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部落解放同盟の研究 最終回 同和教育が生んだ「差別の商人」西岡研介

地名をネット公開する男を直撃した。/文・西岡研介 (ノンフィクションライター)
★前回を読む。

「地名リストが部落差別に悪用される」

「今すぐ、部落の地名リストをネット上から削除しろ」

「お断わりする」

2016年3月8日午後1時半、東京・新宿の喫茶店。初対面にもかかわらず、2人の間には、最初から剣呑な空気が漂っていた。

部落解放同盟のトップ、西島藤彦中央執行委員長(69 当時は中央本部書記長)と、「鳥取ループ」こと宮部龍彦(43)である。

「君がネットで公開している地名リストが部落差別に悪用されるのは間違いない。部落には、我々のように、差別のない社会を目指し、自ら出自を明らかにして活動している者もいれば、ひた隠しにして生きている人たちもいる。自分がやっている行為が差別を助長し、その人たちの平穏な生活を脅かすということが、なぜ分からないのか」

自治体などの意識調査では、いまだに結婚の際の身元調査に肯定的な意見が4~6割を占める。探偵や興信所による身元調査の9割は、結婚相手から部落住民や部落にルーツを持つ人たちを排除するのが目的だ。こうした背景から、西島は宮部の説得を試みたのだ。

だが、宮部の態度は頑なだった。

「あなたの主張は『寝た子を起こすな論』を持つ部落住民に配慮せよということだが、そんな住民は解放同盟に入っていないので、あなたにそれを代弁する資格はない」

「寝た子を起こすな論」とは、部落差別がある現実を指摘し、それを解消しようという取り組みに反対し、「そっとしておけばそのうち差別は無くなる」という考え方だ。

宮部は反論を続けた。

「どこが部落かを隠すことこそが差別の原因であり、助長している。隠すのなら、その理由を、部落に住もうとしている人や、部落の人と結婚しようとしている人に説明するべきだ。逆に、どこが部落かを明らかにすれば、そんな説明をする必要が無く、『部落に住んでも、部落の人と結婚しても安心ですよ』と堂々と言うことができるではないか」

結局、両者の主張はその後も平行線をたどり、約2時間に及んだ会談は決裂。西島の訴えが宮部に届くことはなかった――。

宮部がネット上に公開した「地名リスト」は、「全国部落調査」をもとに宮部自身が作成したものだった。「全国部落調査」は、1935年に内務省が被差別部落の実態を調査し、翌年にまとめた報告書。全国約5300の被差別部落の地名や戸数などが記載されていた。1975年にその存在が発覚し、結婚差別や就職差別に利用されていたことから大きな社会問題となった「部落地名総鑑」の原典といわれている。

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「鳥取ループ」こと宮部氏

「解放同盟は当事者ではない」

宮部は2015年ごろ、都内の大学図書館で、この「全国部落調査」を入手。16年2月には、自らが主宰する出版社のホームページで同書の復刻版を書籍化し、4月に販売すると告知していた。

冒頭の会談で西島は、宮部に対し、この復刻版の出版中止も求めた。この「部落地名総鑑事件の再来」ともいえる事態への危機感が、西島を宮部への直接抗議に向かわせたわけだが、語気を強める西島に対し、宮部はこう応じたという。

「『全国部落調査』の出版は差別ではなく、差別を助長するとも考えていない。そもそも解放同盟は一政治団体に過ぎず、当事者ではない。そのような約束はできないし、仮にここで約束しても、必ず破る」

西島は、宮部に抱いた当時の印象をこう振り返る。

「宮部本人に対する抗議については、中央本部内で『行くべきではない』という意見もあった。だが、私はこの50年、たとえ相手がどんな考えをもった人間でも、正面からぶち当たっていくことで、(解放運動を)切り拓いてきた。また、『同じ人間なんやから、腹を割って話せば分かる』という思いもあった。けれども、彼(宮部)には、こちらが何を言っても、通じるものが無かった」

