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【小説】私は今日も、ときめきの魔法を身にまとう。

 この世界では、全ての人が魔法を使う。

 加速魔法を使った主婦が、今日もブログに投稿した。
「昨日は2歳の息子も落ち着いていて、一緒にたくさん遊べたし、彼の昼寝時間で今かかっているデザインの案件も目途がついてきた。新しいお花をお部屋に飾って、疲れて帰ってきた夫には、彼の大好きなビーフシチューを作ってあげられた。素晴らしい一日に感謝」と。

 魅了の魔法を使った人達が、今日もSNSで素敵な歌声や絵や文を披露していた。魅了の魔法は、最も汎用性が高い。私が一番憧れる魔法だ。

 魔法は、素敵だ。加速の魔法も魅了の魔法も、それに人の心に何かを伝える伝心魔法。個人が気軽に世の中に発信できるようになった昨今、画面の向こうでキラキラ輝く人たちが使っているのは、その三つの魔法だ。何か発信しようとする人は、誰でも少なくとも一つを使っている。

 ああ、私もこんな人たちの様になれたら。


「ああ、今日も一日疲れた」

 一日の労働を終えてくたびれて帰宅した私は、仕事中に足をきゅうきゅう言わせている靴を放り投げるように脱いで、リビングのドアを開けた。
 何で疲れて帰ってきた時の足音って『ドスンドスン』ってなっちゃうんだろう、なんてうんざり思いながら私は、背負って山一つ越えてきた米俵みたいに仕事鞄を近くに置いた。

 手洗いとうがいを済ませて真っ先に向かったのは冷蔵庫。がちゃりと開けると、週末の私を待っててくれていたプリン様と対面することができた。

「はぁ~! この時のために生きてる!!」

 甘美な一口の後、心底からの言葉が思わず口をついて出る。週末であり月末、という事もあって、今日のプリンは普通なら手土産として出されるような、少しいいものを用意しておいた。濃厚な卵の風味と罪深いカラメルソースのマリアージュが私を楽園へと誘う。一週間お疲れ様、私。

 プリンに舌鼓を打ちながら、スマホを開いた。一週間頑張った私を労うつぶやきを、画像付きでするためだ。もう三分の一ほど食べてしまってはいるが、私のタイムライン上にいる気の置ける友人たちは、”いいね”に乗せて”お疲れ様”をしてくれるだろう。

 カメラで食べかけのプリンを撮って、ちょちょいと指先で加工を施す。魔法を使えたためしがない私だが、機械を頼れば自己満足の範囲で魔法が使える。文明には感謝してもしきれない。

 鼻歌交じりにつぶやきをしようとしてSNSを開くと、タイムラインの一番上には結婚指輪を嵌めた手が、幸せそうに並んでいる写真が出てきた。
 
 「あっ、香奈子達、結婚したんだ。おめでとう~」

 口に出しながら”いいね”を押す。つぶやきを見た瞬間は純粋におめでたいと思ったのに、何故かもやもやした気持ちになった。まるで、そのボタンが私の幸福を奪い取っていったかのように。

 長年の悪習で、ついつい指が画面のスクロールを始めてしまう。友達の、我が子の可愛さと憎さが同等に入り混じった育児記録漫画。配信者となって人気が出始めた友達の、つぶやきにつけられた”いいね”の量。親友とキャンプに行ったという友達のバーベキュー画像。練習中と前置いてどこが練習なんだかわからない、絵が上手い友達のスケッチブック。

「……」

 そんなタイムラインで、私はやっとつぶやく。

【プリンおいしい】

「ははは……なんだよ、プリンおいしいって……」

 多くの人が人生の過程で会得するほとんどの魔法を、私は持っていない。
小学校の時から、何をするにも冴えない子で、魔法の片りんすら見せた事が無かった。

 ”風子ちゃん、まだ自転車に乗れないの”……練習したけど、何回転んでも全然乗れなかった。スイスイとペダルを漕いでいく同級生達にそんな姿を笑われるのが怖くて、ついに乗れないままになってしまった。

 ”風子ちゃん、絵を描くのが好きなのね”……最初は好きだけで描いていた。けれど同じ友達と絵を見せ合う様になって、上には上がいると知って、気づけば描くのに疲れてしまった。

 ”風子ちゃん、私、あの人と付き合うことになりました。あの人のために頑張って痩せて良かった”……その人、私があなたに紹介したはずだよね? 私達、いい感じだと思ってたけど、違ったんだ。

