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SlackとQiitaからの解放

チームが変わるとツールも変わる。

本当はそうであるべきではないかもしれないが、これが現状だ。チームにとって馴染むコミュニケーションツール(長いので以下「ツール」)があり、それを使うことで質の高いコミュニケーションを保つ。何ら問題ない。ように見える。

ただ、チームに途中で参画する者にとっては、その場にフィットできるかどうか?は半ばガチャに近い。できれば自分これまで使いなれたツールであれば、と願うがそうでない場合もある。また、同じツールでも使い方の違いからフィットに苦労させられる場合もある。

私事で恐縮だが、最近担当するチームが変わった。旧チームはSlackとQiitaを使い倒していたが、新しいチームでは使わない。コミュニケーションツールが変化して数週間経った頃。自分の中に変化があったことに気づいた。

「あれ、なんかお仕事が快適。もしかしてSlackとQiita、イヤだったのかな」

ここでは、この感覚を自分なりに分析した。なぜSlackとQiitaがなくなって快適になったのか。あくまで私の環境における私の感想でしかない。SlackとQiitaをうまく使い倒している方々がいることは否定しないし、どちらも良いツールであることは変わらない。そのことを前提として、では見てみよう。

Slackで繰り広げられるハイコンテキストな会話がイヤ

Slackでのやりとりは効率を重視するからか、やたらと短い言葉のやりとりが多い。ただでさえ参画したばかりではチーム用語も業務プロセスもアタマに入りきっていないので、雑に言葉を投げられても反応できないことが多い。

同じようにこちらに指示に対するレスも短い。指示に対して行動してくれれば「理解してくれたんだな」とは分かるけど、ちゃんと腹落ちしてくれてるかまでは分からない。

極めつけは絵文字だ。指示や提案に対して困った顔をするような絵文字スタンプだけで反応されると、指示通りにやってくれるのかそうでないのか、賛成してくれているのかどうなのか、何か言葉をかけるべきかどうか、様々な可能性がありすぎてこちらがリアクションできない。

Qiitaに投稿されるポエムがイヤ

そのチームは議事録や日報や分析結果レポートをQiitaでアップしていた。文章という直線的な表現で語られているので、言っていることの構造がよく分からない。結論が分からない。なんとなくアップして仕事した気になっているのかもしれないが、資料としては役に立たないことが多かった。

このようなビジネス文書に至らない投稿を「ポエム」と呼んでいた。

メールでリマインドされるのがイヤ

QiitaもSlackも何かあれば通知を送ってくるのに、メールでも送ってくる。誰が何を投稿したかご丁寧にリマインドしてくれるのだが、通知されているので知っている。内容を引用してもらっているが、そのポエムは昨日読んだよ、ということが多かった。ポエムの上塗りである。

まとめ

ちょっと振り返ってみると嫌な気分になってしまった。途中から書きながら感情的になってしまった点は否めない。これでは愚痴ポエムである。

また上記の内容はツールというよりか、使う人によるものであることがほとんどだ。別に前のチームのメンバーはスキルフルで遂行能力もとても高く、私が学んだこともたくさんあった。それに対面やメールでのコミュニケーションは問題なかった。ここから考えるに、人は使うツールによっていろいろな側面を無意識に使い分けてしまっている、ということかもしれない。

言いたかったことは、ツール自体の良し悪しではなく、使う人の良し悪しでもなく、ツール(およびその内部における雰囲気)がその人のどの部分を引き出すかを決定してしまい、それがチームにおけるお仕事のやりやすさの相性を産んでしまっていた(そして私はそれにストレスを感じていたようだ)ということだ。南無。

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