見出し画像

「住めば都」も「信頼」も動かにゃ全部絵空事2023

絶対に年内に振り返りnoteを書くんだと意気込んでいると、あっという間に2023年も最終日。

超夜型のパートナーと朝方に寝て夕方に起きる完全昼夜逆転生活を送り始める年末年始になりそうだ。

そんな自堕落な生活の中でも、振り返りはしたいので、合間を縫って一本、したためる。

今年は鹿児島から北海道へ身を移すという、人生で「誕生」を除いて最も大きなライフイベントを経験し、騒がしい感情の中、奔走した。

そこで、身に染みたのが「住めば都」も「信頼」も動かなければただの絵空事で終わるということだ。

大移動が決まってから

約2年の間、遠距離恋愛をしていたパートナーと結婚を見据えた同棲をすると決め、12月中旬に両親に二人で挨拶をした。

「仕事が忙しいのだから、わざわざ来なくともzoomで結構!」という両親の計らいで、パートナー、私、両親は、この組み合わせで顔を合わせるのが初めてだというのに、別々の場所からzoomで「はじめまして」「お世話になってます」と画面の前で背筋を伸ばした。

今思っても「どんな初めましてやねん」とツッこまずにはいられないので、生涯笑い話のネタにする予定だ。

無事に同棲の了承も得て、勤め先に報告し、鹿児島での仕事はGWまでとなった。

会いたい人に会う

鹿児島にいられる期間が分かると、「後悔がないように」と予定を詰め込んだ。
自信がなく、プライベートで人を誘うということに躊躇い誘われ待ちばかりする性分を脱ぎ捨て、会いたい人を誘いまくった。

年明け早々、大型連休を申請して、エディットKAGAMIGAWAという編集者向け講座のフィールドワークを受けるべく、大学時代を過ごした高知に足を運んだ。
その合間に、お世話になった美容師さんに髪を切ってもらったり、入学したてからの友人と飲み屋を梯子したり、自分を変えるきっかけとなったNPOの合宿事業実行委員会の仲間たちとご飯に行ったりととにかく充実した連休を過ごした。

高知のイイトコに行きまくったフィールドワーク

誘う前は、会ってくれるかどうかを心配していたけど、「会おう」と返答があったり、会った瞬間、「久しぶり!」と抱き合ったり、これまでの出会いは過去のものじゃないと実感した。

離れていても、連絡を頻繁にするわけでなくとも、自分が思ったときに、遠慮なんかせず、「元気?」「会いたいね」って言っていいんだね。

そんなことに今更ながら気づいて、今まで強張っていたものがじわじわと緩んでいった。

高知から鹿児島に戻った後も、限られた時間の中で、会いたい人や会おうと言ってくれる人たちと時間を共有する。

社会人になってから出会った仲間と服の循環を考える企画「着ルンです会」を開催したり、仲良くなった美容師さんと三つ子で髪と顔をいじってもらって撮影会をしたりもした。

今のうちにと人生の節目として、「今までありがとう」の言葉を添えて、両親に初めて御馳走を振舞った。
きゃっきゃと楽しみ、「結婚記念日にまたここに行きたいね」と言っていた両親が、まさかの転勤で東京行きが決まり、私よりも先に鹿児島を発っていったのは、我が家の歴史に残る珍事となった。

大量の服と共にみんなで楽しんだ着ルンです会

両親と三人でご飯を食べに行って、ひと月ほどのことだったので、「感謝は思ったときに、できるときにするべし」と学んだ。

社会人になってから、仕事でもプライベートでも一緒に過ごすことが多かったNちゃんとは、一泊二日の甑島旅行を決行した。船酔いと戦ったり、島の緩やかな時間を過ごしたり、宿泊先のスタッフと夜長を過ごしたあと、慣れない早起きを二人で頑張って、日の出を見たり。
社会人になってからの初めての友だちで、離れても繋がっていたいと思える友だちとの忘れられない思い出は、甑島で買ったエコバッグと共に残している。

甑島で買ったエコバッグにはオソノベーカリーのパンがたくさん詰まっている。

光の速さで過ぎる仕事たち

仕事はというと、怒涛の日々だった。
3人体制でギリギリ持ちこたえていた店舗運営を、2月からは2人体制で回すようになり、それぞれの適材適所で踏ん張った。4月になると、インターンをきっかけに入社を決めた新入社員が2人と中途採用の社員1人が仲間入りをし、仕事を教えたり、自分自身の仕事の引継ぎをしながら、催事出張やポップアップストアなどの浮上する案件を総力戦でこなしていった。