「あんな人間は初めて」

京都府南部の被差別部落に生まれ育った西島の解放運動歴は、じつに半世紀に及ぶ。高校時代から解放運動に身を投じ、1970年代当時、劣悪極まりない状況に置かれていた地元の住環境の改善に取り組んだ。30代で地方公務員の職を辞し、部落解放同盟の専従となり、京都府連書記長などを経て、1994年には中央本部の執行委員に就任。2012年に京都府連委員長となり、中央本部の書記長を兼務した後、今年6月に中央本部の委員長に就任した。

「彼には、部落に対する差別意識がいまだに残る社会や、それゆえに出自を隠して生きざるを得ない、出自を暴かれることに怯える部落民がいる現実が見えていない。いくら指摘しても居直り、決して自らの非を認めようとしない。あんな人間に会ったのは正直、初めてだった」(同前)

会談の翌日、宮部はその内容を自らが主宰する出版社のホームページにアップし、「全国部落調査の出版妨害こそ差別であり、人権侵害であると考える」などと持論を展開。「出版妨害をするなら、なおのこと抵抗する」と宣言した。

これを受け、解放同盟は2016年3月以降、同書の出版差し止めと、サイトへの掲載禁止を求める仮処分を横浜地裁に申請するなどの法的措置に踏み切った。さらに4月、解放同盟と同盟員234人が、宮部らに対し、約2億6500万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こしたのだ。

そして昨年9月27日、東京地裁は、宮部らによる一連の行為が原告らの〈プライバシーを違法に侵害する〉と認め、宮部らに対し「復刻版 全国部落調査」の出版禁止や地名リストの一部削除を命じた。

しかし、裁判所は、解放同盟側が主張していた憲法第14条に基づく「差別されない権利」を認めず、地名の公表を「プライバシー権侵害」の観点のみで判断。出自を明かした上で活動してきた同盟幹部らについては、その被害を否定した。さらに、もともと原告がいなかった10県と、訴訟中に原告が亡くなった6県、計16県の地区についても、被害が認められないとして、公開禁止の対象から除外した。この判決を受け、解放同盟側、宮部側ともに控訴し、現在も両者の争いは続いている。

宮部のような人物が出現し、彼の主張がネット上で一定の支持を得る要因はどこにあるのか。西島は、ネット社会の急速な広がりと、「同和教育」の衰退を指摘する。

「2002年以降の『失われた20年』の影響は大きい。かつては、同和教育を推進するうえでの法的、財政的な裏づけとして、措置法(同和対策事業特別措置法)があった。その期限切れを2年後に控えた00年、『人権教育啓発推進法』が制定された。しかし、『人権』という大きな枠組みの中で、部落差別など個別具体的な課題が埋もれてしまった。そして、解放運動が盛んだった西日本はまだしも、東日本では公教育の現場で、部落問題について教え、学ぶ機会がほとんど失われたのです」

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中央執行委員長の西島氏

同和教育で「教科書無償化」

同和教育とは、「部落差別を中心にあらゆる差別をなくすための教育」のことだ。

ただ、一口に「同和教育」といっても、その活動は多岐にわたる。よく知られるのは、差別問題を扱った教材などを用いた学校の授業だろう。学校教育を通じて、部落外の子供たちの差別意識をなくし、部落内外の豊かな関係の構築を目指したのだ。しかし、それ以外にも、劣悪な環境に置かれた部落の子供たちの学習や生活の支援など、部落の子供たちに生じる様々な問題を「教育」のアプローチから解決しようとする多くの取り組みが含まれる。

その成果の一つが、1963年に法制化された「教科書無償化」だった。高知の被差別部落で貧困に苦しむ母親たちが、地元教員との学習会で憲法に〈義務教育は、これを無償とする〉(第26条)とあることを学び、「教科書をタダにする会」を結成。同和教育関係者や解放運動の協力を得て国を動かし、部落内外を問わず全国の小・中学校で教科書が無償となった。

