ルポ地方は消滅しない_葉上太郎

ルポ・地方は消滅しない 青森県大鰐町

地方自治ジャーナリストの葉上太郎さんが全国津々浦々を旅し、地元で力強く生きる人たちの姿をルポします。地方は決して消滅しない――

「借金の町」を元気にする

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イラストレーション:溝川なつみ

「400年前から作られている大鰐(おおわに)温泉もやしです。長さが40センチもあって、シャキシャキしています」

「リンゴも甘くて美味しいよ」

子供達の声が響く。昨年10月、東京・飯田橋にある青森県のアンテナショップ「あおもり北彩(ほくさい)館」。同県大鰐町の「OH!!鰐 元気隊KIDS」に参加する小学6年生の9人が、通行人に特産品を販売していた。

入口のテントに設けた売り場には自ら栽培したジャガイモや毛豆(けまめ)などを並べた。毛豆は津軽在来種の青大豆で、ふさふさとした毛に覆われている。大鰐温泉もやしも同町の大鰐温泉でしか作られていない。リンゴは町内の農家から預かってきた。

大鰐高原もやしhagami_DSC_1226

大鰐高原もやし

だが、道行く人は忙しそうで、なかなか立ち止まってくれない。

「待っていてもダメだ。あっちで呼び掛けてみよう」と男の子が走り出す。リンゴを頭上に掲げて歩く子もいた。次第に人だかりができて、夕方までに完売した――。

大鰐高原リンゴhagami_DSC_0775

大鰐高原リンゴ

実はこの取り組みには、町の起死回生への思いが込められていた。

津軽の南端に位置する大鰐町の人口は9400人ほどしかない。しかし、江戸時代に津軽藩主が好んだ大鰐温泉を中心に広がり、大正時代に開設されたスキー場もある。

町にスキーを紹介したのは大鰐出身の油川貞策(あぶらかわていさく)中尉だ。油川中尉は明治末期、スキーを日本に伝えたオーストリアのレルヒ少佐に学び、町内で指導やスキー場整備をした。このため大鰐は「競技スキーのメッカ」として全国に知られ、全日本スキー連盟も同町が発足の地とされる。

そうした誇らしい歴史を持つ町の歯車が狂い始めたのはバブル経済期だった。温泉とスキーを核にしたリゾート開発が持ち上がったのだ。

きっかけは1987年のリゾート法制定だった。民営化したNTTの株式を巨額で売却した政府は、政府系金融機関を使って自治体に資金を貸し、様々な事業を進めさせた。大鰐では役場が開発業者などと第3セクターを設立し、89年に「スパガーデン湯〜とぴあ」を開業した。

「当時の町長は開発を迷ったようですが、国に『一町長に止められる話ではない。面倒を見る』と言われたそうです」と須藤尚人(すとうなおひと)町議(62)は話す。同町議は元役場職員だ。

湯〜とぴあにはコーヒー風呂や日焼けマシンが設けられ、ウォータースライダーを滑って人工波のプールに飛び込む「スプラッシュキャニオン」や熱帯植物園まで建設された。スキー場へも投資が進み、6人乗りのゴンドラリフトが設けられた。

「長期休暇や休日には客が押し寄せました。でも、平日はすいていたようです」と湯〜とぴあでアルバイトをした渋谷敏志(しぶたにさとし)さん(43)は語る。当時は町内在住の高校生だった。

そもそも元が取れる施設ではなかった。しかもバブル経済が崩壊した。だが、役場は深刻な事態に気づくのが遅れた。3セクの主導権が、株式の過半数を取得した開発業者に握られていたからだった。

「投資額は約100億円に膨らんでいました。政府系金融機関への元金返済は、借りた6年後から始まります。その時になって、返せないと分かりました」と須藤さんは話す。

湯〜とぴあは96年に閉鎖され、借金は町が肩代わりした。その後、役場で財政係に配属された須藤さんは、事後処理に追われた。

「借金の町」。大鰐町はそう呼ばれるようになった。

そして2008年度決算で、財政破綻寸前の「早期健全化団体」に指定された。役場は職員数削減や給与カットだけでなく、固定資産税率の引き上げ、国民宿舎の休止、家庭ゴミの収集有料化などを次々と実施した。スキー人口の減少も重なり、宿泊客が減った温泉街は疲弊した。

「この町はもうダメだ。東京で就職しなさい」。子供にそう諭す親が増えたという。「このままでは町まで廃墟になってしまう」。地酒や米の小売店を営んでいる相馬康穫(やすのり)さん(55)は危機感を抱いた。

相馬さんは、それまでも地域起こしに取り組んでいた。1992年に仲間と「おおわに足の会」を作り、今では町の一大行事になっている「万国ホラ吹き大会」を始めるなどしていた。

「足の会」を母体にして16人が集まり、「借金の町を元気にしよう」と議論を始めた。前出の須藤さんや渋谷さんも加わった。当時31歳だった渋谷さんは最も若かった。隣の弘前市のホテルで働き、同市中心街のまちづくりに関わっていた。

「仕事の先輩に誘われて参加したのですが、大鰐に住んでいながら、地元には無関心でした。毎晩のように集まって話し合ううちに、深刻さが分かってきます。私の同級生もほとんどが町外に出ていました。自分の子の世代には町がなくなるのではないかと恐ろしくなりました」

この16人が発起人となって、2007年に「OH!!鰐 元気隊」を結成し、約130人が参加した。

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