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【私訳】『罪とそして報い』(やさしい仏教物語)

アングリマーラの説話

まだお釈迦さま(B.C.463年頃〜B.C.383年頃)が生きていらした頃のお話しです。

インドのコーサラ国(憍薩羅国こさらこく)のシュラバスティ(舎衛城しゃえじょう)に賢くて容姿端麗な若者がいました。彼の名前はアヒンサカと言います。

彼は幼い頃から、1人のバラモン(宗教的な指導者)を尊敬していて、そのバラモンのもとで熱心に修行を続けていました。

ある日の事です。そのバラモンの妻がアヒンサカを誘惑しました。アヒンサカは、

「先生(尊敬しているバラモン)は私の父と同じような存在です。裏切る事はできません」

と答えて、その誘いを拒否しました。するとその妻は逆恨みをして自分で衣服を破り、帰って来た夫に、

「アヒンサカに犯された」

と嘘をついて泣いたのです。怒ったバラモンはアヒンサカに、わざと人の道に外れた指導をすることを画策しました。その指導とは、

「アヒンサカ君よ。君の修行が完成する時がついに来た。いま君に最後の秘法を伝授しよう。いいですか、アヒンサカ君。君が真の偉大なる指導者になるためには、これから人を何人も殺し続け、その指で首輪を作るのです。そうすれば君も殺された人たちも天上の神々の住む世界に至るでしょう」

バラモンはそう教えてアヒンサカに1本の剣を与えました。

アヒンサカはこの指導を聞いて驚きましたが、いままで親切に指導をしてくれた尊敬する先生のおっしゃる事なので信用して、その指導を実践することにしました。そして最初にシュラバスティの街で1人の人を殺しました。その直後から彼は正気を失い、次から次へと街の人を殺し続けました。

街の人々はそれ以降、アヒンサカの事をアングリマーラ(指鬘外道しまんげどう=人の指で首輪を作るような人の道に外れた愚か者)とあだ名して恐れました。人々は国王にこの殺人鬼の恐怖を訴え出たのですが、追討の兵をのがれてアングリマーラは殺害を続けました(国王はこの時、アングリマーラを捕まえて処刑する意思を固めました)。

その頃、お釈迦さまはシュラバスティの祇園精舎ぎおんしょうじゃに滞在されていました。そしてアングリマーラの噂を聞かれました。お釈迦さまはある日、たったお1人でアングリマーラがよく出没する地区に出掛けて行かれました。

そんなお釈迦さまのお姿を見た人々は口々に、

「お釈迦さま。そちらに行っては危険です。アングリマーラという殺人鬼が出ます」

と言ってお釈迦さまが行かれるのを止めようとしましたが、お釈迦さまは黙って歩いて行かれました。

アングリマーラは、お坊さんみたいな人(じつはお釈迦さま)がたった1人で自分のほうへやって来るのを見て驚きました。彼は、

「この道は俺様を恐れて隊商の一団ですら護衛の兵士を伴って来る。それらの者も皆この俺様の手にかかって死んだのだ。それなのにたった1人でやって来るとは、一体アイツは何者だ?」

と思い、少し不安が心をよぎったのですが、彼はいつものように剣を手にしてお釈迦さまのあとを追いました。

けれども、ゆっくりと歩いておられるように見えるお釈迦さまに、彼はなぜかいつまで経っても追いつけないのです。彼は立ち止まって剣を振りかざしてお釈迦さまに向かってこう叫びました。

「おい坊主、止まれよ!」

このアングリマーラの怒鳴り声に対してお釈迦さまは、

「私は止まっています。あなたこそ止まったらどうですか」

と返事をされたのです。アングリマーラはお釈迦さまに、

「おい坊主。お前は歩いているのに止まっていると言う。そして俺は立ち止まっているのにお前は俺に対して止まれと言う。お前、一体、何を言っているんだ」

お釈迦さまは、

「アングリマーラよ。私は生きとし生ける者に対してけっして悪意を抱く事なく、心は常に静かに立ち止まっています。けれどもあなたの心は命ある者に悪意を抱き、立ち止まる事なくもだえ苦しんでいるではないですか。ですから私は、あなたに立ち止まって自分のして来たことやいまの自分の姿、いまのあなた自身の心の在り方を見てみなさいと申したのです」