1965年、同和対策審議会の答申がその推進を促すと、同和教育は西日本を中心に活発に行われるようになった。だが、前述の西島の指摘通り、措置法が期限を迎えた2年以降、同和教育は衰退の一途を辿り、人々の部落差別についての認識も次第に希薄化していった。

しかし、ここで一つの疑問が生じる。1978年生まれの宮部は、1985~93年に学齢期を迎えている。当時は措置法の下、同和教育が盛んに行われていた時期だ。しかも、宮部の出身地である鳥取は、中国地方のなかでも同和教育に熱心な自治体のひとつだった。その教育を受けたはずの宮部はなぜ、部落解放同盟を執拗に敵視するのか。

実は、そこにこそ宮部の思想を読み解く鍵がある。皮肉にも、宮部というモンスターを生んだのは、彼が受けた同和教育そのものだった。

解放同盟と宮部との控訴審の第1回口頭弁論が東京高裁で開かれる約1カ月前の2022年7月、私は東京・町田の喫茶店で宮部と会った。

なぜ、彼が部落の地名をネット上で晒すという「アウティング」行為に及び、部落差別を拡大、再生産する「差別の商人」になるに至ったのか、その理由を知りたかったからだ。

宮部はこう答えた。

「そもそものきっかけは小学校5年生の時でした。その日は朝から『今日は特別な授業があります』と言われ、5、6時間目だったか、道徳の時間に、部落から通っている同級生たちが教室の前に出てきて、発表会をやったんです。模造紙を持って。そこに町の地図が描かれているわけですよ。それを指しながら『この村の人と、この村の人は結婚しているけれども、この村の人と結婚する人はいない』と。要は部落だけが孤立している、つまりは差別されているというわけです。そんなこと突然言われても、わけが分からなかった。小学生だし、それまで普通に、一緒に遊んでいた同級生が急にそういうことを言い出すんですから」

原点となった「立場宣言」

鳥取市の中央部、千代川沿いの町に生まれた宮部は地元の小、中学校に通った。宮部によると、彼の町には、生まれ育った地域と隣接して被差別部落があったという。

「僕の町は、1969年の同和対策事業の地区指定の際、部落も、そうでない地域も含めて町ごと、(事業の対象となる)同和地区に指定されたんです。当時は、その間に境界も引かれておらず、子供はもちろん、大人ですら(どこが部落かを)意識していなかった。だから当然のことながら地元では差別などなかった。

もちろん、戦前、祖父の時代には差別があり、(部落内外の)対立もあったようですが、少なくとも父親の時代には、そんなことは意識していなかった。また、僕が地元にいた時期はすでに同対事業で部落の(住環境や生活環境は)改良済みで、おまけにバブル景気の最盛期だったので、部落の土建業者は潤っていて、立派な御殿ばかりだった。だから、学校でいくら『部落は差別されてきた』、『貧しかった』といわれても、まったく実感とかけ離れていた。

その後も、僕の小学校では、部落から通う同級生が『立場宣言』をさせられていた。しかし、先生からは、彼らがそうするに至った経緯などについての説明はまったくなく、違和感だけが残りました。この同和教育に対する違和感が、同和問題に興味を持つ原点になったのです」

立場宣言とは、被差別者自らが集団に向けて、自分の「社会的立場」を明らかにすることだ。「部落民宣言」と呼ばれることもある。また、その際、単に自らが被差別の立場にあることを告げるだけでなく、そのことによって、これまで、どんな思いを抱いて生きてきたかなどの思いが語られる場合が多い。部落解放同盟は1970年代以降、部落の子供や若者たちに、この「立場宣言」を積極的に推奨してきた。

「中学校に入ってからも同和教育は続き、解放運動の歴史についても学びました。高校に入ってからは、部落出身の女の子が先生に『もう、そういう(部落問題を扱う)授業には出たくない』と泣きながら訴えているところも見ました。それで、こんな教育を一体、誰が、何のためにやらせているんだろうと疑問に思い、高校時代から図書館に通って調べ始めたんです」

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