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家族の望みと社会の望み

私は家族をテーマにした小説が好きだ。

それも闇のある、家族という割り切りきれない人間関係がゆえの理不尽さや愛情や憎しみが込められた作品が好きだ。

きっと、私自身が家族というものに違和感を感じているからだと思う。

視覚障害のある両親、自閉症で重度の知的障害のある兄の家庭に産まれた私は、社会が常識としている経験とは違った環境に育ち、また家族や社会が求める障害者やその家族への理想像を理解し、自身とのギャップに直面してきた。

そんな私はこの「望み」は一気にのめり込んで読むことができた。


思春期が故の狭い世界で生きている規士達の姿はそのまま私の幼少期の心情と重なった。

自分の家族しか知らず、なんの疑いもなく生きていた世界が徐々に広がり、当たり前の人生が陰り、自分が普通ではないことに少しずつ気がついていく、そんな感覚を思い出した。

他人様に迷惑をかけないように言われ、親の愛情のバランスを試すことも、きょうだい児として育った自分の経験がリンクする。


この小説の最後はハッピーエンドだと思う。

両親、妹、各々が一瞬は望んだ結末だった。もちろん心から望んではいなかったし、その葛藤や周囲に翻弄される姿が丁寧に描かれている。信じるが故、たとえ死であっても無実を望む。それも愛情であると思う。

しかし唯一、ジャーナリスト内藤の望みではなかった。

彼は加害者家族となってでも子どもが生きていてほしいと願う親、もしくは加害者家族に怒りや憎しみがある被害者家族を望んだ。

これはそのまま社会が望む加害者家族、被害者家族の姿である。

しかし、実際の当事者はその通りではない。


私の産まれた障害児の家族もまた社会が求める聖人ではないし、本人達も弱い存在では決してない。

感動ポルノのような世界ではなく、距離をとる家族もまた存在する。

これはすべてのマイノリティに、当てはまる社会とのギャップなのかもしれない。

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