新しいことだらけの4月、5月のGWは稼ぎ時。一息つく頃には、自分の出勤最終日になっていた。

店舗メンバーや地域の遊び仲間に送別会も開いてもらい、贈り物もたくさんもらって、初めての経験にすこぶる感動しながら、今でももらったものたちは大切に使っている。

みっちみちに過ごした日々を終え、ついに鹿児島から北海道へ。

甘くなかったホームシック

GW明けの週末、ついに愛するパートナーのいる北海道へ飛んだ。
ドラマで観るようなキャッキャウフフなときめきライフはないものの、買ってもらっていたデスクと作ってもらった作業部屋で日中をリモートワークに励みながら、気分転換に家事をする日々、忙しなく動いていた鹿児島での時間とは裏腹に至極のんびりとした時間を過ごしていた。

穏やかな日常――とはいかなかった。

私はメンタルがヘラりにヘラって、素晴らしい情緒の不安定さを保ち続けていた。

北海道に頼れる人はパートナーだけ。
我儘を言って提案していただいた業務形態では、本業だけでなく、個人事業主の仕事も増やさなければ生きていけない。
これまで鹿児島でのびのびと周りに支えられながら活動していたクリエイター活動も個人活動もゼロスタート。
年に一度は帰れるだろうと思っていた鹿児島帰省も大きすぎる帰省費の現実を突きつけられた。

そっか、身を移すってこういうことなんだ。
今までどおりに全部いくわけないんだ。
全部を持っていくことなんてできないんだ。

覚悟していると思っていたけど、まだまだ覚悟が足りなかったことを、鹿児島へのホームシックと共に突きつけられた。

これまでの活動は、これまでの人間関係で生まれたもの。
技術やスキルは残っても、人と場所がなければ、ゼロスタート。

私を構成していたアイデンティティが抜け落ちた気がして、もの凄く焦った。

パートナーだけに依存するのは危険すぎる。
まずは、私自身が独りでも立てるようにならなくちゃ。

正直、私を必要としてくれる人がもっとほしくなった。

感情ジェットコースターの中、とにかく場所と人を開拓しまくる北海道生活がスタートした。

駆け回る「私と仲良くしてください!」

鹿児島の知人や大学時代の友人に教えてもらった人や団体にとにかく会いに行った。
SNSで直接連絡をすることもあったし、イベントに参加して話すこともあった。「鹿児島から来ました!」「友達になりませんか!」「ライターしているので、一緒にお仕事しませんか!」そんなことを叫び、駆け回りの6月。
翌月には少しずつ種が芽吹き始めた。

取材先の水族館ではしゃぐ。

ライターとしての継続案件もでき、単発でも声を掛けてもらえるようになり、住んでいる地域の友だちや知り合いも増えた。行きつけのお店もできて、少しずつこの土地に馴染み始めたことを感じられるようになった。

11月からは鹿児島でも開催していた着ルンです会を毎月開催できるようになった。

自分で新しい場所に飛び込み、関係を築いていく中で、背筋がギュンッと音を立てて伸びた言葉と出会った。

信用は言葉ではなく、時間と手間

本当にそうだ。
過去を振り返っても、上手くいっているものは時間と手間をかけている。いや、時間と手間を費やしたものが上手くいっている。

このことを忘れ、私は依頼してくれた人に不誠実な行動を見せたことがある。その人は、それを指摘してくれた上で案件を続行してくれた。

私が人間として生きるための大事な体験になって、このとき、バキッと目が覚めた。

言葉でどんなにいいことを言っても、意欲を見せても、行動で表れなければ意味がない。言葉を投げて、行動しなかった分だけ、信用はなくなることを知った。

人との信頼は言葉ではない、宣言でもない。
時間と手間をかける行動にある。

そのことを自分の中で明瞭に言語化して咀嚼してからは、あらゆる活動の中でその言葉が刺さるようになった。

遠くのエリアでの仕事に興味を示しても、本当にそのエリアで仕事ができるのか?私は足しげく通うことができるのか?

一緒にやりたい企画があっても、本当に私は最後までその企画を遂行できる能力があるのか?

