『三文小説』vol.5 【小説】
―――高木美夏、の場合―――
椎名倫子、高橋映子、中村シズ、川本十和子・・・
今際の際のキワに、縁あって、一緒に過ごした女たち。
どんなに通っていても、親しくなっても、いつもどおり開くはずの扉が、開かないとき、わたしはケアマネに電話する。
扉の向こうで、発見を待つ彼女たちに、ヘルパーは会わせてもらえない。鶴崎に、在宅らしいけど出てこないと伝え、わたしは、次のお宅へ行く。
連絡を受けた事務所員と、駆け付けた救急や、警察から、わたしは、後日、彼女たちが、亡くなっていたことを知らされる。
訪問の合間に、自転車で、彼女たちの家の前を通ると、建物の外から、そっと手を合わせる。それが、穏やかに晴れた日なら、仕事終わりに、缶ビールでも買って、近くの公園のベンチで、その方を想ったりする。
「孤独死」なんて言わせない。
かつて、カッコいい女たちがいて、今日までの日本を作った。
焼け跡からでも。
彼女たちは、ときに、この国から、捨てられたも同然の、扱いを受けながら、日本と言う国を、捨てずに、生きてきた。
なぜ??
この世は、この国は、生きるに値する、と思ったのか??
「自分の身内には、あなたみたいな仕事は、
させられない」
と、介護者のわたしに、ときに辛辣な言葉を吐きながら、一介のヘルパーである、わたしを相手に、語ることを、止めなかった。
自慢話ではなかった。
マウントなんて、くだらないものでもない。
みんな、懸命に生きていた、ひとりの女、として。
ネコや、姉妹や、夫や、愛人や、心の中の永遠の恋人を、愛し、愛されていた。
そして、人生の最期に出会った、わたしに、最高の生き様を、残した。
彼女たちは、語らずにはいられなかった。
自分が、生きた証を。
絵や、音楽に限らず、心の赴くままに、表現された何かこそ、その人が、生きた証なのかもしれない。
今この瞬間に、消えてしまう言葉、であれ、後世まで遺る作品、であれ。
わたしには、とても敵わない。
彼女たちの「語り」を、掌に留めたくて、これを、したためた。
だけど、
生きることを、物語に、要約することは、出来ない。したくない。
だから、、、
あー、もう、すでに、姐さんたちの、賑やかなブーイングが、聞こえてくる。
「こりゃ、あんた、
犬も食わない、箸にも棒にも掛からない、
『三文小説』だね!」
それこそが、最高の、褒め言葉。
正しい場所で、正しいことが、得られるわけじゃない。
たとえば学校?たとえば会社?いや、日本社会? 国際社会だって、この世界のなにが、正義なのか、もはや怪しい。
わたしは、すべて姐さん方から、教わった。
なにを??
「大人になるのは、くたばるまで生きるのは、
楽しい」
この世は生きるに値する??
「・・・かもね。最期まで、しっかり生きてか
ら、考えな」
姐さんたちが、教えてくれたのは、そんなこと。
大好きな、"涅槃"で、
待ってて、姐さん方。
この国の女たちへ、心からの愛と、敬意をこめて…
これは、三文小説。
「あなたは知らないだろうけど、」で始まる物語・・・
https://youtu.be/Y8HeOA95UzQ?si=CxNY37Rre9H7HrF5
(了)
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