 いつだって、みんなの使う『魔法』が私をあざ笑ってきた。

 ……いや、違う。本当は、それが『魔法』じゃなくて、本人がしてきた努力の結果だって知っている。
 でも、どうしても、私なりにどんなにやっても彼らに追いつけない事実を認めたくなくて、私が勝手に『魔法』という言葉に逃げていただけなんだ。

 そんな自分が、嫌になる。最近は、劣等感の塊でしかないと、自分でも感じていた。
 そんな自分が嫌で、情けなくて、本当は『特別』でありたいと願っていたはずなのに、いつの間にかいくらでも代わりの利く会社の仕事に逃げていた。でもそこでも、私の働きぶりは誰かの『特別』にはなり得ない。

「もうやだなぁ……。生きてるの苦しい……」

 自分を労うはずのプリンがだんだん味気なくなってきて、私はテーブルに突っ伏して、スマホの画面をやけくそにスクロールした。

 すると、私のタイムライン上に珍しいつぶやきが出現した。
 どうやら友人の中の誰かが”おすすめ”をしたらしい。

【石を加工して、アクセサリーを作っています! 仕事の合間に作品を作ってこちらのサイトで売っているので、見に来てくれるだけでも嬉しいです!
 #月末なので宣伝してみる】

 そんなつぶやきと共に出てきた画像は、綺麗な緑色の宝石がついたイヤリングだった。アクセサリー店に並んでいる様な『女性らしい繊細なデザイン』ではなく、シンプルながらも存在感にあふれている。
 何より、その透き通った緑色に惹かれた。私の一番好きな色だ。

「きれい……」

 その色を見ていると、きらきらとしたプリズムが目の前に広がる錯覚に落ちた。どん底まで落ち込んでいた気分が一気に晴れて、私の中でくすぶっていたもやもやが、色と一緒に弾けて消える。

 指を止めた私は、その画像を一心不乱に見つめていた。もう、プリンを食べたらご飯を作ろうとしていた事なんて、すっかり忘れていた。

 どうやらこれは、個人の方が作った逸品であるらしい。個人のネットショップなんて利用した事が無いけれど、こんな素敵なアクセサリーを作る人の作品がもっと見たくなって、恐る恐るURLをタップした。

 一覧表示されたページには、耳元で静かに揺らめくイヤリングや、華やかに飾るピアス、少ないが、パーティーに付けていっても遜色ないチョーカーまでがあって、それらすべてに丁寧に研磨された石が使われていた。

「素敵……」

 不要不急の外出を避けるように、なんて言われて、もう長いことこういった装飾品を買いに行っていない。何かが心の中をそわそわさせている。美味しいプリンを食べた時の比じゃないこの感じ、何だっけ?

 そうだ。『ときめき』だ。

 一覧表示を一つ一つタップして、作品をじっくり見ていた私は、不意に、”おすすめ”されてきたつぶやきに載っていたイヤリングにたどり着いた。……やっぱり素敵。思わず、恋する乙女の様な溜息が出る。これは紛れもない、一目ぼれだった。

 世間の人は、みんな『魔法』を使う。
 私はどんなに頑張ったって、これからも『魔法』は使えないかもしれない。

 けど、この人の『魔法』のかかったイヤリングを付ける事が出来たら、私は今より少し、自分が好きになれるかもしれない。

 そのイヤリングを買い物かごに入れた私は、ドキドキしながら購入へ進んだ。

 手続きをすべて終えたらスマホが鳴って、メールが届いた。開けるまでもなく、注文確定のメールだった。

「…………ああ、やっちゃった……。できちゃった……」

 そのメールが、一連の出来事が夢ではない証拠になった。通販での買い物はそれなりにした事はあるが、ちゃんとした販売会社ならともかく、サイト運営を通してるとは言え個人の製作品を買ったのは初めてだ。
 金額だって、今まで買ったアクセサリーの中で払った事が無い値段だった。個人製作だから材料費込みだとしても良心的な値段ではあると思ったが。

 顔を覆いそうになったが、思い直してその手を止める。
 出会った時の感覚は、間違いではないはずだ。慣れない事をしたから、ちょっと照れてしまっただけ。自分にとって良いものに出会ったのだと信じよう。