簡単には「やりたい!」とは言わなくなった。その代わり、今、自分が置かれている現状や特性を説明してから、「どうやったら関われるのか」を話し合うようになった。
目先の意欲に囚われず、長期的に物事の流れを見る力は少しずつだけど身につけつつある。

「住めば都」も「信頼」も動かにゃ全部絵空事

北海道で開催した着ルンです会

北海道生きる実感をし始めて、北海道でも少しずつやりたいことをできるようになってきて、どうやれば「住めば都」と思えるようになるのか、人との「信頼」関係が築けるのか。
身を移してみて、動いてみて、やっと分かるようになってきた。

ただ住むだけじゃ、都にならない。
人と出会って、言葉を交わして、それを繰り返して初めて都になる。
その土地の人たちと関わって、都になる。
受動的にではなく、能動的に、自分が関わりたい人に自分から足を運んで出会っていく。あなたと仲良くなりたいことを行動で示していく。
その繰り返しだ。

信頼も言葉だけでは何も変わらない。
行動して、態度で示し続けることで、少しずつ少しずつ積み上げていくものなのだ。

すべては時間と手間をかけること。
そしてその行動に誠実であること。

そうして動けなければ、すべては言葉から先へは現れない。形にならない。すべては幻で、絵空事で終わる。

自分都合の甘えが、自分の首を絞めていたことを知って、自分で自分に壁を作っていたことを知って、今年からやっと、絞めていた手を払って、作ってしまった壁を登り始めた。

人生のビッグイベントを含む2023年。
ジェットコースターな感情も苦い想いと嬉しい想いを経験して、随分落ち着いてきた。
人間として、少し成長できたと思う一年になった。

モヤモヤの理由が言葉になってきた

2023年、奔走して、北海道で活動することに少しずつ慣れてきて思うのが、私の本当にやりたいこととの向き合い方だ。

日々を振り返るたび「私が書きたい物語を書けていない」ことに悔やんでいる。9月に応募したコンテスト作品は応募することをゴールにしているような滑り込みも甚だしいものだった。

「書きたい」と思っているのに書けていない。それこそ、そこに時間と手間をかけず言葉だけの自分にずっとモヤモヤしていた。

そのことを高校時代からの付き合いの姉貴分に話すと、「何でモヤモヤするんだろうね?」と言われた。他にもいろいろしているのに、そこでOKとしない。できていないことを、「まあ、いっか」で片付けられないのはなぜなのか。

仕事でもない、趣味のことを、お金にしようと思っていないことにここまで執着してしまうのは、なぜなのか。

これまで、どうしてだろうと考えていたことに、一本の細い光が通った。

「私は私の物語で救われることがある」

自分が主人公でない、自分の頭の中の空想上の登場人物たちの等身大の日常や心の動きが、私自身を勇気づけたり、励ましたりしている。自分の嫌な感情を洗ってくれている。

自分の感情を支えているものの一つが物語を書くこと、言葉を紡ぐことだったのだ。

――だから、私は、物語を書いていたいんだ。

漠然としていた靄の中で掴んだ一つの答えだった。

小説家になりたいとか、有名になりたいとか、そういうのではなく、私は私を掬い救う物語を一番に書きたかったのだ。

それが分かったのが12月下旬、随分、気持ちがすっきりした。
来年は、もっと物語を書いたり、言葉を紡ぐ時間を作りたい。もっとシンプルに、コンテストに受賞したいとかそういうことではなく、書きたい物語を楽しんで書きたいな。

いつも自分と向き合いたいときに行くお店の柚子とハーブのお茶

どんな大人になりたいか、ではなく、どう生きる人間になりたいか。

11月25日で25歳になった。
私にとって、25歳は節目で、本当の大人の仲間入りを感じる歳だ。
実際にその歳になると、思ったよりも駆け回っていて、スマートじゃないし、あの頃描いていた夢も叶えられていない。
でも、いい感じに人間臭い大人にはなってきたと思う。

結婚するのか、しないのか、子供を持つのか、持たないのか。
これまでにない決断をしていかなければならない。
自分だけの人生でなくなりつつあるこれからに、私はどう生きる人間になりたいのか。

あの頃描いていた将来像は、形を変えてより大きく捉えるフェーズに差し掛かっているように思う。

自分は、どんな人間として人生を歩みたいのか。
明確にしていきながら、しなくてもいい後悔をしない日々を、来年は過ごせますように。

人生で最も雪のある生活にはしゃいでいる私を添えて

この記事が参加している募集

最近の学び

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります:)