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撮りたくても撮れない景色

午後から仕事で新居町のお寺へ。

つい先日、御住職が遷化されて、本日は本葬儀の打ち合わせが開かれたのです。

次第を見ながらの打ち合わせに続き、会場となる本堂にて、儀式の習儀。練習ですね。お寺さん同士では、「ならし」と呼びます。漢字だと、習し。

私の配役は受付なので、儀式の中身を詳細に確認しておく必要はありません。全体の流れはさすがにもう頭に入っているし。

本葬儀の流れは宗派によって全国共通なものの、詳細の確認を必ず行うのには理由があります。そのお寺の本堂のサイズや間取りによっても、一つ一つの動きが変わってきます。動きが細かく決まっているからこそ、場所によって変わってくるのです。

そして、誰が何を担当するかは、毎回変わります。基本的には毎回似たような配役になりますが、歳とともにより上位の役になったり、全く初めての役になったり、当然そういうことは発生します。連携も必要ですし、都合によって次第を少しいじることもあります。一つ一つ確認しないと、儀式をスムーズに運ぶことはできません。

儀式が始まってしまうと、裏方さんが見えないところで言葉を交わすことはありますが、表に出ている僧侶は、お経や偈文など、儀式に必要なこと以外は基本的に話しません。何か思いついても、それを伝えるには目に力を入れるぐらいしか手段がありません。ですので、事前の習儀が大変重要なのです。

でも今日の私はそこまで立ち入る必要がありません。ただ、受付として打ち合わせたいこともありますので、習儀が終わるのを、本堂から外を眺めながら待っていました。習儀の途中で別のことについて尋ねると、混乱しますので、終わるのを待つのです。始まる前に打ち合わせができればよかったのですが。

その時に見た本堂からの景色は、写真に撮りたいと思わせるなかなかに好みの景色だったのですが、さすがに写真を撮る雰囲気ではありません。SIGMA fpもお留守番していますし。

お寺って、たたずまいだけで絵になりますし、その中からの景色というのも良いものです。でも、なかなか堂々と撮って良いタイミングというのは難しいですね。観光でお参りに寄ったお寺さんでなら色々撮れますが、本葬儀の習儀中に撮るのは憚られます。

この草の伸びるのが早い季節に、きれいに手入れされていて、余分な装飾もなく、いかにも禅宗の境内という雰囲気だったのですが。もったいなかったなぁ。日を改めると、また違って景色となっていて、あの日あの時の景色というのは、逃したら二度と撮ることは出来ません。

ちょっと悔しい思いをしつつお寺にもどり、撮ったのが以下の2枚。

ムクゲの花が咲きました。お日様が眩しすぎると言っていそう。

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西日で輝くタイサンボク。昔はこの葉っぱを木版印刷に使っていました。懐かしいなぁ。

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大黒様のお札の木版があって、年末になるとそれをたくさん刷り、元日にご祈祷し、翌二日にお檀家さんに配って歩いたのですよ。そこまで含めて、懐かしいです。

毎日見ている木なんですけどね。

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