追悼・三遊亭圓楽さん 春風亭小朝
亡くなったことになるのが嫌だった
〈同期、六代目圓楽さん〉
このメールが僕のところへ届いてから1年も経っていない令和4年9月30日、午前9時28分、六代目三遊亭圓楽さんが亡くなりました。
訃報を聞いたあと、全身からフッと力が抜けて何もする気になれませんでした。
翌日の独演会も自分では普通にしているつもりですが、身体と心の芯が動揺しているから突然溜息をついたり、気がついたらおかしな行動をしていたり。足が地に着かないという表現がありますけど、心が地に着かないというか、横隔膜が上がったまま下がらないような感覚でした。
楽屋では僕の精神状態を心配して、うちの弟子に小朝さん大丈夫と訊いて下さる方が何人もいたそうですが、平静を装いながらもかなり取り乱していたのは事実です。
楽ちゃんの自宅には(僕は圓楽さんを楽ちゃん、あちらは僕を宏ちゃんと呼んでいたので、これから先は楽ちゃんと書かせてもらいます)、笑点の仲間や友人たちが弔問に訪れたという記事を読みましたが、僕はどうしても楽ちゃんの顔を見ることができませんでした。
会うと亡くなったことになるのが嫌だったのだと思います。仕方なく圓楽夫人に協力してもらい自分なりのやり方で送らせてもらいました。
〈前座時代〉
昔、東京の落語界には若手四天王と呼ばれた人たちがおりました。
それが談志、圓楽、志ん朝、そしてうちの師匠柳朝の4人です。
ある時、その弟子たちが集まって四天王弟子の会を始める運びとなりました。
途中で志ん朝師匠のお弟子さんは抜けてしまいましたが前座の分際で紀伊國屋ホール、安田生命ホール、俳優座劇場、銀座ガスホールというような四、五百のキャパの会場が毎回満員になるほどの人気公演でした。
ある日、会の直前までパリへ遊びに行っていたぜん馬さん(当時は立川孔志)と僕が飛行機のトラブルで帰れなくなってしまったのです。その事情を国際電話で楽ちゃんに話すと、困ったようなふりはしておりましたが内心は満員の会場で三席も話せることを喜んでいる様子。僕らは楽ちゃんのそういう性格がわかってますから、会のあと嬉々として高座を務めていたという情報を入手して大笑いでした。楽ちゃんは昔からやりたがりで目立ちたがりなのです。
前の日に飲み過ぎて楽屋入りするとトイレでリバースしながら、悪いけど高座に上がらせてくれると言って落語をやりながら酒を抜くという不思議な前座でした。
楽屋入りした初期は3人とも真面目でしたが、ある程度古株になってからは三者三様で、僕はお菓子とお茶をもって下座さんの隣に座って先輩たちの高座を楽しみ、ぜん馬さんは途中で本を持っていなくなりサウナへ入ったり、映画を1本観てきたり。その間、人と話すことが大好きな楽ちゃんは楽屋を離れずに先輩たちと友達のように談笑をしておりました。
かなりの甘え上手
圓楽さんは人たらしの名人だったと書いてある記事を読みましたが、寂しがり屋でファザコンの楽ちゃんは年上で甘えさせてくれる先輩の懐へ入るのが実にうまい人で、かなりの甘え上手だったと思います。
好きな先輩の一人が先代の馬生師匠。師匠はあまりものを召しあがらず、行きつけの蕎麦屋さんやお寿司屋さんで程よくお飲みになるという方でした。楽ちゃんが前座の頃、馬生師匠が高座に上がると自腹で缶ビールを買ってきて一席終わった師匠の前に差し出すんですよ。師匠が、気が利くねと笑いながら喉を湿してお帰りになる。その様子をとても満足そうに見ておりました。好きな人の役に立ちたい、好きな人の喜ぶ顔が見たいという思いが人一倍強い人なのです。
馬生師匠が楽屋入りすると楽ちゃんの目は完全に師匠にロックオンされるので、それを感じとった師匠も御自分のほうから話しかけたりしておりました。その結果、何がおこったと思います?
なんと馬生師匠から、あたしのネタは勝手に覚えてやっても構わないよ。あたしから教わったと言ってやりなさいというお許しをもらったのです。心が通じたと思ったのか、馬生師匠のネタはみんな僕のものだと楽ちゃんは大喜びでした。
売れる前の楽ちゃんの家は冷暖房のない安アパート。夏場など同期の3人に当時の彼女を加えた4人で汗だくになりながら雑魚寝をしたものです。あまりの暑さに冷蔵庫に頭を突っ込んで寝たりして。起きると下の喫茶店でモーニングを食べて寄席へ行き、また戻ってきてはみんなで雑魚寝をするんですが、これが今となっては楽しい思い出のひとつとなりました。
とにかく女性に優しい
ついでに、楽ちゃんの女性関係にふれておきますが、楽ちゃんはとにかく女性に優しい。
特に不幸な状況にある人。たとえて言うなら、親とはぐれて雨に濡れながら鳴いている仔猫のような女性を見たら見過ごしにはできない人なのです。物知りで聞き上手ですから、そりゃあモテますよね。楽ちゃんとこれから先どう付き合っていけばよいのか、元カノの悩みをニューオータニの横のお堀で深夜から明け方まで聞いたことがありましたが、彼のことが好きでたまらないという気持ちが充分過ぎるほど伝わってきました。
また楽ちゃんは別れ方もきれいで、特に売れてからは別れるたびにそのコが困らないようにマンションをプレゼントしていたという噂があった程(信じるか信じないかはあなた次第です)。中年期にさしかかったあたりから着るものもオシャレになってきたし、かなりのモテ男であったことは間違いありません。
〈歌丸師匠との関係〉
甘えさせてくれる人を見つけると遮眼帯をつけた馬のようになる楽ちゃんですが、その最たるものが歌丸師匠を人間国宝にするための署名活動です。笑点でジジイと呼んでもうまく受けてくれるし、落語芸術協会の高座に上がることを許してくれた恩人のためになんとか役に立ちたいと思ったのでしょう。晩年、車椅子で高座まで行き、酸素吸入器をつけて高座を務めている歌丸師匠の姿を見てジッとしていられる人ではありませんからね。
勝手に「立川談志」を商標登録
〈談志師匠との関係〉
馬生師匠と歌丸師匠の他に楽ちゃんが甘えていたのが談志師匠です。
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