ニコニコ、泣いてしまう、生きることは弔うことでもある、料理が好き(2024/01/21の日記)

特に世間に言うこともないので、細切れの生活記録が下書きに溜まっていく。私の言葉は書かないと消えてしまうけれど、読んでもらわないと消えてしまうこともあるのかもしれない。

大槻ケンヂが人生を、ボヨヨンとオロロンとあとひとつ何かで例えていたのにそのひとつを忘れてしまった。ニコニコだった気もする。今調べたらそうだった。ニコニコでいたいよね、できる限りね。

労働の間、昔のことや、もういなくなってしまった身内のことを考えては泣いてしまうことがある。泣いてしまうというのをここに書く、ということ。人に伝えるということ。泣いてしまうとマスクが濡れて、それがまた悲しいのだと、でも悲しくても生きていくのだということを、泣いている自分を俯瞰で見ながら思う。

生きていくと決めたから生きている。
生きることは、弔うことでもある。生きている人の義務のようにも思う。かつてここにいた人たちを想うこと。過ぎ去っていった物を慈しむこと。過去を振り返ることができるのは、生きて通過してきたからだ。
でも、あまりにも義務と背負いすぎても、今を生きることが難しくなる。義務ではないな、権利くらいのものかもしれない。
この間読んだ本に「悲しむ時間、不安になる時間を最初からとってしまうと良い」と書いてあって、私もそうしようと思った。労働中にマスクを濡らすのは、あまりにも悲しい。

料理が好きで、何で好きなのかというと、あまり言語化したくない。何となく味付けしても美味しくなるのが好きだし、レシピ通りに作るのも好きだし、次の日に冷めたものを食べるのが好きだし、出来立ても好きだし。何かしてる、それが生きるに直結するのがわかりやすい、という行動はいろいろあるけれど、料理はそこに楽しさが加わる。にんじんが柔らかくなるとか、砂糖と醤油で煮たかぼちゃがほくほくするとか、それだけで優しい気持ちになる。自分が作った料理が嬉しいのは、優しい気持ちごと摂取できるからだと思う。

今日はこんな感じです。

[きょうの料理]
ボロネーゼ、フライドポテト、ハンバーグ、カボチャの煮物

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