習い事を10年続けて得られたものは

10年間物事を続けるとなんだろうと一人前になれる、ということを一度は耳にしたことはないだろうか?
私には今まで習い事で10年以上続いたものが2つある。

エレクトーンと習字だ。

だが、どちらも特に一人前にはなっていない。

文字も謙遜を差し引いても美文字というわけではない。
音楽も聞くことは好きだけど、演奏する側としては全然触っていない。

習字もエレクトーンも、自分の意志とは無関係にいつの間にか習わされていてた。

習字は妹と一緒に、細い路地を通って雨の日も通って。何級とか頑張って取ったけど、今となっては何の意味もなさない。

習字を習ってこなかった子に「習字は習っておけばよかったと思うよ」
と言われたことはちょくちょくあるけれど、習字を習ったことによるメリットを特に感じないのだ。さしづめ「習っても習わなくてもよかったかな」。

エレクトーンに関しては最初はグループレッスンで自分の1個上のお姉さん方のグループになぜか入れられてレッスンしていたことを覚えている。

耳がよかったから「絶対音感」だの言われて調子に乗っていた。
今思うとただの冗談だったというのに。

エレクトーンに関しては楽譜が脅威的に読めなかった。
一番下の「ド」から数えて何番目だからこれは「ソ」みたいな読み方しかできなくて。当然そんなんだからレッスンが全然すすまない。
記憶力もよくなかったから、楽譜が読めないうえに覚えられない。

よく怒られた。そしてやめたいとずっと思っていた。
やめられなかった。
1年もたたずにピアノをやめた妹をうらやましいと思ったくらいだった。

毎年発表会があるのだけど、これにもかなり出ていた。
人前でステージに立って何かを披露する、というのはものすごく緊張するし、この経験はなかなかできることではないのでそれに関してだけはいい経験だったとは思うが。

どの分野でも大体上には上がいるもので。

ものすごく感情移入して入り込んでエレクトーン演奏を表現する子がいた。

その子はvol.001でも書いた、幼稚園のときにパレードで先頭に立っていた編み込みの女の子だった。

それだけエレクトーンに入り込めるのがうらやましいと思った。

私にはそれがなかったから。

楽譜も読めないし覚えられないから、1曲を通して演奏するには身体に指の動かし方を覚え込ませてしみ込ませる、という方法しかなかったのだ。
今思うと楽譜が読めないという時点で才能が全然ないのだけど当時はそんなことにまったく気づきもしなかったから、一生懸命しみ込ませていた。

向いてないのだから無駄な時間だということにも気付かずに…。

その女の子は音楽の先生になった、と風のうわさで聞いた。

私は音楽は家で聞くだけの生活で暮らしている。

悲しいもので、たまに楽器に興味を持ったり、エレクトーンがひきたくなったりすることは未だにある。

10年続けてきて残ったのがその程度のものだった。

10年とは何の区切りなのだろうか。
「続ける」とはいってもただただ続けるだけではだめなのであろう。
「正しい方向で」「続ける」両方必要だったのだ。

それ以降、10年続けられた習い事は今の今まで一切、ない。



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