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2022/1/20 捨てる勇気

最近自分は捨てるのが苦手なことに気づいた。

モノにしても、情報にしても、捨てることが苦手だ。

だから部屋にはモノがいっぱいあるし、本や漫画は最後まで読まないと気がすまないし、シリーズものの映画なら最後まで観たい。

大学時代はデータファイルを全然上書き保存できなかったし(名前をつけて保存ばかりしていた)、常に過去のデータを残していた。

なんでこんなに捨てるのが苦手なのかなーと思い、今までの自分のことを振り返ってみた。

するとある仮説が浮かんだので、今日はそれについて書いてみたいと思います。

これまでの勉強方法

まず僕は、勉強が得意な方だった。

テストの点数は、大体90点以上で、比較的偏差値の高い高校、大学に合格することができた。

そして僕は天才型か努力型か、と問われると努力型だったと思う。

勉強時間が短いのにびっくりするような点数をとる人もいるけど僕はそうではなくて、
ちゃんと学校で習ったことを一つ一つ理解し、テスト前にはしっかりと時間をとって勉強することで結果を出してきた人間だ。

だから、習っていないことはできなかったし、言われたことを一つ一つこなすことで成長することができた。

その証拠に、塾に行くまではそれほどまでの成績ではなくて、塾に行きだしてから急激に伸びた。

ほんとに賢い人は、塾に行かなくても点数をとれると思うけれど、僕は塾の先生に(テストの点数をとるための)より質の高い教育を受けて初めて学校でトップレベルの成績をとれるようになった。

学校でも塾でも教えられたことはすべて理解するようにしていたからだと思う。
教えられるたびに疑問点はないようにしていたし、あると気持ち悪かった。

また、テスト前にはその時の範囲をすべて勉強した。
どれだけ時間がかかっても。

捨て問を設定したり、山をはってテストに臨む人もいると思うけれど、僕はそんなやり方はしなかった。
一範囲でも抜けがあると、不安で仕方なかったし、100点を狙いにいっていたからだ。

そこから僕は、すべてを網羅しないと気がすまない人間になってしまったのかもしれない。


つまり冒頭に述べた仮説とは、

すべてを精度高く網羅的に対策するという勉強方法を続けてきたことによって
何においても捨てることに恐怖を感じる体になってしまったのではないか

というものだ。


捨てることの重要性

これは、この先良くないと思う。

なぜなら、
情報が無料で大量に手に入れられるようになった中で、
社会人として、限られた時間の中で一定の成果を出すためには、
すべてを網羅的に対策するというやり方では通用しなくなると思うからだ。

つまり、山をはって大きな成果を発揮するやり方を覚えなければいけない。

それも適当に山をはるのではなく、ある程度高パフォーマンスを発揮できる確度の高い山のはり方を覚えるのだ。

思考し、推察し、どこに自分の時間を使うべきか、どこの時間を削るべきか、考えるフェイズにきたのだ。

すべてを網羅的に取り組むのではなく、目的に応じて自分の努力の方向性を定めること、つまり捨てる勇気を持ちたいと思う。

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