を大切にした生活を続けてきた。しかし、現実世界のいきづらさが、ついに、ネット上の楽しみでは中和できない程に濃くなって…とうとう、その二つのバランスが著しく崩れ、現実世界の私は、壊れた。

壊れてからは、藻掻けばもがくほど、絡みついていたものが私を雁字搦めにしてくる。特質も影響してきて、身動きが取れなくなっていく...

住む場所を変えたり、働く場所を変えたり、周りとの関係性や距離感を変えてみたり、本当にできる限りの全てを尽くしたはずだった…でも、私は、藻掻いているうちに、呼吸の仕方を忘れたように、パタリと発信活動も、積極的な社会との接触も、一つの致命傷をきっかけに、藻搔いているうちに再起不能レベルまで追い込まれてしまった。

どう死ねば迷惑がかからないだろうか…

そんなことばっかり考えてしまって、生きるチカラが限りなくゼロに近づいてしまった私を救ってくれたのは、少しだけ社会に触れる勇気を出せたタイミングの私が、見つける事ができた、今まで関わってきた人たちと残してきた記憶や、記録、「声」で作り出してきた「つながり」が産み出した音声と音楽の数々だった。

私は人よりも多少耳が敏感で、音によって精神を左右される傾向がある。

その中でも、私の心を安定させてくれた「声」に、活動中にも出会っていた…そういう人の「声」を積極的に聴いて、溢れてくる感情を許して、自分の葛藤は、どんな結果を産んでしまったとしても、自分だけは頑張りを認めてあげるようにしていった。私だけが悪かったわけじゃない。行動は無駄じゃなかったんだ、“いつか”のための葛藤だったのだ、と

『これは避ける事ができなかった事で、どこかにそうなる理由があったのだ』

すると、あれだけ動けなかった、声を出せなかった私は、わずかではあるが、前に進み始めていることを自分で感じ取れる程度には、心が安定して、生きられるようになった。

このときに大切したのが『好き』という感情で動ける事柄

…この考え方で、いきづらさが軽くなる人が、私以外にもいるのではないか、

そんなことを思うことになったため、
以前のように動けないために活動名義を隠して
(休眠名義を捨てたわけではない)
今できる範囲での発信活動を、再開したのである。


私にできる、世の中での戦い方は

コロナショックによって、戦い方を変える必要があることに気づけた。

これについては別記事を読んでいただいたほうがいいかもしれない。

人に会うという働き方ができなくなった以上、
ネット上の活動を主軸にした仕事を、
始めていくことを考えなくてはならないのでは?

そんな気持ちで、始めたTwitterタグ

#ゆるかふぇぼいす

沈みきっていた私を救ってくれたのは、さまざまに状況を音声で疑似体験できる、シチュエーションボイスであった。
心にするっと入ってくる、優しい低音の声に私の心は救われた。これは昔から思えば、そうだった。

感覚が過敏すぎて、大きすぎる感情を上手に吐き出せない私が、
本当は苦しすぎて、泣きたいけど溢れてくる感情に恐怖する泣けない私が、
ただの女の子に戻る時間を自分に許可を出せたのは、こんなタイミングだった。

こんなふうに、心に働きかける「声」で、
誰かのいきづらさを、軽くすることできないだろうか?

私は前職で人の生活を間接的に支援することを仕事にしていた。
そんな私だったから、人よりも「聴く」ことができる力があると、実績も含めて思うことができた。

私と話してようやく泣けた、という人が、かつて何人かいたりした、
もしかしたら、私にもこのボイスの方と同じような資質が眠っているのでは…

それを、確かめたくなった。


もしそうならば、

私は「人の為に自分の力を使う」という働き方が
できる可能性が見えてきたからだ。

テクノロジーの進化で、本格的な機材がなくとも、
ある程度のクオリティの音声を届けることができることを
今までの「声活動」の経験から知っていた。

そして、機能の面で、試行錯誤した結果、
#140字シチュエーション台本
から恋愛色が少なめの励まし系をメインでお借りして、
現在は、かつて撮りためて来た写真と画面録画の合わせ技で
現在の  #ゆるかふぇぼいす  のスタイルになった。


本格的に始めて一週間程度だが、台本師さまに音声化した際には、拡散もしていただいていて、自分では思いもしなかった界隈へも「つながり」が生まれてきているように感じているし、同時に、評価もしていただいていることを感じる。

