プロとして激レアな野球始め歳。
ご挨拶
はじめまして、2009年〜2015年までオリックスバファローズに所属し、2017年より野球のプロコーチとして少年野球・中高生・大学生まで指導しています前田祐二です^^
毎年約300人を個人指導しており、指導方針としては『基礎をしっかりと身につけさせ体の使い方を覚えさせること』を第一に、野手なら『力を入れずにホームランを打たせること』投手なら『いかに回転数の多い生きた球を投げさせるか』を指導しています。
ここからはお子様が野球をされている保護者さん、またはプロ野球選手を目指している選手に向けて【やる気の出る】僕のエピソードをお伝えしていきます。
どうか最後まで読んでみてください^_^
自分もやってやろうっていう気になるはずです。
SSS級の珍しい経歴
僕はプロ野球選手でありながら中学生のときに初めて野球をし始めました。(さらに言うと高校卒業してからの18歳から19歳は一切野球してません(^^;))
地元の公立中学校の軟式野球部です。
入部当初はいじめられるぐらい下手くそでチームで1番お荷物な選手でした^^;
「前田、邪魔!」
「あ、ごめん。」(そんな言い方せんでも…)
こんな日常が2ヶ月くらい続きました。
そんなとき監督に呼び出されこう言われました。
『お前、ピッチャーやってみいひんか?』
この一言で僕の日常があんなに劇的に変化することになるとは思ってもみませんでした。
それまではイチロー選手に憧れて外野手をしていましたが、この日からピッチャーとなりピッチャー練習を始めることになりました。
いつの間にか……
ピッチャーメニューはかなりきついものでしたが、自分が成長しているのが感じられたのでなんとかやり続けていました。
中1のときの最初の試合後におとんとおかんに言われた言葉が印象に残っています。
『キャッチャーの子の返球のほうが祐二のストレートより球速いやんか。笑』
(やかましいわ。笑笑)
でも事実そうだったんです(^^;;
それが夏場を過ぎると球速が徐々に上がっていていつの間にか同じくらいのスピードで投げられるようになっていて、しかもこれまたいつの間にか邪魔者扱いされなくなり、チームの中心にいるのに気付きました。
野球が上手くなることで自信がつき性格も明るくなりました。
(野球ってすごいなぁ)
僕は自然と上手くなることに対して貪欲になっていきました。
センスがあったんでしょ?
実際練習はかなりきつくて、これは真似しても良いと思いますが、
①毎日腹筋背筋を合計500回以上
②バッティング練習中はひたすら走る
現在みたいに1週間に1日は絶対部活の休みを作らないとダメとかいうルールもなかったのでほぼ毎日(^^;;
テスト期間とかは休みなのでそれを引いても300日はやってましたから腹筋背筋は1年で、
500回×300日=150000回!?
えぐいですね(^◇^;)
そのおかげかすぐに主力投手となりました。
『最初からセンスあったんでしょ?』
よく言われます(^^;)
邪魔者扱いされる選手にセンスがあると思いますか?笑
ないでしょう。
ただ強いて言うなら貪欲に観察するセンスはありました。
プロ野球の試合をテレビで見て「どうやったらこんな球投げられるんかなぁ?こうかなぁ?」って体の使い方を見ていました。
それとなによりも毎日の練習の積み重ねですね。
変なフォームのまま投げ込みとかさせずに先に体を作らせた当時の指導者のおかげです。
まさかの!?
中3になると地区では打たれなくなり、狙って三振が取れるまでに成長していました。
天狗になりかけていた頃です。
そんなとき拍車をかけるかのような出来事が起こります。
入部当初チーム1下手くそだった選手がなんとノーヒットノーランを達成してしまいました。
完封は何回もしていましたがノーヒットノーランは初めてでそれはもう調子に乗りましたね!笑
若いってすごいものでその勢いのまま、チームも元々強かったのもありますが、すんなりと中学最後の地区大会、そして大阪府大会を勝ち上がりました。
とうとう。
天狗になるといつかは伸びきった鼻を真っ二つに折られるのが世の常です。
確か兵庫県のチームだったと思いますが、何を投げてもバットの真芯に当てられる。
チームの守備にも助けられて5点でおさまりましたが、試合途中でノックアウト。。。
結局5ー6で負けました。
野球で初めて泣いた日
初めての経験でした。
あれだけ自信のあったボールがことごとく弾かれる。
僕の次に投げたピッチャーは1点しかとられなかったのに俺は5点も…。
そこで初めて自分が調子に乗っていたことを恥ずかしいと思い、上には上がいるんだなと学びました。
本当に悔しいと勝手に涙がこぼれることも知りました。
これが僕の中学時代の最後です。
僕はラッキーだった
SSS級の経歴と最初に言いましたが、実はそれよりもラッキーな経験をしています。
それは【とても素晴らしい指導者に出会えたこと】です。
①僕にピッチャーをすすめてくれた
②体作りを最初にしてくれた
前田祐二がプロ野球選手になれたのは間違いなく当時の監督さんのおかげです。
本当に感謝してます。
今の夢は?
もちろん前田祐二の現在の夢は、僕に『道』を示してくれたその監督さんのような指導者になることです。
だから今でも日々指導者として成長できています。
感謝の気持ちと謙虚さと誇りを持ち合わせていればいつまでも成長できると感じています。
中学3年間での変化
球速 90キロ→132キロ
奪三振 1試合0→1試合平均10個以上
バレンタインチョコ数(笑) 1個→10個以上
指導実績
指導実績についてはTwitterの固定ツイートを参照してください。
指導実績と教え子実績の項目を見ていただければと思います。
最後に
どうでしたか?
バレンタインのチョコ数10倍ですよ?(そこかい!)
冗談はさておき、初心者だった僕が3年(実質2年半)でここまで伸びることができるんです。
指導者の存在って大きいですよね?
これを経験してるからこそ生半可な覚悟で指導者を名乗ってほしくありません。
僕だってそうです。
その選手の将来を生かすも殺すも僕次第と思って指導しています。
責任ある指導者についていってもらえたらと願います。
今後はこういう自分のことを紹介するようなnoteはおそらく書きません^_^
(書いてほしいとリクエストがあれば書きますが・・・)
野球が上手くなりたい、または指導者として成長したい人に有益な情報だけしか書きませんのでお楽しみにしていてください。
それでは失礼します。
前田ベースボールアカデミーL・O・S(エルオーエス)代表 前田祐二
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