「……うん、大丈夫。素敵だったし、あれ。よし、ご飯作っちゃうか」

 一般的な夕食の時間とはだいぶかけ離れてはいたが、寝る前にさっと作って食べてしまおう、と立ち上がる。すると、スマホがまた鳴った。さっきのサイトから再びのメールだ。

【製作者からメッセージが届いています】

 そんなタイトルのメールを開くと、本文にさっき買ったばかりのイヤリングの製作者【MOmo】さんからと思われるメッセージが書かれていた。

【お買い上げありがとうございます、製作者のMOmoです! この度はイヤリングをお迎えいただいてありがとうございます! この子は僕が一番好きな石で作っています。とても思い入れがあるので、かぜ子様にお迎えいただいてとても嬉しいです! かぜ子様とこの子の新生活への思いを込めて、発送させていただきます】

「ナニコレ、こういうサイトって、こういうのが普通なの!?」

【かぜ子】は私のハンドルネームだ。サイトに登録するときに、面倒くさいのでSNSと同じにした。
 それにしても、唖然としてしまう。通常の通販と同じく、注文確定のメールが届いて終わりだと思っていた。個人対個人の取引って、こんなに丁寧なお礼メールが届くものなのか!

 文面の下の、【返信はこちらから】の字を見て、タップする。こんな丁寧なお礼状には返事を書かなければ、という、半ば義務感だった。

【かぜ子です。こちらこそ丁寧なお礼メール、ありがとうございます。MOmo様の作品全部見させてもらいましたが、一番初めに目にした、強烈に一目ぼれしたこのイヤリングを選ばせていただきました。素敵な作品をありがとうございます。こちらに来るまで正直落ち込んでいたのですが、MOmo様のイヤリングを見て一瞬で気持ちが晴れました。あなたの作るアクセサリーには、強い魔法の力が宿っていると思います。ありがとうございました。届くのを心待ちにさせていただきます】

 一気に書き上げてから、あられもない事を書きすぎた! と思ったが、このイヤリングに宿っている力の事を何とか伝えたくて、結局そのまま送信した。『魔法の力』とか言って熱く語ってしまって少し照れくささが残ったが、自分にもう諦めろ! と言い聞かせて、ご飯作りに取り掛かる事にする。

 キッチンに立って少し迷ったが、ちょっとだけ自分に素直になった記念の日に、今日はうどんを簡単カルボナーラ風にした。食べるものも特別にすると、ちょっとだけ自分が上向いた気持ちになる。

 つるりと食べてひと息つくと、またメールが届いているのに気付いた。開いてみると、またサイトを通して、MOmoさんからだった。返信の返信だ。

【すみません……感動して泣いてしまっていました……。そこまで言ってもらえて、製作者冥利に尽きます。ありがとうございます……。気分が落ち込んでいた、とのことですが、僕の作品がかぜ子様の一助になれたのなら、本当に嬉しいです。僕の作品に魔法がかかっていると言って頂いて、本当に嬉しいです。ですが、僕は、かぜ子様も含め購入者お一人おひとりから、魔法をかけてもらってると思っています。しがない製作者の作品を買っていただいて、メールでこんな幸せな気持ちにしていただいて、ありがとうございます】

「魔法……? 私が……?」

 文面がよく読み込めなくて、思わず三度読み返した。やっぱり読み間違いではなかった。魔法使いの感性はとんと理解ができない。こんな素晴らしい作品を作った人より、受け取る私達の方が『特別』だなんて。

 そう、私は購入者の一人だ。この人の『特別』でも、何でもない。

 でも、誰かの『特別』になるより、こうやって私の中の『特別』を増やしていけたら、こうやって『ときめき』を増やしていけたら…………そうしたら、今までの私より、もっと好きな『私』が出来上がってるに違いない。

 



 月曜日。週末を映画とゲームに費やしてすっかりリフレッシュした私は、慣れないイヤリングを付けて、背筋を伸ばした。あれから、イヤリングは問題なく、そして思ったよりずっと早く手元に届いて、画面越しに出会った時と変わらない輝きで、私に元気を与えてくれた。
 会社に向かおうとしたところでスマホの通知がなって、私は画面を開いた。

 私の耳を飾ってくれるイヤリングの作者が、【プリンおいしい】のつぶやきに”いいね”をつけてくれていた。

 味気ない通知だったが、私は彼から「今日もがんばれ」と言ってもらった気がした。

神からの投げ銭受け付けてます。主に私の治療費や本を買うお金、あと納豆を買うお金に変わります。