好きに正直に活動していたら、
「どこかにウケる」ということをまた、改めて感じることができている。

声は、あくまで発信活動を価値化するための手段に過ぎない

このコロナをきっかけにして、私は
「ひとりじゃないよ」を伝えるためにシチュボ活動を開始した。

しかし、私の根底には、現実世界の
どうしようもない状況を変えたい、という欲がある。

私一人で変えようとして、複数回挫折して、

...個人的に、これがラストチャンス、だと思っている。

次、大きすぎる後退が起こってしまったなら、
そのときは、「私」は終わってしまう気がしているのだ。

活動を続けて生きていきたいから、
評価されるものから、価値あるものに昇華させたい。

ギブはするけども、ギブを続けるために、
支援が欲しい、が本音だ。

切実な現実、私には、この活動を社会的価値にまで高めて、見える形にして、
認めてもらわなければならない環境が存在する。

理解がない、理解をしたがらない環境へ挑んでいくには、
相手が認識できる価値にこちらが変換して届けるほかにはない。

残酷な真実だが、相手が認識できない価値は、
相手にとって価値ではないし、
この世の中、結果しか、評価されない。



「私」なりの生き方を追及していたら、見えてきた世界は

私は身体が動かなくなったことで、与えられた価値ではなく、自分が築き上げてきたものを『好き』という感情で、続けてこれたことで生きていくことを選び取ることにした。

これは、私の物事の判断基準が
「私が幸せだと思えること」を選ぶようになったからである。

「私が幸せであれば、私を大切にしたい人たちは、
   それなりに幸せと思って日々を過ごすことができる」

…そう、心から思えるようになったから
できるようになった生き方だった。

すると、私の周りを気にしないで、好きなことができるようになってきた。

好きなことをしていたら、それを好きな人と
あったかい「つながり」を結ぶことができた。

その世界は、とってもあたたかい。

過度に傷つくこともないし、傷つけることも…ないとは言わないが、
傷つくな、と思った人は勝手に抜けていく。
みんなが「自分の幸せ」を大切にしていて、気遣われすぎる事もない。

とっても、優しい世界が広がっていることを実感できている。

コロナショックで今までどおり戦えなくなったって、
まだやれることは、たくさんある

比較的若い私達には、ネット上の人格がある。
この人格は、時代の変化とともに、
昔以上にリアルと深く関わる要素になってきた。

私は別人格としてではない、「私」から出てきたある一面、ぐらいの認識で
動かしていくことにしよう、に変えた。

今こそ、手元にあるものに目を向け、
失ったものや手に入らなかったものに固執せず、
『今』を受け止めて、その上でできること、で
生きていくという価値観が求められているような気がする。


今こそ、私だからこそ提供できる価値を

私は紆余曲折ありながらも、ずっと細くなっても、つながり続けた
この「声」の世界に、「私」の価値は見いだせるのかもしれない。

与えられてきたものではなく、自分の意志で築き上げたもの…
全てを失ったように思って、とうとう自分の意思で動けなくなった私も、
これに気づけて、浮上できた。

この経験こそが、私の提供できる価値であると信じている。

コロナウィルスの蔓延によって、動けなくなった人がきっとたくさんいる。

生き方や考え方の変換点に到達しているのかもしれない。

本当に大切にしたいことは何なのか、自分の心に一度問うてみよ、


コロナショックは、私達に教えてくれたのかもしれない。

与えられたものではなく、得られないものではなく、
今こそ、手元にある自分で得てきたもので生きる方法を
模索してみると良いのかもしれない。

だってこの世界は、選択肢に気づきさえすれば、いくらだって生き方を選べる。

自分と向き合って戦うことを選んできた者にとっては、
優しい世界なのだと思うから。



突如、『今までのまま』では生きられない
新時代が始まってしまった...


コロナショックによって、不本意な新時代の始まりを実感しています。
それこそ、備えてこなかった人たちが、情報に踊らされる人たちが、
地球規模で淘汰されていっているように思えてなりません。

その点、身体は思うようになかなか動けないという形だけど、
精神的には、とてつもなく自由になれた私にとっては、
新たな活路を見出すことができるかもしれない、

という追い風が来ているようにも思えるのです。

正直、私の考え方は不謹慎な気もします。

ですが、来てしまった以上、それに合わせて、いかに生き残るかを考えなくちゃならない。さらに言えば、いかに「よく生きるか」追求しなきゃならない…そう思ったとき、私は「私にできること」「私だからこそできること」に全力で動き始めようと決めたんです。

まだまだ、現実世界に影響を与えるほどの価値はつくれてはいません。

でも小さく前進を感じることができています。私はここ数年、ありとあらゆる迷惑をかけてもなお、周囲に支援をしてもらってます。

そんな私が、ようやく自分の戦い方を見つけられているように思います。そしてこれは未来のいつかに何かに繋がる当然の理由だとも思っています。

ようやく人生かけて無力感でいっぱいだった幼い私が重ねてきた葛藤が、
なにかの成果として、実を結ぶのかもしれない、だなんて思っています。

今までのやり方、「人のために」だけでは、やれない、

「私のために」人のためになるものを

という考え方で、
今私にできること、をこれからも全力で取り組みたいと思う、

今日この頃です。


・ ・ ・

普段『好きを大切にする生き方』というテーマでnoteの発信をしています。

また、Radiotalkで「ゆるcafeれでぃお」という番組の中で音声での発信活動をしていますので、よければこちらも聴いてみてください。
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