インプットが足りていない
今日一番のインプットは、俳優のムロツヨシさんが年下だったと言う事実。
そんな具合で、インプットの量も質も足りていません。ムロツヨシさん好きなんですよ。
アウトプットは、垂れ流し文とは言え、noteにはてなブログ、時折Bloggerも書いているのでね気持ち的には足りてるんじゃないかな。住職に課せられた責務としては足りないかもしれません。もっと仏教のお話書かなきゃダメでしょうね。
とにかくインプットです。毎日だいたい22時ごろには手が空くようにして、そこから2時間ぐらいをインプットの時間に充てています。しばらく前まではPUBGのチームデスマッチにハマって延々とやっていたのでインプットの時間が全然取れませんでしたが、左手の指が痛むようになって無理やりゲームから離れたので、その分時間が取れるようになりました。
あまり見れていなかったYoutubeのお気に入りチャンネルを巡回することもできるようになりました。新しいチャンネルの発掘もできるようになりました。
でも、まだ足りません。noteとはてなブログの新着をつまみ食いするぐらいはして、文章の摂取もしておきたい。人の書いた文章というのは、刺激的です。写真も動画も修行も同じですが、基本は真似です。応用も真似です。基本を身につけ、応用も身につけ、そこからようやく自分の味が出せるのだと考えると、まだまだ何もかもが不足しています。
特に文章について理由を考えてみると、やはり毎日垂れ流しの文章を書いているからだというのが原因のようです。工夫がない。みなさん見出しをしっかりつけて、長文の場合には目次も用意して、装飾も取り入れながら、少しでも読みやすいようにと工夫されています。
自分もそれをしようとすれば、自然とその技術を学ぶ姿勢で文章に接することができます。
これは、更新が日課になっている部分が足を引っ張っているとも言えます。とにかく書かなくちゃならない。書き終わると次のことができる。終わらせなくちゃならない。このマインドでは、新しいことには取り組めません。
それでも日課にして書き続けているのは、立ち止まったら二度と書けないからです。工夫して読みやすくした文章しか出せないとなったら、多分一生完成しません。noteもはてなブログも、私が書いているのは仕事で書く文章とは違います。寺報を出すときにはそんなに長くない文章を載せるにしても、書き上げるまでよりも、そこから先の方が長い時間をかけています。とにかく一文字でも多く読んでもらえるように。だからなかなか新しい寺報が出せないんです。
どうしようか悩むところ。引き続き垂れ流しの文章を書き続けるか。
一度立ち止まって、吸収した技術を活かせるようになってから再開するか。
立ち止まっちゃダメな気がするんだよなあ。そんな大層なことを書いているわけではないし。読んでもらって役に立つことも書いてないし。今日のnoteなんか、誰が読むんでしょうね。
以上、ムロツヨシ好きのm_bozuがお届けしました。なお、本文と写真は一切関係ありません。今日の成果です。明日もよろしくお願いします。
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