イナゴの大群はもちろん怖いが、仮面ライダーの大群だって怖い。

写実的な絵、思うのは、私がなかなか写実的な絵を描かないのは、実物と比べたときに絶対に実物の方がいいと思うから。比べなければ、絵の方も好きだが、比べてしまうと、絶対に実物の方がいいと思う。ふむ。これは、絵に対する信頼が足らないということなのかもしれん。しかし、絵の中に出口がないと、絵の中に入ったまま出てこれなくなる危険性がある。スーパーリアリズムの、写真のような絵に対しては、出口は感じない。だから、気持ち悪く感じる。まず、絵は絵であってほしい。現実のふりをしてはダメだ。その点、マンガは最初から絵ということがわかるが、絵は作者の感じ方、歪んだ現実の鏡なので、まずもってその歪みに安住しているようなものはダメだ。で、歪みに安住したマンガばっかりです。はい。なので、マンガ、好きなはずなのに、好きなマンガ、ぜんぜん、ない。わたし。自分の描いたマンガは、好き。成長する、歪みを直していっているということが自分では分かっているから。この前見た小林秀雄の動画では、すごい分かりやすいことを言っていた。こうだ。「文学を判断する。価値を判断するというのは、簡単で、そこで決めてます。つまり、この人は自分と戯れているか、それとも自己と戦っているか。です。」文学の判断。「この人は自分と戯れているか、それとも自己と戦っているか。」なんというシンプルな判断。批評家の鋭さ。自分が世の中のマンガのほとんどが気に食わないのがこの1文で示されている。また、最初は戦っていたが、戦い終わって戯れている人もいる。これはゴッホの絵についての講演で言われていた。「ゴッホはキチガイです」と小林秀雄は言った。小林秀雄の本は読んだことはない。「キチガイ」。この言葉、今では放送禁止用語だが、そのせいで、ますます鋭い言葉になってしまったという皮肉。ゴッホはキチガイですと言い切ることによって、見えてくるもの。私は批評家の必要性がわかった。もちろん、キチガイであるということと、キチガイではないという、その両面を行き来することについて語られるわけだが、とにかくその鋭い言い切りが批評だとわかった。
芸術家は自己と戦う。一方、政治は自己とは戦わない。政治は敵と戦う。芸術家の仕事は政治家の仕事とは違う。それは同時にはなされない。ウルトラマンが仮面ライダーを飲み込んで、仮面ライダーの動きによってウルトラマンがどう動くか。そこを見る。ビッグブラザーとリトルピープルの関係。リトルピープルはグローバリズムの資本主義。個人。ビッグブラザーはウルトラマンで、国家、封建主義。イナゴの大群はもちろん怖いが、仮面ライダーの大群だって怖い。


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