このお釈迦さまの言葉を聞いてアングリマーラはやっと正気を取り戻し、お釈迦さまに、

「私はいままで数えきれないほどの悪行を働いてきましたが、いまあなたの言葉に従ってこの私の悪い心を捨て去ろうと思います」

と言って、アングリマーラはお釈迦さまの目の前で剣を捨てました。お釈迦さまはそのアングリマーラの改心した姿を見て、彼をサンガ(お釈迦さまの教団)に連れて帰りました。
 
この様子を見ていた街の人が、この事を国王に知らせました。そして(お釈迦さまに帰依していた)国王は、アングリマーラを捕まえようと武装した兵士を伴ってサンガにやって来たのです。その時のお釈迦さまと国王との対話。

お釈迦さま「王よ、そのような姿でいったいどうしたというのでしょうか。戦争でも始めるつもりなのですか?」
 
国王「お釈迦さま。そうではありません。まさかとは思いますが、ここにアングリマーラがいると言う訴えがあったものですから、一応来てみただけです」
 
お釈迦さま「王よ、アングリマーラが私のもとで修行をして生まれ変わっているとしたら、あなたは彼をどうなさるおつもりですか?」
 
国王「お釈迦さま。それならば捕まえようとは思いませんが、まさかあいつに限ってそのような事は考えられません」

お釈迦さま「では王よ、ご覧ください。ここに座っている者がアングリマーラです」

国王はアングリマーラの姿を見てたいへん驚きましたが、お釈迦さまに「もはや恐れる必要はない」と言われて、お釈迦さまに対して「捕まえない」と言った手前そのまま自分の城に帰って行きました。

さて、アングリマーラがお釈迦さまの弟子となって10日ほどが過ぎた頃です。彼は1人で街へ托鉢に出掛けました。

彼が街の中を歩いていると、どこからか石が投げつけらて彼に当たりました。彼が振り返るとその背中にもまた別の石が当たりました。そして投げられる石の数がだんだん増えてものすごい数になりました。彼はたまらず、うずくまったのですが、そこに棒で叩いてくる人も出てきました。

「おい、アングリマーラ。坊さんみたいなコスプレをして俺たちを騙そうとしてもダメだぞ」

そう言って棒を持った人が何人も現れ、アングリマーラは叩きのめされました。このようなことは1日だけで終わらず、毎日毎日、彼は額から、体から血を流し、着ているものは破れた姿で托鉢から帰ってくるのです。お釈迦さまはそんなアングリマーラの姿を見て、

「アングリマーラよ、耐えなさい。ひたすら耐えなさい。逃げることなく受け止めなさい。君は来世で何回も何回も生まれ変わって、そうして何万年もの長い間にわたって受けるはずの重い報いを、いま幸いにもこの世で軽く受けているのですよ。この報いに耐えてこそ君は本当に生まれ変われるのです」

さとされました。

アングリマーラは傷だらけになって托鉢から帰ってくる日が続きました。しかし、しばらくすると石は投げられなくなり、アングリマーラの改心した姿を見た人々は彼が罪を悔いて懺悔し、お釈迦さまの教えを守り、己の罪の報いを避けることなく受け止めている真摯な姿に、やがて手を合わせるようになったのです。

上記の説話のように、お釈迦さまは国王がアングリマーラを殺そうとお釈迦さまのもとへやってきた時にはアングリマーラを守られました。しかしアングリマーラが自分の犯した罪の報いを受ける事に対しては「耐えなさい。ひたすら耐えて逃げることなく受け止めなさい」と言われているのです。

因果応報。自分がしたことの報いから逃げることはできない。逃げるとさらに大きな報いが襲ってくるという仏教の優しくも厳しい慈悲の教えですね。

【参考資料】
○「央掘魔羅経(アングリマーラ経)」『大正新脩大蔵経』第2巻 大正新脩大蔵経刊行会 (普及版)1988年
○矢島道彦「仏教における業・因果論の変遷」鶴見大学 2007年
○平岡聡「アングリマーラの〈言い訳〉不合理な現実の合理的理解」大谷大学 2008年


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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