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鼻につく事って、誰にとってもあるもんだ

おべん・チャラ―とは、仕事帰りにセイコーマート(道民御用達のコンビニ)でこんがり焼きチキンかフライドチキン10個入りを買い食いするのを日課にしているヤギの様な者である。

セイコーマートのホットシェフは本当にずるい。私がもし内地民で北海道旅行者だったなら、朝昼晩の飯をホットシェフで済ませてもいい。


そんな脈絡も関係性もない所から話を始めるが、去年の春先から仕事以外でほっとんど人に関わらなさ過ぎて、最近自分が世界から取り残されている様な感覚に陥る事がある。

「何を思春期ドンピシャの中学生の様な事を」と思う皆さん。その感覚は正しい。

何をまたそんな尻の青いガキの様な事を言っているのか。私は阿呆か?

しかし、そう感じてしまう事は事実なのだ。家族以外との会食を控える様な世の中にあって、ただでさえ友達の少ない私の周りからは人の気配が消えた。とでも申しましょうか。

連絡を入れればすぐ答えてくれるだろうことは想像に難くないのだが、何しろこっちから連絡を入れるのが怖くてしょうがない。その上、返事が来なかったらただでさえ豆腐で出来ているメンタルが死ぬ。爆死する。

私は何が言いたいのだろう。今日はどうかしている。不安定。

でも、今まで人生での私の言動を振り返ってみると、いつもどこかで私は相手の地雷を踏みぬいていた。私の学生時代の人間関係は、いつもそんな感じだった。

私のちょっとした言動で、相手の積もり積もったものが一気に爆発した事もあった。でも友人同士っていう関係性で、その責任を私一人に押し付けられても困るのだが……。

っていう考え方がもうダメなのかもしれない。正解は何なのか、未だに分からない。そもそも私の対人関係通知表が、Aじゃないのかもしれない。(20年はAだと思ってやってきました)

多分みんな、私の何かが鼻につくのだろう。そうして離れていくのだろう。人間だれしも、嫌な事はあるからしょうがない。

私が鼻につくのは、『秀才が、天才だけど秀才のふりをして書いている文章』だ。
確かに語彙が豊富で、頭がいいんだけど、決定的な何か足りない。
そういう人の文章は、一発で分かる。自分がイケメンな事を知っているイケメンみたいな匂いがする。インスタ映えの為のメニューみたいで、味が無い。

たまに本当に、天才だけど秀才のふりをしている人は稀にいる。そういう人は別。だって本人が認めていなくても、私から見たら天才だから。

似て非なる何かが、私にはあるんだと思う。もしかして、地雷原に恐れず踏み込むスーパーマン(ただし地雷を踏んでも気づかない)なのかもしれない。

まあ、だからってここで青臭い中学生みたいな胸の内の密かな悩みを呟くのも、人間としてどうかと思いますがね? 大丈夫なのかい、私よ。

でも、だから、これ以上地雷を踏みぬくのが怖くて、自宅に引きこもって毒にも薬にもならない文章を書くばかりなのである。


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