【マインド】カンボジアでの体験
こんばんは!まなてぃーです🧜♀️
前記事で日本の貧困問題について取り上げましたが、今日は、豊かさ=幸せでは必ずしもないということを実感した体験についてお話しします。
学生時代、カンボジアでの学校建設PJに参加した時のことです。
1.体験したこと
日本で集めた街頭募金や寄付物を手に、カンボジアへ。現地の学生やスタッフと協力し合いながら、毎日炎天下の中、校舎の為のセメント作りや左官作業、ペンキ塗り、校庭や花壇の整備等を行いました。
建設活動だけでなく、子どもたちや地域住民を巻き込んだ運動会を企画・実行したり、視察やヒアリング調査を行ったり、田舎でホームステイ体験もさせていただきました。
旅行好きな私ですが、ただアンコールワットを観に遊びに行くだけではできない、なかなか貴重な体験だったと思います。
私が泊まらせていただいたお家は、都市部から離れたでこぼこ道をずっと行ったところにあり、電気も水道も通っていませんでした。
幼い兄弟が何人もいて、言葉は通じなかったけれど、一緒におふざけしたり、たくさん遊んで笑い合いました。
夜になると、近所の皆で灯りのある場所に集まり、他愛もない話をして時間を過ごしました。
家に帰ると、甕に貯めた水で体を洗うように言われ、蚊帳の中に案内してもらい、眠りにつきました。
翌朝用意していただいた少しの朝食には、ハエがたかっていました。
お礼の言葉を伝えようと、お母さんに指差し単語帳のクメール語を指し示すと、通訳さんを通し「私は字が読めないから…。」と言われ、何と返したらよいのか分かりませんでした。
帰り道、トゥクトゥクに揺られていると、たくさんの村人がそれぞれの家から出てきて、何をしたわけでもない外国人の私に、笑顔で手を振って見送ってくれました。
月並みな言葉ですが、その瞳は本当にキラキラとしていました。
10年近く経った今も、あの屈託のない笑顔は決して忘れられません。
2.思ったこと
電気も水道もない、衛生的な環境も整っていない、文字も読めない。
それでも、こんなにキラキラとした瞳で幸せそうに笑っている。
もしかしたら、私たちには辛い一面を見せなかっただけかもしれないけれど、
モノに溢れて豊かと言われる国に暮らす私たちは、同じように他人に対してこんな笑顔を向けることはできるだろうか?
たった1日体験した貧しい暮らしは、確かに不便で毎日は続けられないかもしれない。
でも、何もかもが有り余る豊かな国日本で、どれだけの人が瞳を輝かせながら、他人と心を通わせながら生きているんだろう?
そんなことを考えずにはいられませんでした。
幸せの基準は人それぞれです。ですが、決して豊かであれば幸せだというわけではないと実感した体験でした。
便利な生活。私たちはいつまでその発展を追い求めるのでしょうか?
物質的な幸せが充分に満たされていることは、もう皆気付いているはずです。
誰と過ごし、何を思って生きていくのかということに目を向けるべき時なのかもしれません。
もしここまで読んでくださった方が居るのなら、そして少しでも心に触れることができたなら、私はさらに「幸せ」です。
皆さんの幸せは何でしょうか?
誰もが幸せを感じられる世界になることを願っています。
See you on Sunday. 👋
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