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獅子身中の虫
九條です。
昨夜に続き、獅子に関する仏教説話をもうひとつお話ししたいなと思います。
「獅子身中の虫」という言葉があります。有名な言葉ですのでご存知のかたも多いかと思います。たとえば「あの人は獅子身中の虫だ」などと言いますね。
昨夜もお話ししました通り、獅子とは伝説上の動物なのですが一般的には「(百獣の王である)ライオン」に喩えられます。
獅子は伝説では最強の動物であり、これに勝てる生き物は存在しないとされています(まるで吉田沙保里さんのようですねぇ)。けれども仏教では、この獅子にも1つだけ恐ろしい敵がいることを示しています。
その恐ろしい敵とは、獅子の体内に棲む寄生虫なのです。獅子は自分以外のあらゆる生き物には負けることはない、まさに「百獣の王」なのですが自身の体内に巣食う寄生虫によって命を落としてしまう。仏教では、そのように説いています。
それは何を言わんとしているのかと申しますと、あらゆる組織というものは外敵からの攻撃には充分に耐えられるように強く作られている。けれども、その組織の内側にある病巣には非常に脆い、ということの喩えなのです。
具体的には、人間が作った組織(会社とか団体など)では、危機管理を万全にして外からのクレームなどには充分に対応できるように作られていますが、その組織の中にいる人間の不正や謀反などによって内部から腐ってきて崩れてしまう。
「獅子身中の虫」とは、そういう意味なのです。
私はこの「獅子身中の虫」という言葉を聞くと、仏教説話の中に出てくる極悪人の提婆達多(デーヴァダッタ)の話を想い出します。
その話とは、
提婆達多はお釈迦さまの従兄弟でしたが、お釈迦さまの弟子となって修行をしていました。そしてお釈迦さまの教えをよく理解しました。
けれども彼は、お釈迦さまの教えを頭で理解しただけで自分も仏教を「分かった」つもりになって、お釈迦さまの教えは「俺でも人に説くことができる程度のものだ」と勘違いをして慢心を起こしました。
そうなると彼にとっては、お釈迦さまだけが多くの人に敬われていることがとても面白くない。彼は「俺も分かっているのに」と不満を持つようになって、やがて立場を弁えない、身の程を弁えないようになり、ついには「俺はアイツ(お釈迦さま)よりも賢いし優れている」と思い上がるようになりました。
彼は教団内で、ありもしない事実無根のお釈迦さまの悪口を言いふらすようになりました。そしてお釈迦さまの真面目なお弟子さんたちを自分の味方につけて、お釈迦さまに対抗しようとしたのです。すなわちお釈迦さまが大切に育てて来られた教団を彼は分裂させようとしたのです(これは五逆罪のひとつの破和合僧にあたります)。
そして彼はついに、お釈迦さまの命を奪おうとまで考えました。彼は「お釈迦さまさえ居なくなれば、皆が俺を敬ってくれるに違いない」と思ったのです。お釈迦さまに対する猛烈な嫉妬心のために彼の頭は完全に狂ってしまったのです。恐ろしいことです。けれども、彼のその計画はことごとく失敗に終わりました。
嫉妬心に狂って疲れ果てた彼は一瞬、正気に戻り「やっぱり俺はアイツ(お釈迦さま)には勝てないのだなぁ」と観念して、お釈迦さまのもとへ謝罪に行こうと思いました。
けれどもそれは心から反省したのではなくて(自分の考え方や、やり方が間違っているとは思えないほどに彼は狂ってしまっていたので)、いちおう謝ってみて、教団の中でまた皆と仲良くできれば良いけれども、もしそうでなければやっぱり…と思って、彼は自分の両手の爪に毒を塗り込んでからお釈迦さまのもとへと謝罪をしに行きました。
そうしてお釈迦さまの前へ来ると、彼は両手の指を開いて爪を立ててお釈迦さまに飛びかかろうとしました。
けれどもその時、彼は足元にあった小石に躓いて転んでしまい、そのせいで爪が剥がれて指先から彼の体内に毒が入ってしまいました[※]。
彼はお釈迦さまの目の前で、たちまちに全身に毒がまわって、もがき苦しみながら亡くなりました。
提婆達多は、もともとはお釈迦さまの弟子としてお釈迦さまの教団のなかにいて、お釈迦さまから仏教についてのいろいろな大切なことをたくさん学んでおきながら、慢心と嫉妬心を起こしてお釈迦さまのお姿やそのやり方を上辺だけ理解してそれを盗み見て真似たりしました。
そうしているうちに自分でも「分かったつもり」になってしまい、やがてはお釈迦さまの教団を分裂させ、お釈迦さまの命を奪おうとまでして、結局は自分が地獄の苦しみを味わって命を落としたのです。
まさに因果応報、自業自得だと思います。天(仏教の守護神たち)はお釈迦さまをしっかりと守っていたのでした。
提婆達多は、慢心と嫉妬に狂った恥知らず、身の程知らずの恩知らず。まさに「獅子身中の虫」だと思います。
この提婆達多のお話は、人間の慢心や嫉妬心は恐ろしいもので、最終的には己の身を滅ぼしてしまうという非常に厳しい内容の話だと思います。
【参考資料】
◎『望月仏教大辞典』1974年
◎『大正新脩大蔵経』9 普及版 1990年
など
©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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